2016年度のおとぎ話アニメ映画ランキング 1

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早速見ていきましょう!

69.2 1 2016年度のおとぎ話アニメランキング1位
ソング・オブ・ザ・シー 海のうた(アニメ映画)

2016年8月20日
★★★★☆ 4.0 (30)
118人が棚に入れました
アザラシと人間の女性の双方の姿を持つ妖精と人間の男の間に生まれた兄弟が主人公。ふたりが遭遇する冒険を描く。

声優・キャラクター
【吹替版】本上まなみ、リリー・フランキー、中納良恵、深田愛衣、喜多川拓郎、水内清光、高宮武郎、花輪英司、磯辺万沙子

薄雪草 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

神話と現代とに、絆をかける白き妖精

アイルランドに古くから伝わるケルトの精神性をふんだんに盛り込みながら、現代社会の家族の有りようにもそっと想いをにじませるように作られた良作です。

監督のトム・ムーア氏(46歳)は、「トトロ」や「もののけ姫」にインスパイアされたとのこと。
大切なものを取り戻そうと先の見えない運命に立ち向かう姿が描かれているのも、なるほどと頷けるシナリオです。

カルチャーバイアスが少なめの子どもにとっては、"いつかは夢が叶い家族が幸せに暮らす" という分かりやすいお話になっています。
そうでない大人にはちょっととっつきにくく、"閉じ込めた感情へのアプローチとリカバリー" をどうにか読み取れる内容になっています。

世界をどう捉え、自分らしく生きることにどう関わるべきかといった、人間的な深みを求めるテーマなのでしょうね。

ところで、この物語を愉しむためには "セルキー" という言葉を覚えてください。
アイルランドの民間伝承に伝わる生き物、"妖精アザラシ族の少女" の名前です。


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ケルト文化と言えば、アイルランド、イングランド、フランスをつなぐ沿岸圏域を中心に広がりを見せた文化です。
なかでも、アイルランドの神話には、"ある働きをする女神が、その土地の力(産土力=うぶすなりき)を発現させるキーパーソン" として、象徴的に描かれるのが特徴です。

"セルキー" の出自は、民俗学的には、アイルランドというよりも、その北にあるスコットランド、さらに400㎞の北にあるフェロー諸島の伝承にたどることになります。
もうちょっと北のアイスランドにも、似たような伝承が残っているようです。

この "セルキー" を神話ベースで辿ってみると、実は、全く違うエーゲ海域のギリシア神話、 "セイレーン" に行きつきます。(およそ3500年前)
"セイレーン" はサイレンの元になった言葉で、美しい歌声で船乗りを誘惑し、船を座礁させ、食い殺す半鳥半人の怪物です。
ちなみに、スターバックスコーヒーのロゴデザインの元キャラでもあります。

人魚姫的なお話なら、一般的には、ローレライ(ライン川の水の精)や、メロウ(アイルランドの人魚の妖精)が代表的です。いわゆる "マーメイド" につながるキャラたちです。

有名な「人魚姫」は、19世紀にアンデルセンが各地に伝承されたものを想像逞しく二次創作したもの。
しかも、ディズニーの手によって全世界に拡散され、画一的な規格品にされてしまったというオチです。


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話を戻しますが、"セルキー" で興味を引くのは、アザラシ族の由縁と形態です。
そもそも "セルキー" は半獣半人族。元の姿は人間そっくりなんです。
おそらくはギリシア神話のポセイドンやトリトーン族をその形態の元祖に持っているからと思われます。

ちなみに「コパコナン像」で画像検索していただけますと、その実像?がご覧いただけます。
コペンハーゲンのマーメイドの系列とは全く別物だとすぐに分かりますよ。

さて、妖精アザラシ族のセルキーは、アザラシの皮を被ると素のアザラシに形態を変えて、海に潜れるというのが伝承のようです。
現代に置きかえれば、潜水服かウエットスーツの類いというわけですね。
それがないと元の世界には戻れず、あれこれと悩ましい運命にも巻き込まれるというのは昔ばなしの "鉄板" です。


実は日本の伝承民話にも同じようなモチーフがあります。
・・・・「羽衣伝説」です。

わが国で最も古い能には「羽衣」という演目がありますし、「竹取物語」だと月に帰る時に羽織りますね。
ヨーロッパでは「白鳥処女伝説(はくちょうー)」が元の話のようですが、その元はインドのバラモン教に伝わる「リグ・ベーダ」(約3000年前)のようです。

