退会済のユーザー さんの感想・評価
3.7
物語 : 4.0
作画 : 3.0
声優 : 3.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
【ネタバレ有】「“言葉”にしなくては伝わらない心…。」
タイトルの「琴浦さん」とは、本作の主人公(兼ヒロイン)の“琴浦春香(ことうらはるか)”のことである―。
(ちなみにこの作品は、ホラー作品ではありません!安心して観て大丈夫^^ただし序盤は、鬱々し過ぎて嘔吐き(えずき)ますが…そこを乗り越えれば、涙と笑いがあなたを待っています!…というか視聴前、ホラーだと思っていた人いないのかな…?自分は、コックリさんのような“○○さんシリーズ”の派生かと思っていたんだけど…。)
タイトルにするくらいであるから、琴浦春香は“特別な人間”である―。具体的には、作中で唯一(死者は除く)、“超能力”が使える人間で―、その能力は“相手の心を読む”ことが出来る(=テレパシー)というもの―。
これだけだと、よくある…超能力バトルアニメ(「とあるシリーズ」など…)と勘違いしそうだがそうではなく…、この作品の基本は、徹底的なまでに、超能力者であるが故の“デメリット”を描くところにある―。
(少しストーリーに沿って見ていくと…)、春香は、見境なく人の心が読めてしまい…、子供の頃は、“心の声”と“普通の会話”との区別がつかなかったために周りを傷つけ、周囲からも忌み嫌われるようになっていった…。
同じようにして両親の心をさらけ出して家庭は崩壊し、挙句の果てには、最愛の母に「産むんじゃなかった」と罵(ののし)られ捨てられる―。
その後も転校する度に辛い経験を繰り返し、いつしか心を閉ざすようになるのだが…、主人公(兼ヒーロー^^)の“真鍋義久(まなべよしひさ)”と出会うことで、少しずつ笑顔を取り戻していく―。
(…というお話なのだが、あれ…?あらすじ書いてただけなのに泣けてきた…(涙)。いやホント…1話からこんなに幸せになって欲しいと思ったキャラいないよ…(泣)。)
察しの良い人は分かると思うが…、彼女は心が読めるが故に、「可哀想…」や「見てられない…」などという“哀れみの優しさ”では、心を開かない―(おそらく設定としては、そんな“普通の”優しい人間はいただろう…)。
けれど、この真鍋義久という“主人公兼(春香にとっての)ヒーロー”は、スケールが違う―。彼は普段から(クールな顔で^^)エッチな妄想をしており、春香が心が読めると分かった後も、羞恥心のかけらもなく妄想を繰り返す―(しかも春香で…)。
そんな“純粋なまでの不純さ”に翻弄(ほんろう)される春香だったが…、それだけではただの“主人公兼変態野郎”でこの物語は終了だ―。
(そうではなく)、彼の本当の凄いところは―、春香がいじめられていると分かるや否(いな)や、加害者のところへ行き、彼女にかまう理由を「好きだからだよ!」と、クラスの面前で堂々と言える、本当に“カッコ良いエロ野郎”なのである―^^(いやもう、心を読まれていると分かっていてもエッチな妄想が出来ることすら、カッコ良く思えてくるわ…って、えっ!?それは無い…??)。
この作品は、キャラも良いが“キャラ作り(というよりキャラ紹介)”も上手い―。
人は当然、初めて会った人に対しては、(良い悪いは別にして)仮面を被っているものである―(それは気を遣ってであったり、警戒心であったりする…)。
自分たち視聴者は、春香が心を読んだときは観ていて分かるから…、視聴者目線の流れとして―、まずそのキャラの表面的な“偽”の部分を見せ、心を読めるという春香の能力を逆手に取って、そのキャラの内面的な“真”の部分も同時に見せる―。そうしてその真の部分に、一人一人が心に持つ“弱い部分”を描くのである―。
(例えば、ESP研究会部長の“御舟百合子(みふねゆりこ)”の場合で言えば―、春香たちを、明るく陽気に部に歓迎しているように見せ、頭の中では超能力者であった母の自殺という辛い記憶を思い起こす…。それを(無意識に)春香に読ませることで、百合子の“表面的な(偽の)部分”と“内面的な(真の)部分”(であり弱い部分)を同時に描くのである…。)
自分はこの作品をかなり気に入ったのだが―、実はこの作品の評価を“低くする”人の気持ちも分からなくもない―。
