お嬢様でオマージュなおすすめアニメランキング 2

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早速見ていきましょう!

83.9 1 お嬢様でオマージュなアニメランキング1位
86-エイティシックス-(TVアニメ動画)

2021年春アニメ
★★★★☆ 3.9 (673)
2329人が棚に入れました
サンマグノリア共和国。そこは日々、隣国である「帝国」の無人兵器《レギオン》による侵略を受けていた。しかしその攻撃に対して、共和国側も同型兵器の開発に成功し、辛うじて犠牲を出すことなく、その脅威を退けていたのだった。そう、表向きは。本当は誰も死んでいないわけではなかった。共和国全85区画の外。《存在しない“第86区"》。そこでは「エイティシックス」の烙印を押された少年少女たちが日夜《有人の無人機として》戦い続けていた――。死地へ向かう若者たちを率いる少年・シンと、遥か後方から、特殊通信で彼らの指揮を執る“指揮管制官(ハンドラー)"となった少女・レーナ。二人の激しくも悲しい戦いと、別れの物語が始まる!

声優・キャラクター
千葉翔也、長谷川育美

でこぽん さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

あなたはゲームと戦争の違いを知っていますか?

この物語では、『あなたはいつも、他人を自分と同じ人間として尊重していますか?』と、問いかけています。
そして物語の中では、人間の強欲さや軍隊の理不尽な振る舞いが多く描かれます。
あなたはいつも、他人を自分と同じ人間として尊重してられますでしょうか?

この物語の背景では、大国ギアーデ帝国が完全自立無人戦闘機械(レギオン)を用いてサンマグノリア共和国などの諸国へ侵略を行っています。
サンマグノリア共和国も無人戦闘機械を用いて防戦をしているように国民へ公表しますが、その実態は第86区にいる少年少女たちを戦闘機に乗せて戦わせていました。

サンマグノリア共和国では、第86区に住んでいる人たちを人間として認めていません。その理由は『髪の色も瞳の色も違うから』 ただそれだけでした。
だから戦闘が発生しても戦死者はいつもゼロ。たとえ第86区の人たちが何人死んでも、戦死者はゼロと公表されます。

サンマグノリア共和国に住む16歳の少女レーナは、指揮管制官(ハンドラー)として第86区の精鋭部隊・スピアヘッドの指揮を執ることになります。
他の上官や同僚は、『第86区のものは将棋の駒と同じ』と考えているので、どんな犠牲を払おうとも気にしません。
でもレーナは第86区の人たちが人間であることを知っています。髪の色や瞳の色が違っても同じ人間であることを理解しています。

だから彼女は悩みます。
彼女の指令一つで何人もの人間が死ぬことを彼女は理解しています。
彼女は、指揮管制官となるには優しすぎる心の持ち主でした。

レーナは、理不尽な軍のやり方に憤りを感じます。でも、どんなに抗議をしても、軍の冷酷な命令は変わりません。
だから彼女は、隊員たちの命を守るために、あらゆる手段を講じます。
彼らを守るためならば卑怯者と呼ばれても気にしません。軍法違反も覚悟のうえです。

彼女が行ったことは確かに軍人としては問題ですが、人間としては大変立派な行動でした。レーナは部下を人間として尊重していたのです。
そんな彼女を私は尊敬します。


ところで、この物語を見て、ふと思い出したことがあります。
以前、米軍の戦闘機が敵とは無関係の建物を破壊したり、民間の人たちを殺戮したりしている映像をドキュメンタリーで見たときのことです。

数年前から中東やアフガンで戦う戦闘機の操縦者は、実はアメリカの米軍基地で操縦しています。
つまり、リモートで無人機を飛ばして地球の裏側の戦闘をしているわけです。
どんなことがあっても自分の安全が保障されているので、まるでゲームをしているように、「殺せ!、殺せ!」と戦闘員が叫んでいたのが忘れられません。

こうした愚行をする人はほんの一部であり、大部分の人は正常であることがわかっているのですが…
ゲームと戦争の違いが判らない人たちが戦争するのは、困ったものを通り越して恐怖です。

投稿 : 2025/03/22
♥ : 49
ネタバレ

テナ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

外側で戦う少年少女と内側で戦う少女

この作品は内容が結構重いです。
何から書けば良いか上手く纏まりませんが、順番に。

作中に出てくる、サンマグノリア共和国……この国……控えめに言って腐ってます……

まず1つ。
この国では差別があります。
壁の中に住む者達と外に住む者達。

壁の中は平和です。
毎日好きな場所へ出掛けて、好きな物を食べて、好きな事をしている。

壁の外は戦う以外の選択肢はない……1秒後に……1分後に……明日、明後日、自分が仲間が死ぬかもしれない。
それでも戦い続ける86と呼ばれる者達。

壁の中はそんな人達の努力と犠牲の中で成り立っている平和……サンマグノリアは、その為に差別で86と呼ばれる人を追い出して、戦わせている。

壁の中では、今日の戦いの犠牲者は0でしたなんて幻想で真実を隠して、真実を知る者は人が命を落とした事に、無関心であったり、ゲームの様な楽しみ方、命を失うのを見て笑う人まで居ます。

これを見た時、私は、この人達は本当に人間なんだろうか?と思いました。
自分が守られてる事にすら気づけないお花畑の頭な上に、人が死んでいるのに、何も感じないの?と思いました。
その犠牲の上にある平和が続いているのは彼らのお陰なのよ?って…………

でも、こんな腐った人達の中に救いがありました。
レーナ……彼女はサンノマグリアの軍人。
彼女は86の真実を知り、それをどうにかしようと考えて動いている人です。

{netabare} でも、周りの人達は変わろうとはしません。
レーナの話を真面目に受け取ろうとしません。
1番ショックだったのは86を人間とすら思っていないこと…… {/netabare}

戦死者0は無人機が戦っている設定。
{netabare} 国の人達は、戦死者はいないと言う……何故なら……壁の中にいる人は人間で壁の外にいるのは人間じゃないと本気で思っている。
だから、戦死者0なのです。
86は無人機が搭載する補充の効くパーツと変わらないと考えられています。{/netabare}

正直、凄くムカムカしますね!
更に、レーナは軍人達の間で戦死者0の裏にある残酷な真実を告げますが、それを聞いた彼ら彼女らの言葉にはショックでした……レーナの言葉は何一つ伝わらない……

でも、レーナは負けません!
{netabare} 彼女は86の理解者で味方です!
彼女は、戦場の恐ろしさを知っている。
命の尊さを知っている。
86が自分と変わらない人間だと知っている。 {/netabare}


では、同じ国で育ったレーナと他の国民との違いはなんだろうか?
{netabare} 私の第一印象では、この国の人は腐ってる。
でも、考えて見たら悪いのは人より国の方にあるのかもしれません。

レーナに関して言えば戦場の残酷さや86に助けられた過去もありますし、それも影響があると思います。

ただ、それ以外の理由も考えて見ました。

産まれた時から、86は人間ではない、差別するものだと、社会が学校が……親が先生が大人が教えているのです……彼らの中で差別は当たり前で、おかしな事ではなく当たり前の環境がそこにあったのかもしれません。 {/netabare}

だからと言って許される問題ではありません。
{netabare} それを知った上で一人一人が考える事が出来たはずなんです。
考えることを放棄し、おかしい事を疑問にすら思わない人達が、この国の人達。{/netabare}

でも、一方で、おかしい事に気づける人達がいる。
{netabare} レーナを始めレーナパパやセオトの昔の部隊の隊長などです。
彼らはサンマグノリアの人間でアルバです。 {/netabare}

勿論、彼らはアルバですが86の人を人間だと知っています。
同じ命の重みを解っていて決して見下さない。
誠心誠意で接して居ます。

でも、それが本心で偽りなくても!
{netabare} その誠意が……86には中々伝わないのです……
彼らは対等に接して居ても、86の人間から見れば簡単に信用出来ないのです!
それだけ、サンマグノリアと言う国は彼らを傷付けてきたのです…………