ですから、"セルキー" は、セイレーンを出自とする「羽衣伝説型&異類婚姻譚」の「北大西洋版」と言えるかと思います。
ギリシア・エーゲ海を母体として、世界の全域まではるばる伝わるなんて、古今東西を問わず、普遍的な面白さがあるって証拠ですね。

どんなにアツイ情熱で、語られ、伝わり、迎えられ、定着したかに思いを馳せると、「羽衣伝説型&異類婚姻譚」は、今も昔も、どこでも誰でも、みんな同じような気持ちになるのかなぁと微笑ましく感じます。


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さて、本作を地理学的な側面でアプローチすると、アイルランド近海にはメキシコ湾流(世界二大暖流。もう一つは黒潮。)が流れ込むので、案外とアザラシにも過ごしやすいのかもしれません。
そう思うと、冬季に人間がブルブル凍えても、海獣にはまだ温かいわけですので、冷たい海の底に不思議な異世界があるかもと、人間が勝手に想像したというのも頷けそうです。

また、宗教的な角度から探ってみると、キリスト教(主にカソリック、600年頃)が根付くまでは "ドルイド教" という自然を崇拝する価値観が定着していました。
これは日本の古神道と仏教との時代性・関係性にたいへん似通っています。

異教間の融和政策として、相互扶助・公共性・道徳心といった高次の精神性や、自他共栄という社会的規範が付加されていくのは、コミュニティーの支配・統制にはよく聞く話です。
ゆるやかな文化の熟成過程や、さりげない生活習慣の浸透にも、影に日向に親和性や融和性が図られたというわけですね。

そのプロセスで、ドルイド教の土着の神々が、キリスト教の聖人たちに吸収・同質化されることで、次第に崇敬が薄まり、やがて出自を忘れられ、ついに "埋没神" に追いやられただろうことは容易に想像できるでしょう。


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さて、本作のモチーフにもなった「SONG」です。 

これは "子どもを思う母心としての子守歌" であることは言うまでもありません。
また、母と娘の関係性から見れば、母性=出産への畏怖と憧憬を秘めた "口伝による無形の継承行為" とも取れそうです。

母から子どもへのプレゼントは、理屈を超えて、生命への尊厳と世界への愛情を含ませています。
受け継ぐ子どもたちも、耳をそばだて、未来へとバトンする "エール" として記憶し、歌い継いでいくのでしょう。

そんな視点と立場性とで視聴すると、本作が遠いアイルランドで制作されたにもかかわらず、どこか懐かしい親しみを覚え、生命観への同質性に安堵するような不思議な気持ちになります。

ところで、アイルランドには「1日のなかに四季がある。」という言葉があるそうです。
同じ島国としてのそうした相似性は、海の恵みに生かされている幸福と、四季折々に感じる繊細な情緒のなかに、ケルトのメロディーやフレーズが琴線に触れる想いにつながるのかもしれませんね。


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物語は、母親が幼い男の子に歌って聞かせる子守歌から始まります。
その言霊は、のちに閉ざされた扉を開く重要なカギになっていくのですが、序盤に明かされることはありません。

もしかしたら、字幕版と吹替版のどちらを先にご覧になるかで、それを受け止める印象が違ってくるかもと思います。
私は、初めに字幕版を観て、"字と音" を同時に追いかけたので、よけいにそう捉えたのかもしれません。

というのも、ケルト文化は長く文字を持たなかったというのが特徴です。
であれば、文字を追いかけて頭で理解するよりも、言葉や音をそのまま感じとる方が、心に深く響くのかも知れない。
そう思いました。


さて、母親は二人目の出産を直前にして、唐突に家族(夫と男の子)に別れを告げます。
そして産み落とした女の子を残したまま、どうしてなのか海中へと姿を隠してしまうのです。

やがて女の子はすくすくと育ちますが、父と兄とは何かしらのディスコミュニケーションが生じているようです。
やがて・・・あれ? この子の声は??と、気になり始めるのですが・・・。

実は、この時点までお話が本当に一気に進んでしまうので、物語のコンセプトとか、キャラの動機とかが非常につかみにくかったです。
相関関係がどう繋がっていて、どんな流れになっていくのか、考える時間を与えられないままに放り出されます。

その意味合いでは、ケルト文化をモチーフにしたアニメ作品って、さすがにちょっとハードルが高めかもと、げんなりしそうになります。
でも、それが監督の狙いだとすれば、サツキやメイがトトロと出会うのも唐突でしたし、アシタカとタタリ神とのいきさつも似たようなものなんですね。

