plm さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
小さな世界と、ささやかな懸命
結論からいうと、かなり面白かった。
観る前はあまり印象が良くなかった。周りの評判を聞いても微妙という話で占めていたし、
ここのレビューもざっと見たところ、「盛り上がりに欠ける」、「スケールが小さい」、
というような意見が目につく。いや、でも実際それは文字通りスケールは小さいんだもの(笑)
けれど、そのスケールの小さな世界と、何かに影響を及ぼすほどの力などないけれど
その小さな世界で生きる住人の、その住人自身が生きるための問題に立ち向かうことを、
綺麗に描き切った作品だと思う。
■"人間"は登場"人物"か?
いくつかレビューを読んで、この作品が微妙だと感じられる原因を分析してみた。
多くの人は、序盤のアリエッティとお父ちゃんが"借り"に行くところまでは面白く観られているようだ。
しかし中~終盤あたりでどうもつまらなくなったり、がっかりしたり、気勢を失う人が多いらしい。
それは多分、登場する人間の心情が理解できなくなるからなのではないかと思う。
例えば、少年が天井をぶち壊して突然の劇的ビフォーアフターをするシーンには、
なんでこんな無茶なやり方で家壊してんだよ!少年いいやつじゃなかったのかよ! だとか、
家政婦さんはなんでこんな意地悪いんだよ!でも悪役にしては弱いし盛り上がらないなぁ、だとか。
どんな考えで行動してるのかよくわからないし、何を描きたいのかわからない、みたいな感じ。
これについては人間の心情は大して重要ではない、と答えてしまってもいいんじゃないかと思う。
なぜかというと、人間は小人にとって"味方でもないし、敵でもない"から。
序盤で少年は落とした角砂糖を届けに来てくれたり、対話をしようとしているのは、
両者の歩み寄りであり、もしかしたら仲良くなれるかもしれないという希望を抱かせられることだろう。
しかし突然の屋根破壊改築は、人間が小人のために何かをしてあげたいというささやかな想い、
人間側からしたら美談としか思えないような良かれと思ってやったことだが、そこには完全に齟齬がある。
人間の善意は必ずしも小人のためにはならない、両者は相容れないという裏切りを描いたシーンだった。
家政婦さんにしても、とても邪悪な表情で意地の悪い人に見えるけれど、
それは小人の視点が入っているから。
未知の存在を見つけたら、まずとっ捕まえて観察したいと思うのは誰しもがもつ好奇心だろう。
それに、家政婦さんは小人がドールハウスの物を盗んだと思っているのだし、
小人の話を聞いていて、奥さんに見せたいと考えていたのだから人の行動としては至極自然である。
自然な行動であって、実は悪意はないし意地が悪いわけでもないのだろう。
けれどそんな自然な行動こそが、小人にとっては脅威。だからこそ、小人は人間に見つかってはならない。
"人間"の描写は、小人の視点と共に脚色を帯びているのだ。
だから人間視点として心情が理解し辛くなっているのだと思う。
そして自分は、この作品における"人間"は作品としての"登場人物ではなかった"んじゃないかと思う。
例えるならナウシカでいう王蟲、千と千尋でいうカオナシみたいな、知性を持った何か。
そういう異質なものとの触れ合いとしての役割をもつキャラクターであって、"人物"ではない。
こんな風に観たら、小人たちがいかに異常なものと対峙していたかを感じられるのではないだろうか。
■相容れないはずのものと、関わること
角砂糖を落してから、それを少年が届けにきてくれたこと、
これは歩み寄りのシーンだと思っていたので、これから仲良くなれるのかな?と予感させていた。
しかし、それを見たアリエッティは不愉快そうな態度のままだった。
ここらで突っかかりを覚えていたが、屋根破壊改築のところで確信に変わる。
ああ、こいつらは仲良くなることはできないんだ、小人と人間は相容れない存在なんだな、と。
この両者が関わり合うことは絶対無理だろうと思った。
だからママンの窮地で、窓を開くために両者が手を取り合うシーンで、不覚にも感動した。
大きい力と小さい力、両方があって開くことができた活路だったから。
噛み合うことのないはずの存在同士が、初めて対等な立場になれた瞬間であるように思えた。
こういう異質なものとの関わりっていうのは、ジブリにある普遍的なテーマって感じがする。
トトロのネコバス的な感覚が思い起こされた。
◆疑問コーナー
どこかのレビューサイトのコピペっぽいけど、
友達が貼り付けていった疑問が答え甲斐ありそうだったので、これについて回答してみる。
疑問1 なぜ人間に見つかっちゃダメなのか?{netabare}
これは家政婦さんの行動を見ても明らかなように、見つかったら好奇の目に晒され、
下手すれば嬲り痛めつけられることも有り得る。少なくともこれまでの平和な生活は失われるだろう。
{/netabare}
疑問2 なぜドロボーを借りと言い張るのか?{netabare}
小人側の視点だから。人間同士で他人の家のものを盗めばドロボーでしかないだろう。
けれど人間より力の弱い生き物にとっては、人間が多大な影響を持つため、それも環境となる。
{/netabare}
疑問3 ハルさんは結局何がしたかったのか?{netabare}
これは推測になるけれど、小人の存在を夢見るご主人の話とかを聞いていたのだし、
業者依頼する際も殺さないようにと言っていたことから、捕まえて見せてあげたかっただけだと思う。
{/netabare}
疑問4 ハルさんはなぜ少年に小人について話さなかったのか?{netabare}
単に他の人に邪魔されたくなかっただけだと思われる。
{/netabare}
疑問5 猫の心境変化の理由は?{netabare}
猫は飼い主が信頼している人物に対しては気を許すらしいので、
少年とアリエッティの心が通じたことを察したのだと思う。
{/netabare}
疑問6 少年が心臓病を患っている理由は?{netabare}
活発な少年だったら小人にとって敵っぽくなってしまうだろうから、
少年は歩み寄るタイプの人間として描くため、大人しい性格にする必要があって病弱なのだろう。
少年の手術が上手くいくかどうか、といったことはこの物語で言及することではないのだ。
{/netabare}
■物語は尻すぼみ?
自分としては一番いいところで綺麗に終わったと思うけどなぁ。
物足りない、とかこれからっていうところで終わったなんて感想を結構見かける。
これ以上何を描くというのか?蛇足のようにしか思えない。
起:小人がいました。
承:小人は借りに出かけ、生活しています。
転:人間に見つかった!やばい!ママンが捕まった!
結:奇跡的に力を合わせることができたけれど、人とは相容れない。住処と決別して生きていきます。
って、これ以上ないほど綺麗にまとまっているように思う。
"離別"こそが小人たちが下した決意であり、生き様であり、この作品が描きたかったオチだろう。
人間がその後どうなりました、とか知ったこっちゃないのだ。
たしかにスペクタクル大冒険とは言い難いし、オリジナリティにも欠ける作品かもしれない。
けれど小さなアリエッティたちの、小さいけれど確かな決意こそが力強い生き様を感じさせてくれた。
無駄なシーンなんて一個もなく、どの場面にも意味を感じ取れて退屈しなかった。
小人たちにとっては、大きな世界で何が起きてるかなんてわかりやしないのだけれど、
人間にとってみれば小さなスケールの問題に、一喜一憂しながら懸命に立ち向かっている。
居心地の良い住処だと渋っていたママンが、身を持って瓶詰めされる危険を思い知ったのだから、
身一つだろうが一家揃って旅にでれるのは良かったじゃあないか、とおあつらえ向きなヤカン渡航。