それが、解るから……アルバの人間は自分の想を伝え続けるしかない……86に何を言われようと受け入れるしかない……

サンマグノリアのアルバが86にしている事を考えたら、受け入れて貰えないのも解って居ても……その人達は何もしていないのに……悪くないのに……寧ろ味方なのに……こんな辛い事が悲しい事がありますか…………

でも、アルバの人間には代わりありません。
だから、受け入れるしかない……アルバの人間として…… {/netabare}

さて、スペアヘッドとレーナについて。
1個団体と1人を繋ぐのは無線です。
無線しかありません。
映像もデータ上の地形や配置マップくらいで……声しか届かない。

声しか届かない上にアルバと86は基本的には犬猿の仲みたいなものです。
だから、そのイメージが邪魔をして、スピアヘッド部隊にはレーナの気持ちが中々伝わりません。

彼女はスペアヘッドを気遣い。
戦闘の話や何気ない話をしてコミニケーションを図ろうとします。
視聴者側から見ればレーナって凄く優しくて、思いやりがあり他のアルバと比べても凄くいい子だと解ります。

でも、スピアヘッドの皆から見たらどうでしょう?
{netabare} 声しか聞こえない……無線機を切った後には悪口を言ってるかもしれない、バカにしてるだろうと思うと思います。
それだけに、信頼関係を結ぶのは大変な事です。

私が印象に残るエピソードが、スピアヘッド部隊のカイエが戦死する話。
レーナは彼女の死を「残念でした」と言います。
でも、この言葉にセオトが、ぶちギレる。

仲間の死をアルバ(レーナ)が「残念」だと言う……彼女は決して簡単に口にした訳じゃない……お互いの顔が見えていたら、もしかしたら拗らせなかったかもしれない言葉のズレ……

きっと、スピアヘッドの面々は……言われて来たのでしょう……心がない偽善の言葉を。
だから、レーナの言葉も信用出来なかった。
上辺で言ってるようにしか聞こえないのです。

スピアヘッドからすれば当然です。
偽善にしか聞こえない……私なら、そんな言葉を並べるくらいなら、本当に少しでも苦しみが解るなら、この状況を何とかしてって思いますもの………… {/netabare}
でも、レーナに当たっても何も変わらない。

レーナの思いやりが伝わるのが、和解のエピソード。
セオトも自分が言い過ぎたと反省する。
このシーンって凄く救いのシーンなんです。
きっと、心無いアルバの人が相手なら反省しなかったと思います。

反省したって事は、少し……それは本当の本当に少しだけかもしれない……それでもレーナの本心が間違えなく伝わっていたんだって私は本当にそれを感じる事が出来ました。

ライデンは謝罪します。
{netabare} レーナの事を裏で偽善者のブタだとバカにしていた事を……それは少なくともレーナは、これまでのアルバの人とは違うと、解ったから……これは本当に大きな進歩です!

仲間にも友達にも、まだなれなくても……それが解って貰えた、それだけで心は救われる。
信頼関係ってそうして積み重ねていく。
世界一小さな信頼は世界一大きな一歩。{/netabare}

そして、「黒羊」がやってくる。
レーナは死者の声を聞いてしまう。
そして、黒羊の残酷な真実。

実はレーナがスピアヘッドを担当する時にハンドラーを壊すと言う話を聞かされて居ました。
担当したハンドラーは退役申請、担当変更、自殺をする者がいる。

私は、死霊の声を聞いた人を情けないと思いました…………
{netabare} 退役?担当変更?自殺?
何……それ?……だって……気づいたんでしょう?

86と呼ばれる人達の苦しみを!
辛さを悲しみを!聞こえるのが何なの?
戦場で無念に死んでく辛さが、死霊の声が聞こえる戦場の人達が1番怖いし苦しいのが……分かったのでしょう

なのに……真実に目を背けて、自分達は逃げるの?背を向けずに戦う86の人々が戦ってくれてるから実現してる平和に縋りついておきながら、自分が恐怖を感じたからって、怖い事に目を背けて誰かに恐怖と苦しみを押しつけて、退役して部隊変更して逃げられないから、最後は自殺……

動いてよ……それなら……1人の人間に出来ることなんて、限られてるけどさ……それでも動いているよ……間違えなく現状がおかしいと気づいてる人もいるのに……1人でも多くの人が声をあげれば変えられる事もある……小さな力でもあつまれば何かを変えることも出来るかもしれないのに…………逃げ出すなんて卑怯よ……情けない…… {/netabare}

この世界では2年ほどでレギオンとの戦争が終わり勝利すると言われていたようですが……

{netabare} スピアヘッドの隊長のシンは、それは間違えで86を含めたアルバ達も敗北すると言います。

そして、86が全滅したら次はアルバの全滅ですが、シンが言うにはアルバだけになると戦いを放棄したアルバは戦えないといいます。

当たり前です……当たり前なんです……武器を取らずに生きて来た人達が明日いきなり戦えと言われて戦えるほど甘くは無い……

正直、それくらいしないとサンノマグリアの人間は国は解らないと思うのです……
だから、そうなれば少しはこの救えない国は学ぶと思う……それくらいの事が起きないと変えられない……私なら少なくともそう考えちゃう。{/netabare}

でも、シンとレーナは必ず勝とうと約束する。
この2人は本当に強い。

そして、86の優しさを感じるエピソードがあります。
{netabare} レーナはスピアヘッドの人員補給が必要だと各部署に資料を送るも返答はない。
でも、レーナの要求する人員補給が準備されていると聞き彼女は喜ぶ。
私も、やっとレーナの気持ちを少し解って貰らえたと思ったのに人員補給の真実は酷かった。{/netabare}

でも、86は知っている。
{netabare} 人員補給は来ない。
スペアヘッドが処刑場である事をレーナに伝える……
でも、86はレーナを傷つけたくなくて、期待しているフリをする。
そこにレーナを思いやる優しさを感じます。

それでも最後は真実を明かす。
そして、それでも復讐しようとはしない。
何故なら、86はアルバの人が全員が悪ではない事を知っている。
彼らの戦う理由と意味がしっかりある。
戦いを放棄するのは、今まで守ってきた人達の犠牲が無駄になってしまう。

86は、アルバ事を含め自分達の事もよく考えています。
だからこそ復讐じゃなく戦う茨の道を行く。
そこには、彼らの優しさと強さを感じました。
本当に素敵です。 {/netabare}

レーナは真実を知って怒りと絶望を感じる。
そこで、救いを求めたのは親友のアネット。
でも、彼女の言葉は酷いものでした……

{netabare} アネットは実はシン兄弟と知り合いで、友達だったから虐めにあった……それが辛くてシン達を拒絶した……
そうして、レーナの事も同罪と言い放つ。

そうしてアネットは「アンタが余計な事をして長生きさせたからソイツらは死ねって命令されたんでしょう」と言います。

このセリフは本当に頭にきます。
レーナは何一つ間違えてはいません。
それだと、死ぬしかないじゃないですか!
誰かに死なないで欲しい、死なないで欲しいから行動をしようとするのは余計な事でしょうか?{/netabare}

でも、結局、アネットは怖かったのだと思います。
{netabare} 自分は拒絶して86を見捨てて、彼ら兄弟だけでも助けようとした父に反対する選択肢しか出来なかった。{/netabare}

逆にレーナは見捨てない。
{netabare} ずっと、1人で立ち向かい諦めずに戦い続けて上層部に掛け合い意見し、犠牲を出しながらも全滅回避に成功した。

アネットからすれば同年代の同じ1人の女の子が、ここまでの事をしているのです。
自分には何一つ出来ずに見捨てると言う選択肢しか出来なかったアネットからすれば、自分が情けなく感じたのかもしれません。 {/netabare}

だからこそ、レーナの言葉や行動に心は締め付けられてゆくのかもしれません。
{netabare} 酷い言葉を浴びせて必至にレーナも私と同じなんだよって自分に言い聞かせて、レーナに言い聞かせてる……