言うなれば、古事記にある天戸開きや、黄泉比良坂の段のような、摩訶不思議な物語に初めて触れたような感覚です。
そんなわけで、本作品の視聴それ自体が、見も知らぬ異文化世界の扉を開くチャンスと捉えてみても良さそうです。


遠い神話と近しい日常とをベースとして、海と陸、海獣と人間、母性と社会という対比を置きつつ、"SONG" を媒介させることで、調律(と自律)する生き方を問うている気配です。
そんな含みを感じながらでしたので、紆余曲折な展開の果てにどんな収束を見せてくれるのか、キモチを粘らせることができた?みたいです。

子守歌や昔ばなしは、未知の文化との出会いと入り口。
あるいは、埋没へと追いやられた神々の語れぬ想いとの再会とも言えそうです。
時と場合によっては、好奇心や探究心への強いきっかけになったり、常識の重い扉を開いていく秘鍵とはたらくのかもしれませんね。


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気になるファクターを一つだけピックアップすると・・・。

女の子は、お母さんと会ったことも、お話ししたこともない身の上なんです。
会って話しているのは、夫と息子、そして義母なのですね。

妻、母、嫁との断絶がそれぞれにあるっていうのが、お話の前提になっていて、加えて、娘は失語症になっている。
これは、社会的なディスコミュニケーションの一つの様相を示しているのでしょう。

ポイントは、一つには、命を産み子どもを育てる母の価値と役割への大きなアンバランスがあるということです。
二つめは、ものを言えない弱い人が、大切にされているように見えていても、本人の意思決定には寄り添いきれていないということです。

だからこそ、神でもなく人でもない "海の妖精セルキー" という第三者が、本作のキーマンになっているのです。
何の力も持たないとされてしまうか細い存在が、神にも人にも共通する大切なバリューがあることを気づかせてくれるのです。

加えて、子どもの意思への配慮や尊重、シングルファザーへの期待と責任とが描かれるのも、一つの家庭像をさり気なくアピールしていると思います。

まとめると、子守り歌や昔ばなしなどの、半ば非科学的に思われる価値にしっかりとコミットメントすることで、神代にも現代にも共通するバリュー、私はそれを共生と考えますが、表現しているように思えます。


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終盤になると、とても古い巨人(ドルイド教の神さま?)の哀しみだったり、陸と海に分かたれた境界線だったりが俎上に乗ってきます。

妖精の歌の役目は "家族愛のリクリエイト" なのかなって思えるような演出ですが、ケルト神話には全く疎いので正直よく分かりません。
「トトロ」や「もののけ姫」ではどうだったでしょう。

でも、そこには自然界の厳然としたルール、例えば生産性の低さや分配の課題などがあって、ともすれば力のある巨人の神さまでさえも、コミュニティーから外され隔たれるという厳しさ、難しさがあるかのようでした。


一見ではなかなか理解しずらい作風でしたが、ケルト文化に触れられたという意味では良作でしたし、ケルトミュージックも耳に心地よかっです。

レヴューを書くにあたって調べものをしたり、あれこれ咀嚼しながら書き綴るのは何となく楽しかったです。


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語らぬ少女は、時をつなぐ妖精の歌い手。

無垢を発する声は、忘却された夢を思い出させる愛のララバイ。

眠れる巨人の涙のやるせなさを慮(おもんぱか)る救いのわざです。


真白き妖精は、かつて神と人とがむつみ合い、信じあった心に、もう一度、光と愛とを灯らせる使者だった・・・。

"ムスビ" の神の代行者だったのですね。

投稿 : 2024/11/02
♥ : 13

けみかけ さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

レフ・アタマーノフが60年前に手掛けた『雪の女王』の呪縛を遂に打ち破り!宮崎駿の『崖の上のポニョ』を吹き飛ばすかのような勢いの!!そんな作品が遂に現れました!!!

舞台はアイルランドのとある岬
幸せそうな3人家族が灯台に暮らしていました
母の体の中では新たな命が今まさに産声をあげんとする時でした
しかし突然に母は家を飛び出し、残されたのは父親と息子のベン、そして新たに産まれた妹のシアーシャだけになってしまいました
月日は経ってシアーシャの6歳の誕生日
一行に言葉を話せないシアーシャの時折見せる不可解な行動に苛立ちを隠せない兄のベン
妻を亡くした悲しみを未だ引きずったままの父親
そしてシアーシャの誕生日を祝いに遥々と街からやってきたが、岬での生活には強く反対する頑固な祖母
しとやかに行われた誕生パーティーの夜、母の形見に吸い寄せられるように近付いたシアーシャの身に不思議な事が起こった
それはベンとシアーシャ、幼い兄妹の大冒険への幕開けとなったのです
鍵を握っているのは母が残してくれた子守歌・・・


