もってぃ さんの感想・評価
4.2
物語 : 1.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
終盤が残念な作品
殺し屋がテーマ故に残虐な描写がありますが、
これさえ大丈夫な方なら楽しめると思います。
終盤にかけてシナリオが雑になった気がします。
中盤までが非常に面白かっただけに、残念な作品。
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7月から2クール放映されていた『アカメが斬る!』を視聴し終えた。
今回は私が終盤で感じた違和感について分析していく。
主人公・タツミが死ぬことの意味
物語の基本とは、主人公がある目標に向かって努力し、成長していく様子を描くことだ。なので、主人公はほぼ常に物語に登場し、逆に言えば主人公に全く関係のないことは登場しない。物語のハッピーエンド・バッドエンドの違いに関係なく、主人公は最初から最後まで必要ということになる。
さて、『アカメが斬る!』では、最終話の一つ前・23話でタツミが死んでしまう。物語の中で主人公が死ぬこと自体は否定されるようなものではないが、作品の大きな流れとして、1話から23話と24話は全く別のものだといえるだろう。
また、そもそもタイトルに「アカメ」と入っているので、主人公は「アカメ」なのではないかと考える人もいると思う。しかし、もしそうだとするならば、あまりアカメの心情や過去に触れる回数もなく、更に物語の基本である「成長」という点で見ても、本作はまさに「タツミの成長」を描いた作品であった。つまり、本作の主人公は明らかにタツミだったのだ。
では物語において、「主人公が死ぬ」ということは何を意味するのか?
我々は面白い物語に出会ったとき、少なからずその作品の先を想像する。物語を疑似体験するうちに、登場人物一人一人の人格が固定され、この人物ならこう行動するだろう、といった想像がしやすくなるからだ。
しかし、実際の作中で主人公が死んでしまったとすると、物語はそこで完全な終わりを告げられる。それは、視聴者が「想像できる余地を残さない」ということ。主人公が変われば、作品そのものが変わってしまう。
パワーバランスがよくわからなかった
バトルものを表現する上で、パワーバランスは非常に重要な要素だ。このキャラはどのくらいの強さで、あのキャラには絶対に勝てない。といった指標が読者には必要。本当はめちゃめちゃ強いキャラが、本当はめちゃめちゃ弱いキャラに勝ったところで、そこに面白味は生まれない。やはり、少し実力的に不利だなと思う方があの手この手で勝ってしまうから、物語が面白くなるのだ。
『アカメが斬る!』では、物語の終盤に取って付けたように、ブドー大将軍というキャラが登場する。エスデス将軍と共に、帝国の双璧をなすと言われるブドー大将軍。しかし、彼はナイトレイドのメンバーの中でもそこまで強いとは思えないマインとの戦いで、非常にあっさりとやられてしまう。
バトルものにおいて、こういったパワーバランスへの違和感は致命的な欠陥となり得る。架空の物語に人々の感情を引き込むには、こういった設定の部分をもう少し正確に決めておく必要があったのでは…?
メインキャラの死に様
結局ナイトレイドのメンバーのほとんどが死んでしまったわけだが、それぞれの死に方にも疑問が残る。
どの死も非常に劇的ではあったが、その死に様が大きく異なっていた。
一つは、残虐な殺され方をする場合。こちらは作品のテーマから考えても、違和感なく受け入れられた。具体的には、シェーレ、チェルシー、ラバックがこちらのパターン。こちらは、視覚的に死を表現しているといえる。
もう一つは、意外とあっさり死んでしまう場合。「え?こんなんで死んじゃうの?」と思った方も多いと思う。具体的には、ブラート、マイン、タツミ、レオーネがこちらのパターン。その死因は、毒や出血、内臓のダメージなど、視覚だけではよくわからないものだった。
一つ目の方がショックも大きいが、よりそのキャラクターの死を印象付けられる。しかし本作の場合は、メインのキャラであればあるほど二つ目のパターンが選ばれていた。
結果、メインのキャラの多くの死が、意外と軽々表現されているような印象を受けてしまった。