それでも、気持ちの変わらないレーナから逃げ出して「もぅ、会いにこないで」の逃げの一言……現実から逃げ出したのだと思います。{/netabare}

一方、最終司令でシンは兄の亡霊と対峙します。
シンは亡霊になったお兄さんを救いたかった。
でも、兄もシンを救いたかった。

{netabare} お兄さんの救いは明確に解りませんでしたが、守りたい気持ちは伝わりました。
戦いの中でシンが他の機体からトドメを刺されそうになった時、攻撃から守るシーンがあります。

シンは、それを「殺すなら自分の手で……か……」と解釈をしましたが、私は単純に守りたかっただけに感じました。
殺し合いをしているのですが、兄はシンに殺すとは一度も発言していなかったからです。

亡霊の兄の表情が殺意と苦しみに歪むシーンが有りますが目を見てると、本当は殺したくないのかな?と思える目をしていたように感じる部分があったからです。

兄の回想にもシンに酷い言葉と暴力を振るうとは裏腹に心の声は自分の言葉の全てを否定して心はシンを守ろうとして居たってのも理由の1つです。 {/netabare}

この戦いでレーナは視覚共有を使います。
{netabare}視覚共有はハンドラーに失明の可能性があるらしいのですが躊躇なく使います。

更に許可のない命令違反覚悟の迎撃砲

それに対してレーナは86が気にしないように言葉を伝える。
私は、これはレーナの覚悟だと思います。
言葉や地図でのナビゲーションならハンドラーなら当たり前に出来る。 {/netabare}

でも、そうじゃない。
{netabare} それ以上に皆と一緒に戦ってるんだよって覚悟の現れ。
彼女は補給を要求する時に「私達の部隊」と言っていました。
「スピアヘッド部隊」ではなく「彼らの部隊」でもなく「私達の部隊」

自分も仲間の一員である覚悟を感じます。
そして、この行動こそが、その証明。 {/netabare}

で、レーナがシンの兄に不発弾を撃ち込むシーンで、小さい頃のレーナがビンタをするシーンがありました。
{netabare} このシーンは、過去に助けられたレーナが、次はレーナからの救いのビンタ……弟を殺したくないのに殺そうとする兄への救いの一撃。
本当に助けられ保護して生かしてくれたから……感謝してるから打ち込める優しい一撃だと感じました。 {/netabare}

実はレーナは親友であるアネットに協力させていました。
{netabare}それは脅しですが……これには優しい理由がある気がします。

1つは今まで見捨て続けたアネットへのチャンス……見捨てた幼なじみは生きている。
アネットは、見捨てた事を少なからず後悔していました。
なら、その幼なじみを救うチャンスを与える……見捨てたまま気に病んで生きるか……救って貴女だって救えるんだよって伝えて、少しの償いと勇気を与える……

2つ目は脅し。
2人で協力すれば2人は命令違反で罰を受ける……でも、レーナが脅してアネットを従わされたのなら……罪はレーナだけが被れる……アネットは罰を免れるか軽くなる。 {/netabare}

それがレーナの言葉と行動に隠された優しさだと思います。
否定されても罵られても、やっぱり大切な親友なのかな?って。

そして、戦いの後……
{netabare} 沢山の罰を受けようと失明を覚悟してでも生きて欲しかった仲間達……
自分の命令違反よりも失明なんかよりも優先したかった仲間の橘……

彼らは勝利の後にレーナと言葉を交わして楽しそうに旅に出る……彼らの言う自由になるの本当の意味……
レーナの「待って……待ってください……置いて行かないで!」

凄く切ない……勝利で喜びを分かちあって居たのに……その先の……彼らの選択……凄く楽しそうな会話には未来への希望…… {/netabare}

シンの最後のセリフ「少佐、先に行き(逝き)ます」
レーナは間に合うはずもないのに走り出す。
そうして、外へ出た彼らはレーダーから消え去ったる……レーナだけを残して。

外へ出た彼らは凄く楽しそうに生きていました。
{netabare} 伸び伸びしてるように感じました。
生活は裕福ではなく不便で大変なことの方が多いと思いますが心は清々しいと言いますか。{/netabare}


そして、ファイドの記憶(メモリー)
この子は、見ていたら凄く可愛くて心があるのかな?って思います。
仲間想いで優しくてシン達の必要なものを探してくれたり。

ファイドの記憶を見ているとファイドは皆の人気者の様な子かもしれませんね。
皆と喜びを分ちあって。
沢山の人が人の様に接してくれて、楽しい事や嬉しい事、悲しい事やら沢山の言葉と笑顔を記録して……ファイドの記憶を見るとファイドは本当に皆が好きだったんだって解る。
そして、シンが大好きなんだって。

ファイドの視覚レンズから液体が流れているシーンがあります。
{netabare}涙を流してる様に見えるだけなのか涙を流しているのか……私には、泣いてる気がします。
最後の焼け野原の大地でファイドが見たメモリーはファイドの幸せで楽しくて大切な記憶。

でも、泣いたのは壊れるのが嫌とかじゃなくて……あんなに楽しい時間を共に過ごした仲間が減ってしまった事に涙したのかな……って思いました。
それとも、シン達を残して壊れちゃう事が心残りなのか…… {/netabare}

さて、シン達は廃校に辿り着きます。
これは、少し切なかった。
{netabare} 廃校で学生の様に振る舞うけど……この子らも普通に生活してたら学生生活を楽しんでいたんだろうなぁ〜って。
そんな普通が当たり前にあったはずなんだよなぁ〜って。{/netabare}

道中……シンは敵を発見します。
{netabare} 機体は1機しかなくて当番制で乗っている人が戦う約束でしたがシンが優しい嘘で戦いに出ます。

それは仲間を守るため。
シンの立場ならそうすると思う。
生きて欲しいと思うから……でも、それは仲間も同じでシンに戦わせて逃げるなんて出来るわけもなくて……

結局、皆が来ちゃう……
機体はないから銃1つで……それで勝てるハズがなくても……
シンは「馬鹿だなぁ〜そんな武器でレギオンに勝てるわけない」って言う。
馬鹿だ馬鹿だと言うけど……

多分、私はシンの立場だと、そんな馬鹿が嬉しいかもしれない……死んで欲しくはないけど……それでも一緒に最後まで居て駆けつけてくれるのは幸せだと思います。{/netabare}

一方、レーナは最前線に視察に来ます。
前回の命令違反は謹慎処分で、時間が出来たので訪れた。
彼女は見てみたいと思ったのでしょう。
スピアヘッド部隊が過ごし生きたその場所を……

そこでレーナは彼らのメッセージを受け取ります。
{netabare} で、ファイドが記念撮影で撮った写真が同封されていてレーナはそこで初めて彼らの顔を知る。
レーナの口元が移されて涙を流すシーンがあるけどそれだけで泣けちゃう。{/netabare}


「いつか俺達が行き着いた場所まで来たら花でも備えてくれませんか」
シン達のメッセージを受け取ったレーナもまた。

{netabare} 「私もまた歩んで行ける。彼らはそう信じてくれた。
戦おうこの身の命運尽き果てるその最後の瞬間まで」と決意します。 {/netabare}

シンはどこかで無事でいる事を信じて自分に出来る全力で戦う決意をする!

86は10月に2クール目が放送らしく、これはかなり楽しみですね。

シン達は生きてるのか?死んでるのか?
レーナは、これから救いようのない国を世界を、どう変えて行くのか?
楽しみです!(ˊo̴̶̷̤ ̫ o̴̶̷̤ˋ)

投稿 : 2025/03/22
♥ : 27

U-yan さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

想像以上の良作でした!

第2クールも込みで評価致します。まず言いたいのはここまで良作だとは思っていませんでした!情報ゼロで観たのも良かったのかな〜。ですので内容には触れずに書きます。ストーリーの描き方や構成もオシャレだし、キャラクターの心情等の描き方もとても良かったです!というかそもそも物語が良かった。早く続きが観たいんだけど、一気観してあっという間に観終わっちゃうのも寂しい・・・。みたいな感じで葛藤するくらいでしたw迫力ある戦闘シーン、キャラデザもいい。声優さんも私の中ではハズレ一切なしでとても良かったです。音楽はOP.EDもBGMもとても良かったかな。良いトコで第2クールが終わりました。というか「ついに!?」ってトコでしたね。泣いたわ〜w原作は続きがあるみたいですね。2023.5現在、続編情報はないですが、絶対制作して欲しい!というか完結までお願いします!