1957年、旧ソ連のレフ・アタマーノフ監督がアンデルセンの『雪の女王』をアニメ映画化し、それに感銘を受けた宮崎駿に多大な影響を与えたと言われました
しかし『雪の女王』ショックはその後も多くのクリエイターやファンを魅了しつつも、それを超越した作品の登場を許さぬ、いわば呪いの様な傷跡を残してしまったとオイラは考えてます


しかし2014年、遂に『雪の女王』を絶対王者から引き摺り下す作品が現れたのです、それが本作
そんな超傑作が日本からではなく、アメリカでもなく、フランスでも中国でもなく、ましてやロシアでもなく、なんとアイルランドから生まれたのです
正直、アイルランドのアニメ映画なんて聞いたこともありませんでした;
結果的にアイルランドのCartoon Saloon、ルクセンブルグのMelusine Productions、ベルギーのThe Big Farm、フランスのSuperprod、デンマークのNφrlumが各分野を共同で制作することで日米を遥かに凌駕する大作が完成したのです
監督は『ブレンダンと秘密のケルズ』のトム・ムーア


まずこの作品のお話でポイントになるのがケルト神話やアイルランドの伝説に登場するキャラクターが特に説明も無く次々と現れるところです
アザラシの妖精セルキー、おじさん顔の妖精ディナーシー、延々に伸び続ける髪の毛に物語を記憶しているシャナキー、フクロウの魔女マカ、巨人マクリルと二匹の愛犬・・・
どれもオイラ達日本人には聴き慣れないキャラなのですが、物語の中で各々の個性はハッキリと描かれ、すぐにどんな立ち位置を示すキャラなのかは理解出来る様になっているのが素晴らしい
変に説明臭い映画は即駄作ですからね


結論から言って最も大きなポイントになるのがアザラシの妖精セルキーの存在なのですが、これはアイルランドに伝わる‟人魚伝説の変形の1つ”の様で、そういった意味では『崖の上のポニョ』にも似た要素を秘めている作品とも言えます
ラストを締め括るのが家族愛という点でも酷似していますね
幼い兄妹の冒険という点は『となりのトトロ』を意識してると監督は仰ってますが、オイラはむしろこれこそ『雪の女王』だよなぁ、感じました


さて、『雪の女王』越えと言いましたがまずその1つに美し過ぎる映像面があります
絵本のような色彩と構図が全編に渡って絶え間なく続くのです
丸い円が家族を囲むようにして俯瞰で映し出すカットなど、映画では観慣れないレイアウトが多用されますが、これは丸が温かみや優しさを象徴する記号として機能している為で、キャラの造形等にも積極的に取り入れられていて、優しい心を持ったキャラ達は基本丸顔です
同じように四角形は固い、頑固な、退屈などを象徴
三角形は攻撃的、危険を象徴するなど記号を多用したシンプルなデザインや演出が、昨今複雑化している日米の作品のソレとは違ってとても洗練されていてスタイリッシュです
ちなみにアイルランド(というか世界的なアニメスタジオの多く)には作画監督は存在せず、スーパーバイザーの監修の下にアニメタ一人ひとりが責任を持って担当カットを作画するそうです
個々の総合力は日本のアニメタよりも高い集団だと言えますね
(その分、日本のアニメタは個性を尊重されているのですが)


小津安二郎監督の『東京物語』を参考にした、という場面転換の時に用いられるその場所を象徴する一部だけを映すカットも、カメラをやたら動かしたがる昨今のディズニー系作品へのアンチテーゼの様に思います


そしてアイルランドが舞台ということで象徴的な劇伴のほとんどは所謂ケルト音楽を得意とするバンド、KiLAが担当しています
民族音楽というかワールドミュージックの要素を積極的に取り入れたサントラは、神秘的なケルト神話の世界に更なる彩りを加えてます
もちろん日本のアニメと違って映像の完成後に作曲作業をしてますから、その親和性は日本のアニメ映画とは比較になりません
往年のディズニー作品のようなある種の“音楽映画”としても楽しめることを保証します
物語の鍵を握る“子守唄”も耳に残る一曲です


ちなみに日本語吹き替え版ではこの唄の為とも言えるキャスティングとして母親役にEGO-WRAPPIN'の中納良恵を起用しています
素晴らしく完成度の高い吹替でしたので特に拘りが無ければ吹替版をオススメします