というのも、(最近観てきた作品とは反対で)、この作品には敢(あ)えて読み解く“深み”はない―。実にストレートに、悲しみや喜び…辛さや楽しさを描き、涙や笑いを誘っている―。だからこそ、心理描写の深い部分で感動する人からすれば、涙や笑いの“安売り感”が否めないだろう―。
タグの“毎回最終回”とは、毎回感動できると言えば聞こえはいいが―、裏を返せば、前回が最終回(のような終わり方)なのだから、今回はまた“一から始まっている”ということ―。
それでまた今回で完了するのだから、人の心理や関係の“深い部分”を描く時間はない―。「どうしてそう感じるか…、考えるか…」という過程の部分は描かず、起承転結の“起と結”だけを描いている作品なのだ―。
けれど自分は、この作品のような“シンプルな心理描写”の作品があっても良いんじゃないかと思う―。
向こう(制作側)はこの作品を、完璧な作品にしよう…などとは思っていない―。むしろある一点だけでも、観ている視聴者に感じさせられればOKだというスタンスだ―。
なので、向こうが“ストレート”に攻めてきたのであるから、こちらも“シンプル”に受け止める…、それでいいのではないだろうか―。
実はこの作品には、物語の設定から作品そのもののスタンス(構成)に至るまで、統一性のある“共通のテーマ”がある―。
それは、“表層と深層を描く”ということ―。
春香の能力は心を読むことだが、実は相手の“深層心理”を読んでいる訳ではない―。対象相手が無意識に、(頭の中で)言葉や映像にするなどして“表層化したもの”を読んでいるに過ぎないのだ―。
なので、相手を本当に愛していたとしても…、喧嘩などをして本気で鬱陶(うっとう)しいと思ったその一瞬の心を、春香が読んだのなら、春香は「この人は本心で相手を鬱陶しがっているな…」と“勘違い”する訳である―。
彼女は自分の能力を忌み嫌いながらも、その能力が“万能”であり“真実”だと思っていた―。人の想いには、言葉にする部分と頭の中で考えている部分の2種類しかなく、前者が偽りで後者が真実だと(勝手に)思い込んでいたのだ―。
(笑っちゃうよね…。誰よりも人の心を読んでいたはずなのに、(普通の人よりもはるかに)人の心の本質を理解していなかったなんて…(涙))
最終回で絶縁状態だった母と再会し、お互いに気持ちを吐き出して喧嘩した後、初めて…春香は自分の能力の“本当の力”を知る―。
全ての気持ちを吐き出した後に残った母の想いは、産んだことが後悔だと言ったあの時の本当の心…自分自身の弱さを嘆く気持ちと、守ってあげられなかった娘へ詫びる気持ちだった…。
捨てられたあの時、母は確かに「産むんじゃなかった」と思ったのかもしれない…。けれどもっと“深い部分”では、全く正反対の“子を思いやる気持ち”があったのだ―。
そうして春香はようやく気付く―。
“言葉にしなくては伝わらない心”があることに―。
(そんなことって、人の心は読めなくても、人の心に触れてきた人なら誰でも分かることじゃない…?? …けれど春香は、心を読めるが故に心に触れようとはしなかった…。だからこんな簡単なことにも気付いてなかったんだよね…(涙))
この作品で言いたかったことはまさにこれだろう―。
便利に見える心を読む力があっても、結局のところ、読んでいるのが“表面的な部分”なのか“深層的な部分”なのかを判断するのは自分自身である―。自分の心が“未熟”なら、それがどちらなのかを判断出来ない―。
それって結局は、相手を“信じる”かどうかっていうこと…。心が読めない普通の人が、“信じている人の言葉を信じる”のと何も変わらない―。
心の中で何度「好きだ」と思われていても、真鍋に初めて(口に出して)「好きだ」と言われたときの春香の気持ちは、今までのそれとは比にならなかっただろう―。
どちらも本心で思っているのに、言葉で言われることはこうも違う―。
春香は真鍋と出会い、初めて親友や先輩や自分の居場所…、そして好きな人が出来てようやく、最も大切なことに気付いたのだ―。
(いや~ホント良かったね…春香…(泣)。この作品がハッピーエンドじゃなかったら、こっちが1話の春香状態になってたよ…きっと…。)
頭の中で“考える”ことと、口に出して“言葉にする”こととは違う―。
たとえそれが、同じ頭の中で考えたことであっても、“言葉にするかどうか”が本当は一番大切なことなのだ―。
そんな当たり前なことを、最高のED「希望の花」を繰り返し聞きながら、爆泣きしつつ感じた―。
(※ちなみにだが、OPの真鍋のコスプレ妄想シーンの“順番”が、何度か変わっていることに気付いたかな…??^^)
(終)