投稿 : 2025/03/22
♥ : 5

69.4 2 お嬢様でオマージュなアニメランキング2位
メガロボクス(TVアニメ動画)

2018年春アニメ
★★★★☆ 3.5 (265)
868人が棚に入れました
『あしたのジョー』を原案としたオリジナルストーリー。八百長試合に身を沈めるボクサーが、運命に抗うために、自分の全てをかけてリングで闘う姿を描きます。

声優・キャラクター
細谷佳正、斎藤志郎、安元洋貴、森なな子、村瀬迪与、木下浩之
ネタバレ

yuugetu さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

素晴らしいの一言〈ギアについて思ったこと追記〉

2018年春アニメ。
「あしたのジョー」連載開始50周年企画。
「あしたのジョー」を原案とし、世界観を変えたオマージュ作品。原作未読、本作以外のアニメは未視聴です。


第3話まで見た印象としては、物語は王道でキャラクター描写も素晴らしく、世界観もわかりやすく味わい深い。テーマも最初の段階から見えています。
BGMもよく合っていますし、使い所もしっかり選んでいます。
{netabare}
サブタイトルに毎回「死」という単語が入っていたり、イカサマをするたびバイクで崖から飛び降りるジャンクドッグの行動が「命か誇りか」という葛藤であったり…洒落ているけどなかなか狂気じみてもいますね。
メガロニア出場の目的はジョーは誇りのため、贋作は命のため。ジョーに引っ張られて本気出しつつある贋作さんステキですわw
藤巻さんが市民IDを用意してくれたの、結構意外でした。ユーリ乱入で儲けが少なくなっても「ご祝儀」で済ませたあたり、メガロボクスが本当に好きなのか、あるいはジョーのメガロニア出場に賭ける「賭け金」のつもりなのか…だったら洒落てるなあ。これからの3ヶ月間ジョーと贋作は分の悪い賭けに勝ち続けなければなりませんしね。…賭ケグルイの自分のレビュー読み直してこの作品は賭けという要素も重いのかも、と思い始めた。

作画・演出、音楽、声優さんの演技など安定してクオリティも高いです。コンテ・演出に作画負担を軽減する努力が見られますし、このまま崩れず行くかも…。多少崩れたとしてもこれだけ演出が良ければ問題は無いですし。
強弱を付けた線の味わいもタイガーマスクWと比べれば今風に仕上がっているけど、やっぱりなんだか懐かしくて。背景も水彩やポスターカラーで描いていたセル画時代のイメージに近く、レトロな世界観としてバランスを取っていてとても見やすいです。
キャラクターの動きにも作画のこだわりを感じます。ジョーのアウトローで気だるげな雰囲気と根の優しさや誇り高さ、贋作さんの情けなさとトレーナーとしての実力、ユーリの底の見えない強さと鬱屈、子ども達のちょっとスレた可愛らしさ、ゆき子さんの刺のある美しさ…キャラクター描写にも個性が良く出ており、生きた人間だと感じられます。

ギアが今後どう扱われていくのかも気になる所。
「そんなオンボロギア、付ける意味ねえんじゃねえのか?ガラクタのワンちゃんよ」「裸じゃ出来ねえだろ、メガロボクスはよ」のやり取りはルール上付けるもので、「あんなガラクタひとつで駆け引きしちまうんだ、こんなところで燻ぶってなけりゃ…」という胴元の台詞からジャンクドッグのギアがお飾り同然であることがわかる。とはいえギアがあることには作品として意味があると思うのですよね。

NakamuraEmiさんのED好きですね。歌声が力強く、反骨精神剥き出しの歌詞も作風にぴったり。ネオンサインの動物たちはもしかしてメガロニアに今後登場する選手のイメージなのかな?ユーリの最初の対戦相手はスパイダーですし。熱いのに余韻も残るのがとても好きです。{/netabare}
(2018.4.24)


第4話「LET'S DANCE WITH DEATH」 {netabare}
印象としては2話までの賭け試合との差異を描くことで「本物」に踏み込んだことを示す回かな。

ジョーはボクサーとしてはこれまで「まがいもの」で、実力で勝利を勝ち取る本当のボクシングをしたのは今回が初めてなのかもしれません。そして地下では八百長を強いてきた贋作とも、ジョーはやっと本当の意味でボクサーとセコンドとなった。
贋作自身もトレーナーとしての辣腕ぶりを(プロデュースという名のハッタリ含め)ジョーを勝たせるために振るうことになります。戦略・戦術を考えるのは贋作の役割ですが、ジョーがリングに上がればもう任せることしか出来ないという点も賭け試合の時とは対照的で、しかも自分の運命を託してさえいる。
サチオはギアが無ければ見せ場がないかと思えばとんでもない。一番大切な役回りでしたね。ジョーの腕にぶら下がってる写真可愛かったw

「今日の敵はそいつじゃない!お前自身だ!」という鮫島のセコンドが言った言葉が、ジョーにも掛かってる脚本も上手い。ジョーが今勝たないといけないのは自分自身の恐怖心で、感情に振り回される鮫島と感情をコントロールするジョーの対比が良かったです。
良い試合をすれば観客も称賛し味方になる、というのも純粋なスポーツの良い面ですし、とても良い回だったと思います。

今回の作画、ジョーも贋作もサチオも表情が繊細でしたね。特にジョーの表情の変化を見て思ったよりも若く、弱さもあるんだなあと。
今回ジョーに対して優しい表情をした場面で、贋作さんがジョーをどう思っているのかやっとはっきりした気がします。サチオに対してジョーが優しいので、なおさら三人がファミリーみたいに見えてきて嬉しい。

非認可地区の様子も少しわかって良かった。虻八さん再登場してほしいなあ。
ジョーと贋作の関係がしっかり構築されたところで贋作の過去がわかりそうな感じですかね。
次回も楽しみです。 {/netabare}(2018.4.30)


第5話「THE MAN FROM DEATH」
第6話「UNTIL THE LAST DOG DIES」 {netabare}
贋作と、ジョーの兄弟子ともいえるアラガキの過去と現在を描いた前後編。
「とどまるか、抗うか—あしたを、選べ」という本作のキャッチコピーが改めて思い起こされるエピソードでした。

贋作とアラガキにとって「明日のために」という言葉はメガロボクスのためのもの。繰り返される「前に5、後ろに5」という言葉はメガロボクスを続ける(とどまる)こと、「前に進む」「前に出るんだ」という言葉は自身の未来のために別の道に踏み出すことであったと思います。
贋作がジョーを棄権させようとしたのは「明日のため」とは言えず、ミヤギさんがアラガキの自由にさせたのはアラガキが「前に進むため」だったのも上手く対比しています。
最後の「俺もお前(ジョー)を信じる」というアラガキの言葉が、ジョーと贋作にメガロニアの夢を託したのだと思えてとても良かったです。

アラガキの引退の理由、その描き方が素晴らしかったです。
現役を続行するか引退するかを決められるのは本人だけですが、未練なく辞められる選手ってそうはいないと思います。
引退を考えるアラガキにとっての一番の心残りは、贋作との約束や二人三脚でやってきたメガロボクスだったのでしょう。実際、戦争のトラウマから自殺しようとしたアラガキを救ったのもその想いでした。
ギアレスジョーのトレーナーが贋作であると知った時、時間は戻らないし贋作との師弟関係を復元することはもうないと悟ったから、最初は引退を受け入れようとしていたのだと思います。
でも再会した贋作は無神経にもアラガキに「昔と何も変わらない」と言ってしまった。彼の顔の大きな傷を見れば、これまでいかに辛酸を舐めてきたかは容易に想像できたはずです。そして、それがアラガキの心を揺さぶってしまった。
アラガキが最初に壊すと言ったのは確かにジョーだったと思いますが、最終的に壊したのは贋作から学んだことを捨て去れなかった自分自身でした。リングの上でアラガキが相対していたのは、贋作の教えを忠実に守っていた過去の自分でもあったのかもしれません。
ですが試合が進むにつれ、ジョーとアラガキのスタイルの違いが明確になっていきます。ただただ目の前の相手に勝つことだけを考えるようになり、最終的にアラガキは大きな未練を振り切る。贋作とアラガキを吹っ切らせたのは、勝ちたいと強く思うジョーの粘りだったと思います。
アラガキとジョーが笑い合うシーン、格好良かったです。