そしてキャラの魅力
まずヒロイン、シアーシャがとても可愛い
正直ヨーロッパのアニメ映画に足りないのは魅力的なヒロインだと常々感じてましたが、今作のシアーシャがその悪しきジンクスを打ち砕きましたね
宮崎ヒロイン、ディズニーヒロインに負けじとも劣らぬ可愛らしい女の子です
そして物語を牽引することになる兄のベン
手が妬ける故に周囲の関心を惹く幼い妹シアーシャに対して、彼は嫉妬にも似たお兄ちゃん特有のコンプレックスを抱えています
この気持ちは同じ長男であるオイラには痛いほど分かるのですが、終盤になってくると冒険を経た彼の精神は一回りも二回りも成長しており、妹のピンチを身を挺して救います
彼の心の成長には誰しもが勇気付けられることでしょう


美しい映像、美しい音楽、個性的で愛らしいキャラ、興奮の冒険、愛と感動
往年の宮崎駿作品やディズニー作品にあったものが、この映画には全て詰まっています
全てです!
アイルランド映画というダークホース的な意味でもとても価値のある一作ですが、何より日米に何一つとして見劣りしていないという点は特筆したいですね
なぜこれほどの傑作がアカデミー賞を取れなかったのか不思議でなりません、アメリカ人の嫉妬か!?w
そしてソレが今日の日本で観られる、というのですからこの機会を逃すことは無いでしょう
ジブリが長篇制作から撤退し、ディズニーが2Dを放棄した今、この作品を越えるアニメ映画などこの世に無いのです
是非この映画を観てあなたも、歴史的傑作の誕生を目撃した【生き証人】となって欲しいです

投稿 : 2024/11/02
♥ : 10

ようす さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

海の歌。それは、神秘的な生き物たちを導くためのもの。

アイルランドの神話をもとに作られた
アイルランドの長編アニメーション映画。

神話をもとにしているからか、
全体的にとても神秘的な雰囲気でいっぱいです。

作画のタッチも大変美しく、
まるで絵本の世界をのぞいているかのようです。

こういう味のある作画のアニメはそう多くないので、
こうして出会えるととても嬉しいです。

90分ほどの作品です。


● ストーリー
幼い頃、母から聞いた、数々の物語。

アザラシの妖精・セルキーが歌うと
妖精が家に戻れる不思議な伝説など、

ベン(♂)は、母から聞く物語が大好きだった。

もうすぐ生まれる赤ちゃんを楽しみにしていたベンだが、
母は、妹・シアーシャを残し、ベンの前から消えてしまった。

声が出せず、言葉を話せないシアーシャ。
シアーシャを疎ましく思うベン。

シアーシャの6歳の誕生日。

父が隠していた不思議なコートを見つけると、
シアーシャは何かに引き寄せられるように海へ…。


余分な話もなく、
よくまとまっていて、

絵本を1冊読んだような感覚に近いです。

幻想的で、神秘的で、美しくて、
どこか正体がつかめない不安定さもあって。

世界観は少しつかみにくいところがありますが、
冒頭で母とベンが語る神話にちゃんと耳を傾けていれば、

世界観がつかみやすいと思うので、
これから観られる方は聞き流さないように注意してみてください。


この作品のトム・ムーア監督。
好きな映画は「となりのトトロ」と「もののけ姫」だそうで。

となると、今回は自分の好みを前面に押し出して作った作品なのだな、と
とても納得しました(笑)

絵本のような、どこか神秘的で
ファンタジー全開な物語が好きな方にはおすすめの作品です^^


● 音楽
水彩画のようなタッチの、
まるで絵本のページをめくっているかのような作画も好きですが、

音楽の雰囲気も素敵でした。
音楽がより幻想的な雰囲気を引き立てます。

特にテーマソングである「Song of the Sea」は、
その代表。

夜の海深くに沈んでいくような感覚…。

観ようか迷っている方は、
この曲を聴いて「自分の好きなタイプかも。」と期待できるなら、
絶対に観て損はないと思います^^


● まとめ
トム・ムーア監督は、この作品によって
これからを期待される監督として日本での注目度が上がったそうです。

私もこの作品を観るまで全然知らなかったのですが…^^;

しかし、この作品を観て、
すっかりファンになりました♪

監督のデビュー作である「ブレンダンとケルズの秘密」も
現在(2017年夏)日本で公開されているので、こちらも楽しみです^^

投稿 : 2024/11/02
♥ : 22
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