あ、あと個人的にはミヤギさんが格好良すぎてヤバイw
再登場はない、よなあ…;;

今回の試合描写は尺が長く、コンテ・演出にアニメ的な外連味はあまり無かったですね。その分じりじりした試合展開が状況の推移とキャラクター心理の変化をよく捉えていて、私はとても好きでした。蝶が前編では死の象徴として、後編では復活のイメージで演出されていたのも良かったです。
この前後編は同じスタッフさんが絵コンテを切っていますし、物語をコンテ・演出と作画にしっかり反映出来ていたと思います。 {/netabare}(2018.5.14)

※6話について追記{netabare}
公式ツイッターで、試合中のジョーの怪我について言及がありました。試合経過に合わせて怪我の進行もきちんと設定画を作って作画していたようです。
ウワーって思いましたw{/netabare}(2018.5.21)


第7話「THE ROAD TO DEATH」{netabare}
今回は、あしたに進むために現在を戦いながらも過去から逃れられない人たちを描いた回、という印象を受けました。

ジョーに期待する非認可地区と認可地区での評価の乖離が描かれ、メガロボクストップ層に食い込むことの難しさが露呈。白都の確執に巻き込まれ過去をネタに脅迫されたジョーですが、過去を消すことは出来ない以上、何とかするしかないね。贋作さんはもしかしたら予測していたかもしれませんが。
ジョー(ジャンクドッグ)が非認可地区で賭け試合を行っていたことは、少なくともゆき子さんとユーリは承知の上。逆に言うと、ゆき子さんはそれを公表してジョーを追い落とす気は今まで無かったのかな?あるいは最後の切り札として取っておいたのか。

今回はゆき子さんもまた様々なものと戦っていることが解ってきました。社長の座を狙う兄、会社の役員たち、先代の存在の大きさ…過去のしがらみとも言えるかな。ユーリにはメガロニアは私たちの夢と言い、一体型ギアの性能を売り込むことも目的もだろうし、そこに何か熱い想いもありそうです。ユーリを誇らしく見るゆき子さん綺麗!
兄の樹生もまた奪われたものを取り戻すために戦っていますが、ボクサーとしては一歩引いた冷静な人物です。盤外戦術とは良い意味で憎たらしい。

ジョーのトイレシーン最初はちょっと驚いたけど、公式ツイッターで「血尿出して頑張ってます」とあったので調べてみました。
ボクシングで試合中に脇腹にパンチを受けると肝臓が傷付くことがあり、尿に血が混じることがあるみたいです…軽症なら数日で治るそう。ちなみに内臓への衝撃は目などへの衝撃に比べれば大きなトラブルになることは少ないとか。程度によるでしょうけど。
ていうかプロボクサーの年間試合数って多くても6試合(正確には24ラウンドくらい)とかなんだそうです。ノックアウトされれば安全のために二ヶ月以上の試合禁止となる場合もあるようですし、アニメとはいえ三ヶ月で5試合とかジョーはどんだけ無茶やってるのさ…
今回贋作さんに殴られて寝ちゃった所を見ると、流石にダメージは残っていたのでしょうね。このアニメ、アウトローな描写もやりすぎないのが好き。演出意図が理解できるって良いですね。

そして豚汁売ったり危ない特等席見つけたり、今回も子どもたちが可愛いw
次回が楽しみです。{/netabare}(2018.5.21)


第8話「DEADLINE OF THE DREAM」
第9話「A DEAD FLOWER SHALL NEVER BLOOM」{netabare}
3話に渡り繰り広げられた白都の後継者争いとメガロニア出場者争いに決着がつきました。
第9話の絵コンテが川越淳さんでびっくりしちゃったw(バイオレンスなダイナミック作品と子ども向けの映画アンパンマンを交互に手掛けるだけあって、幅広いコンテ・演出のできる方で個人的に好き)
それにしても毎回コンテ・演出が違うスタッフさんなのに全体に共通した演出が見られるのは、やっぱり監督さんの采配でしょうか?虻八さん、アラガキやミヤギさん、胴元、藪沼さんもちゃんと登場しているし、キャラクターも大切にしていて好きだなあ。

今回の樹生の描き方とても良かったです。
樹生が証明したいことは、リングの外と中で二つありました。
リング外では、白都の後継者として自分がふさわしいということ。強すぎる執着心や視野の狭さは問題ですが、樹生の情熱と努力は本物でした。
ただ自意識が強すぎて人の上に立つには向かない性格ですし、まがいものは本物にはなれないという考えでは角が立ちすぎるでしょう。
それからリングの上での様子を見ていて、樹生の本質はボクサーというより研究者だと感じました。自動制御を最後まで解除しなかったのが彼の誇りだったと思う。
試合終了後の「体が勝手に動いただけさ。あんたもそうだろ」というジョーの言葉に、樹生は複雑な表情をしたのみで何も答えませんでした。最後のパンチがどちらの意思だったにせよ、樹生とエースは一心同体にはなれなかったのでしょう。リングの上で樹生が証明したかったのは、ボクサーと人工知能がひとつとなり最強となることだったと思うんです。
だからその夢にけじめをつけ、ギアを残して身一つで去ったのだろうと思います。
いやはや、嫌味と格好良さが絶妙なお兄様でしたねw

樹生とゆき子との最大の違いは、他者との関係の作り方です。他人を信頼できるか、信じられない人間であっても折り合いをつけ采配を取れるか、他人によって自分の思う結果にならなかったとしてもリスクを負う度量があるか。
ゆき子とユーリの間には上下関係はあるものの信頼があります。ユーリは彼女の迷いを傲慢だと指摘でき、ゆき子もそれを素直に受け入れるだけの器がある。まあユーリにとっては窮屈でもあるでしょうから、今後何か変化はあるかもしれませんが。
ゆき子が贋作の提案を拒否していながらジョーの再試合の希望を受け入れたのは、どこかユーリに感化されているようにも思いました。

あと、ジョーの名前が皆に受け入れられているのが嬉しいですね。本人ももうジョーは自分の名前だと思っていますし。
で、そこからまた藤巻さん登場で落とす…3話の回想で「メガロニアまで行ってくれりゃあこっちは何の問題も無いさ」って言ってたね、そういえば…
脚本家の掌の上で転がされつつ次回を待ちますw{/netabare}(2018.6.4)


第10話「THE DIE IS CAST」
第11話「A DEADMARCH」{netabare}
登場選手のPVはそれらしいけどちょっとフフッてなりましたwジョーのPVが簡素なのは、ジョーは撮影になんて付き合ってくれないからかも…w

藤巻は贋作の本質はサソリだから自分を裏切ったりは出来ないと高をくくっていたようですけど、その考えは最初から間違っていたと思います。しかも11話アバンで藤巻自身も「3ラウンドでバロウズがジョーをノックアウト」にベットしている。やっぱりこの人外道ですよ。
ただ自分の考えの甘さを自覚したから、贋作が自分から残った目を差し出したことで手打ちにしたということですよね。状況をコントロールしているつもりで実はできていなかったから、苛立ちと自嘲で「笑わせてくれる」という言葉が出た。理由は解らないけど、藤巻は贋作が「本物」になることに強い抵抗感や苛立ちを抱えていたようでしたね。

贋作はアラガキとの一件もありましたし、教え子の未来を奪うようなことはもう出来なかったでしょう。ハッタリではジョーとサチオを守れない。ゆき子さんも今度ばかりは贋作の本気を感じていたのではないでしょうか。
贋作さんは自分の本質にそぐわない生き方に対する鬱屈からお酒に逃げていたのかなあ、と思わなくもないですね。

10話のジョーとユーリのシーン好きですね。ジョー自身が「本物」になれそうな所まで来ているせいかお互い認め合っていて和やかで、ジョーの精神的な成長を感じる場面でもありました。(…そして犬がめっちゃ可愛いwジョーって子どもだけじゃなく動物も好きなの?本当に優しいキャラクターだなあ。)
二人はなぜ戦うのか…ジョーは自分のため、ユーリはゆき子への恩義のためと答えたけど、二人ともそれだけとは言えない。11話ではお互いに相手の言葉に影響を受けていることが察せられます。
特にジョーは贋作を殺させないために八百長を受け入れていたから、ユーリの言葉では立ち上がれなかった。ジョーを立ち上がらせられるのは贋作さんだけでした。
ギアの演出も良かったですね。ギアを付けた自分は「ジャンクドッグ」であって「ジョー」ではない。「ジャンクドッグ」は既に自分の名前ではなく、サチオの言うように「ギアレスジョーはイカサマなんかやらない」という強い主張でした。
10話で虻八さんの台詞が聴けて良かった!優しい激励でしたね。やっぱり良い人だ。

そういえば「そこに立ってるものに触れ」っておまじない、教えたのは贋作さんかな?11話内ではジョーもサチオも贋作も壁に触るシーンがありますから。
ジョーは1話で八百長に臨む前にエントランスの壁を、8話で樹生に嵌められた後(贋作がゆき子さんに再試合を要請していた時)船の壁を触っています。本当に細かい。

もうクライマックスに突入していて、色々考えてしまって感想が纏まりません…;
とにかくジョーが何のしがらみも無く全力で試合できる状況になって良かった…ラスト2話、しっかり楽しみたいと思います。{/netabare}(2018.6.18)


第12話「LEAP OVER THE EDGE OF DEATH」 {netabare}
白都の契約相手は参謀総長だから軍関係なんですよね?白都のギアを普及させることが社会貢献になるとゆき子さんが考えているのはわかるんですが、ちょっと引っかかるかも…。自衛隊のような組織なら別でしょうけど、後一話でそこらへんを入れる尺は無い気がする。

それはともかく、ユーリとゆき子さんの関係がよく解る回でしたね。二人とも一途だなあ。
アラガキやミヤギさん、樹生の再登場もすごく嬉しい!皆和やかで心が洗われました。
特にお兄様!樹生本人の活躍ぶりも見事だったけど、ゆき子さんが弱音や本音を言えるのって確かにお兄様しかいないよなあ…。今回の様子からは多少距離はあるけど普通の兄妹にしか見えない。お兄様の過去話が気になってくるじゃないですかw

ゆき子さんと贋作さんの対比も良かったです。
結局、初めて出会った時からゆき子さんも贋作さんも相棒に心底惚れ込んでいたわけですね。二人はあらゆる点で正反対でありながら、その一点に関しては同じでした。

誰もが本気で戦う中で何かを失い、何かを勝ち取ります。その中で、誰かから何かを奪い、あるいは与えることもあります。
ゆき子はかつてユーリの自由を奪い、生きる意味を与えました。そして今、ユーリを失う代わりにメガロニア主催者としての誇りを獲得し、本物のボクサーたちに最高の舞台を与える。
贋作はかつてジャンクドッグの誇りを奪い、生きる術(メガロボクス)を与えました。そして今、ジョーを「本物」に育て上げ、視力を失う代わりにジョーの誇りと将来を守り通した。
ゆき子も贋作もリングには上がらずとも戦い続け、誇りと呼べるものを手にしたのではないかと思います。


メガロニアとは何なのか、どんな意味を持つ大会なのか、今回描かれたと思います。
「メガロニアのリングでなければ意味が無いんです」というユーリの台詞はゆき子とジョーを繋ぐ言葉でもありました。

1話でジャンクドッグはゆき子とユーリに「何がメガロニアだ。あんなもんただの殴り合いじゃねえか」と言って二人の逆鱗に触れている。ですが、荒んだ地下リングしか知らなかったジャンクドッグはメガロニアのために命懸けの試合をいくつもこなし、今やジョーという名前を手に入れた「本物」です。支払ってきた代償、乗り越えた艱難が大きいからこそ、メガロニアでユーリと戦えることがジョーの誇りとなっている。

ゆき子も今回「どうしてここまでする必要があるの?たかが殴り合いのために」と言っています。ゆき子はずっとギアを重要視していましたし、ボクサーではない彼女がギアの無いメガロボクスに命を懸ける理由がわからないのは仕方がないと思います。
苦しむユーリにゆき子は「もう一度ギアを付けて気高いあなたに戻るのです」と言いましたが、初めて出会った時からゆき子はユーリの気高さを感じています。
オーナーとしてはユーリが勝つことが悲願でしたが、ユーリが自分の元を離れ開催者として中立の立場になった今、ジョーとユーリのどちらが勝ったとしてもメガロニアは彼女の誇りになり得る。
そして今、ユーリというボクサーに対する敬意から、ジョーの戦いをも認めるに至ったのですね。

ジョーの「良いのかよ。倒しちまうぜ、チャンピオンを」という言葉に対してゆき子は少し笑いましたが、何を思ったのかはわかりません。ただゆき子が試合を楽しみにしているのは間違いないのではないでしょうか。

そして次回は最終回。終わってしまうのですね…;;
ジョーは連戦でダメージが蓄積しているし、ユーリもギアを外したばかりの酷い状態だし、二人とも傷だらけで戦うことになるのがちょっと心配。二人とも無事に試合を終えられることを祈ります。 {/netabare}(2018.6.25)


・ユーリの犬について・
「わんこ可愛いよわんこ」って言いたくて…
いえ嘘ですw
{netabare}
気づいてる人も多いだろうけど、犬は一個のキャラクターというよりもユーリの内面を表現するためのギミックである、という話。

11話のラストシーンで明確になったと思いますけど、それ以前から犬の名前が呼ばれないのは気になっていました。登場当初の樹生を激しく威嚇したのも、主人であるユーリを良く思っていない人物だからというのもあるし、ユーリ自身が多分樹生を嫌い…というか、根本的にそりが合わない人物であったから。12話では威嚇しなくなっていて、和解の演出として明確な意図が感じられますね。
それに犬が撫でられるシーン一度も無いんですよ、確か。ユーリ自身が樹生を威嚇する犬を宥めたくらい。ゆき子さんやジョーにも撫でられていないのは、飼いならされた家犬という印象を持たせたくなかったからかな、と。今回ユーリが手術後に酷く苦しんでいても、犬は微動だにしていません。キャラクターとしての犬なら主人の苦しむ姿に取り乱す方が自然ですよね。ユーリの決意と本質は何も変わっていないという安心感がありました。
ユーリの王者の風格を損なわず感情をしっかり見せる心憎い演出ですし、キャラクターを理解する上で大きな手掛かりとなっているので注目していました。

…わんこ可愛いよわんこ(*´∀`){/netabare}(2018.6.25)


第13話「BORN TO DIE」{netabare}
意外と予想したことが外れたね。ゆき子さんが試合を見なかったのは意外。
あと犬は今回一気にキャラクターって感じになりましたね。作中で初めて撫でたのは樹生だった…可愛かったwユーリがギアを外して自由になったから、本心を他の存在に仮託する必要は無くなったのだろうと思います。

最初にあえて不満を言っておくと、試合のシーンはもっとがっつり見たかったです。ずいぶん前からドラマ性を重視していることはわかっていたけれど。
耐えに耐えてチャンスを掴むのがジョーのスタイルなのはずっと変わっていませんから、これまでの印象と近い試合になるだろうということも理解しています。それでもOP無しでもう1分半長く見たかった。演出的にOPを入れることを優先したのかもしれません。


でもそれ以外は本当に素晴らしかったです。
因果関係がしっかりしたハッピーエンドが何よりも嬉しいし、人間ドラマとしては非常に好み。試合描写もアニメ的な外連味は少なく地味でしたが、ドラマとよく噛み合っていて素晴らしかったです。
水滴の演出、OPの演出、キャラクターの瞳に何かが映り込む演出を最終話まで入れていて、本当に集大成でした。贋作さんのサングラスに映り込むジョーの姿にはぐっと来ました。

今回一番印象に残ったのはユーリとゆき子の関係と、番外地ジムの後日談。

前回ユーリとゆき子はそれぞれに一人で戦う道を選びました。
それでもユーリにはリングに上がれば誰かと何かしら関係性がある。4話からずっと描かれてきた観客の応援と熱狂も、ボクサーへの敬意を印象付けるものでした。
ゆき子は決勝戦を観戦することはせず、軍へプレゼンテーションに向かいます。彼女は兄ともユーリとも決別し、自身の夢のために一人で戦い続けることを選びました。兵器ではなく人間の身体機能としてのギアにこだわるということは、軍事関係者との契約もひとつの過程に過ぎないのでしょう。
それでも、一年後の様子からはメガロニアもゆき子にとっては大切な大会であること、たまに番外地ジムに顔を出していることがわかります。

後日談で良いなと思ったのは、皆の関係に壁が無いこと。認可地区も非認可地区も関係ない集まりになってますね。子ども達は元気いっぱいだし、関わった人たち全員登場してるし、ただの仲介役だよって言ってた藪沼さんまで来てますし。
ジョーは人を育てる方に行くのか…。意外だったけど納得もしました。1話を観返すと、いかにジャンクドッグが周囲から断絶された存在かわかります。そこから脱却した今、ジョーが一人っきりで生きる子どもを放っておけないのはとても納得する。もともと子ども好きなのはわかっていましたからね。

ユーリもジョーも試合で完全燃焼し引退、この戦いの中で得たものを次世代へ伝えていく。とても良いラストだったと思います。{/netabare}
(2018.7.2)


【BDBOX1について】 {netabare}
もともと加工を加えたり拡大縮小したりして荒い線にしている作品なので、鉛筆線みたいな細かなニュアンスが鮮明に見られます。でもBDで見て一番驚いたのは画質よりも音声。録画したものとは音質がすごく違う。効果音や音楽の素晴らしさがよく解ります。
作品内容に関する特典が充実しているのも良かった。

森山洋監督はメイキングのインタビューでこの作品を「ジョーの人生で一番輝いた三ヶ月間」と語っています。その言葉を聞いて、他の競技だけど同じような例(おそらくその選手が現役時代において最も輝いた半年間)をリアルで見たことを思い出しました。
私が本作にハマったのは必然でしたねw

・BDBOX1特典新作ショートアニメ“BEFORE THE ROUND ONE”・
イラスト(止め絵)に音声を乗せたピクチャードラマという感じです。
贋作さんが名無しの青年(後のジョー)を拾ってから、あのオンボロギアと「ジャンクドッグ」というリングネームを手に入れるまでの物語。
…短いのであらすじ書いただけで思いっきりネタバレになっちゃうけどw
いやはや、「ジャンクドッグ」が「ジョー」になってくれて良かった…これは後から出した方が良いタイプの前日譚だなって思いました。 {/netabare}
(2018.8.2)

【BDBOX2について】{netabare}
キャラクターデザインと美術のお話。やっぱり監督の采配がしっかりしていたようです。特典冊子に第9話の脚本と絵コンテが載っていて見比べるのが楽しいです。やっぱり9話はキー回ですね。

オーコメは樹生の話が多かったです。
「あしたのジョー」にはなく「メガロボクス」にはある要素。私はそれらをある意味全て背負ったのが樹生であったと思っています。
彼には元となるキャラクターが存在しませんし、試行錯誤する中で作られたのだそうです。本作を本作たらしめているのが樹生だと個人的には思っているので、声優さんにもスタッフにも愛されているのが嬉しかったり。
9話は「ギアレスジョーが完成する話」という発言も聞けました。樹生は白都の名前を捨て、ジャンクドッグはジョーの名前を自分のものにするストーリーでもあったんですね。最初の予定では9話のラストが樹生というキャラクターのクランクアップだったようです。
ユーリ役の安元さんからは樹生が自分を生きたからこそその姿を見てユーリもギアを脱げた、というような言葉も。

・BDBOX2特典新作ショートアニメ“AFTER THE ROUND FINAL”・
車椅子で昔所属していたジムを訪れ、かつて自分を拾ってくれた恩人と過去を語り合うユーリ。師弟関係についてはジョーと正反対で、和やかで良いお話。
ビジュアルイメージが明確で音楽・音響に力を入れてきたこの作品はピクチャードラマがとても良く似合いますね。{/netabare}
(2020.2.16)

【ギアについて】
これは人間ドラマのためのギミックであることは間違いないので、それで納得できない人は一定数いるとは思います。あにこれのレビューではwaon.nさんが鋭い指摘をされていますね。
私も何回か見て整理した内容を個人的に記しておきます。
{netabare}
重要なのは、ジョーの目的が勝敗ではなく「ユーリと最高の試合をしたい」ということ。その点から、ギアは純粋なスポーツに帰っていくドラマを描くギミックなのではないかなと。
純粋なスポーツというのは、この作品では「対等な条件下で最高の試合をし、それを観客が納得して受け入れ歓迎すること」ではなかったかと思っています。

ジャンクドッグが臨む地下の賭け試合では、観客は自分の金が絡むので当然下衆な見世物になる。そこに選手の尊厳や観客の賞賛は生まれる余地はありません。
メガロニアではショー的演出があった所を見ると、当然スポンサーがいて、興行の側面もある。ゆき子の一体型ギアを売り込む目的もユーリにとって足枷でした。ゆき子と樹生のギアへの考え方の違いが描かれたのも重要で、ギアの有無だけでなくコンセプトの違いもまた選手の身体能力に影響します。

しかし、ユーリがジョーと対等に戦うためにギアを外してオーナーとの契約も解消したことで、二人ともギアもスポンサーも失い公平な勝負になるわけです。
身一つで戦い勝ちたいという選手の情熱と、素晴らしい試合に熱狂する観客が、メガロニアを最高の舞台にする。勝敗を決するのは肉体と精神と技術だけ、全てのしがらみを越えたスポーツの理想の姿ではないでしょうか。

私はギアの在り方についてはそれで納得しています。
{/netabare}
2期はギアがどう描かれるのかも含めて楽しみですね。1期ももっと色んな人が見てくれたら嬉しいな。
(2021.4.18)

投稿 : 2025/03/22
♥ : 42

waon.n さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

あしたのジョーを久しぶりに感じた。ネタバレしてない…はず

 正直に言います。
 期待していませんでした。
 というか、私の中で少しノスタルジーに駆られて1話観てみようって事でチラ見のつもりでNETFLIXにて視聴してみたのですが、最後まで止まりませんでした。
『あしたのジョー』はまだ小学生の頃に見た記憶だけれど、テレビ版の再放送だったのか、劇場版をテレビでロードショーとして流していたのを見たのかは忘れました。
 でも、今でも鮮明に思い出せるシーンが数多くある。……っと長くなってしまいそうだが、あしたのジョーのレビューじゃないので、割愛。
 まぁそういう昔の美化された思い出ってそれを超えるのは正直無理だろうし、話数的にもメガロボクスは短いので、できることは限られる。
 その限られた時間の中であの濃密なドラマを演出しなければならないというのはこれは監督、シリーズ構成、脚本、演出、どれも難しい仕事になるというのは想像に難くない。
 『あしたのジョー』は、ジョーと力石は重量級の違いもあってなかなか試合をすることができなずにいる。
 ジョーがいくらランキングを上げてもそこには体格の差が立ちはだかる。
 それを可能にするのが減量という、十字架で、これを力石は背負う事になった。
 じゃあ、ジョーは? 彼は貧しいという十字架を背負って勝ち上がる。逆境から勝利へのカタルシスが半端ないし、当時『あしたのジョー』という作品があれだけヒットしたのは、時勢的なものもあったでしょう。
 正当化された暴力、強さへの単純な羨望もあったのかもしれない。
 ともあれ、そんな境遇も階級も違う二人だからあれだけのドラマが生まれたんだと今の私は少し理解できる。

 メガロボクスにおいては、重量級という差を無くす為にギアというプロットデバイスがある。
 んでもってこいつの着想はなかなか面白く、貧富の差が性能の差に現れる。我々の住んでいる現実なら、こういうプロ対プロの試合でマシンを使うのであれば、どちらも同じだけの資金を割と投入できる環境で勝負するのだろうが、この作品では「メガロボクスは誰にでも拓かれている」という言葉どおり市民権があれば誰でも参加資格を得られるらしい。
 一つのデバイスで重量級の差を無くすこと貧富の差を浮き彫りにする事の二つの要素を持たせるこの道具の存在は上手いなと感じる。
 これは結局物語を動かすためだけのプロットデバイスであるので、これを上手に使って相手を倒すとかいったお為ごかしには使われないのが、さらに良い。
 これメガロボクスである意味なくない? とか言う感想を持つ人がいたら聞いてみたい。じゃあどうやって貧富の差と重量級の差というものを解決しつつ13話で面白くしつつ、しかも、サブキャラの背景まで掘り下げるんだい?
 これはそれだけで良かったんだと私は思う。

 演出に関しては、勇利と力石、力石のあの鬼気迫る表情が現代に蘇った。ジョーはちょっとキャラが難しかったのか、あの飄々で無鉄砲で周りを顧みないスタイルになりきれなかったかな? 声優の細谷さんのキャスティングかなー? なんて感じるけれど、見た人はどうなんだろう?
 この世界観のは懐かしさもあり、未来的な感じもあり、AKIRAやブレードランナーのような雰囲気も少しするので好きでした。

 また、音響が痺れる!
 1話目の勇利とジョーが初対峙するシーンなんか色々最高です。ここ観て私は引き込まれました。
ここまで見てもらえれば、あしたのジョーが好きだった人は最後まで見てしまうだろうと思います。
 彼らのドラマがどうなるか、分かっていながら見てしまうんです。その過程が楽しいんです。
 丹下段平が立つんだジョーと叫ぶ。南部贋作が立つんだジョーと叫ぶ。どっちが好きになれる?私は南部贋作が本物にしたジョーに立てと叫ぶその瞬間に感動しましたよ。
ではよしなに。

投稿 : 2025/03/22
♥ : 7

ossan_2014 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

実存のゆくえ

【誤記修正】

50周年を迎えた『あしたのジョー』のアニメ化。

原作を再消化し現代によみがえらせたアニメ化だが、感想の前に、少し原作を振り返っておきたい。


原作の『あしたのジョー』については、マンガ批評家の夏目房之助による分析と批評が最も説得力がある。

梶原一騎と ちばてつや というまったく異なる巨大な才能同士が互いに一歩も引かずにぶつかり合った結果、『あしたのジョー』というマンガは、両者の得意とするいずれの領域とも全く異なる、第三の地点へと、作品の像が結ばれることになった。

ぶつかり合う個性が、梶原的な「右翼結社のユートピア」とも、ちば的な「貧民共同体の楽園」とも異なる場所へ作品を押し出したのだが、『あしたのジョー』は「世界に投げ出され、単独で世界と対峙する」青年の実存という、両者のいずれの個性からもかけ離れた物語として奇跡的な像が結ばれたということだろう。

終幕へ進むに従い、登場人物が次第にジョーから離れ、段平すらも存在感をなくしてジョーが孤独化していく印象は、まさに「唯一無二の私が全世界と対峙する」青年の実存が純化してゆく必然だ。

孤独に世界と敵対する青年の実存は、観念の吸引をも必然化する。
生命の危険を無視するようにボクシングへのめり込む展開は、スポ根の「克己心」の表現ではなく、世界の具体性から逸脱して「観念」に憑依されていく現れだ。
終幕にやや唐突に登場する「真っ白な灰になりたい」というセリフは、もはや「チャンピオンになる」といったスポ根的努力への「報酬」という実体性が無意味化して、破滅も辞さず「果てまでゆく」、生命を燃焼させたいという「観念」の呪縛に囚われきったことを示している。

そうして「果てまでゆく」観念に導かれるまま、最終戦では、すべての登場人物は単なる傍観者と化して「試合」の特権的な場から排除され、単独で世界と対峙する「青年」は、真っ白に燃え尽きて実存を生き切るラストを迎える。

20世紀的な青年の実存と観念の必然を描いた原作マンガが、あの時代に熱狂されたのも当然だろうか。


本作において、メガロボクス参戦に先立ってまずIDを偽造しなければならなかった主人公は、IDカード=アイデンティティ・カードを持たない=アイデンティティのない、世界の中に存在の基盤を持たない人物として登場する。
すなわち、「世界」の中に裸のままで単身投げ出されている、一人で全世界と対峙するものとして。

だが、明らかに空疎であるはずの自らの実存を埋める「観念」にしては、しゃにむに「戦い」を求める描写には「呪縛力」が希薄だ。
むしろ、世界と対峙する自覚すらない、空虚の人格化にすら見える。

虚空のかなたの「果てまでゆく」観念の呪縛を感じさせるのは、ライバルのチャンピオン、ユーリのほうだ。
すべての実績も、約束された栄光もスポンサーもパトロンも捨てて主人公との試合に挑むチャンピオンは、他者に誇示する栄光としての「勝利」ではなく、「観念」としての勝利、強さという「観念」に憑かれているのだと示されている。

現代において、「観念」の呪縛を説得的に描き出すには、まずチャンピオンという「勝者」が、持てるものを投げ捨てる描写が必要であったのかもしれない。
何も持たない「野良犬」が、実存の空虚を「観念」で埋めることは、現代では必ずしも必然ではないのだろうか。

しかし、ユーリの「観念」の呪縛を生み出すものは、「野良犬」である、アイデンティティを持たない空虚な主人公との試合だ。

何も持たずに「単独で世界と対峙」して「観念」に憑かれる『矢吹丈』を現代によみがえらせるために、矢吹丈は、主人公とユーリの二人に分離したのだといえるだろう。

そうした意味では、最終戦の結果は、もはや重要ではない。
矢吹丈の分身である両者がグラブを交えた時点で、「矢吹丈」は「一人」に統合され、「真っ白な灰」=観念の浄化はすでに成就しているともいえる。

ラストシーンの、見方によっては拍子抜けする穏やかな描写は、観念の浄化の向こうの現代的な表現なのだろう。
ようするに、その後のことは「どうでもいい」
原作マンガのラストシーンの後に何を付け加えても蛇足であるように、意味のある描写は何をもってきても蛇足なのだから。

それでも敢えてラストシーンが存在するのは、プリズムを通過した光が分光するように、「矢吹丈」が現代という装置を通過して主人公とユーリへと分化した、現代的な偏差のためかもしれない。


こうした本作の感想は、しかし、本作が『あしたのジョー』のアニメ化である、という了解があって生まれたものだ。
それゆえ、冒頭では長々しく原作マンガについて記述した。

別に作品の宣伝文句まで作品の一部として組み込まれているとは思わないが、気に止めてしまった以上、感想は影響を受けてしまう。

この情報がなく、単体で本作を視聴したならば、主人公の動機も試合でのランクアップも、ともすれば単なる上昇志向と承認欲求に駆動されるルサンチマンのように見えかねない。
最終戦を前にしたユーリの振る舞いも、「男の美学」とか「戦士の矜持」のような類型性に陥ってしまうだろう。

そうなれば、主人公の造形が動機が薄っぺらで、チャンピオンの行動が理不尽なご都合主義に受け取られかねない。

それはそれで、異世界もののような、主人公がシンプルな動機で勝利を収め続け、周囲の人間と分かり合って受け入れられるラノベ的感性のアニメ作品として観ることもできるだろう。


しかし、「原作」が心に引っかかってしまった以上、「観念」の「果てまで」行って再び人の輪に回帰してくる展開は、現代で視聴者の「承認」を得るためには、「果て」で燃え尽きる結末はあきらめざるを得なかったのだな、と思わずにいられない。

観念に憑かれることが必然であった20世紀青年の「実存」と、現代の青年の「実存」のありようが変わってしまっている現れのようにも感じられた。

投稿 : 2025/03/22
♥ : 8
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