ossan_2014 さんの感想・評価
2.2
物語 : 1.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 1.0
状態:----
単なるチートではない
アニメそのものではなく、原作由来の問題だと思うのだが、視聴していて不快感が募る。
おそらく「劣等生」を主人公とした物語の構想は、個々人が「尊厳」や「承認」を得るシステムが作動せず、アイデンティティ・クライシスやコミュニケーション・コンフリクトを招いているという社会学者や心理学者から出てきている問題系とリンクした物なのだろう。
タイトルからは、たとえ他者の「承認」がなく、支配システムによって「劣等」とされようが、自らの尊厳に傷をつけるものではないと宣言する展開が予想されるのであるが、本作の主人公においてはいとも容易に周囲からの、いわば社会的な「承認」を調達する描写が繰り返される。
公文書的に「劣等生」であろうとも、主人公の周囲では、もはや彼は「劣等生」どころか「威信」が集中している状態だ。
それも、「劣等生」とういレッテルの陰で、裏口から裏技を使って集めるような形で。
別に正々堂々でなければいけないというわけではない。
システムの不備をついて自覚的にチートで成り上がるストーリーであれば、不快を感じることはなかったろう。
単に現在の支配システムに適合した能力によって獲得された「承認」であるのに、「劣等生」のレッテルによって、システムの正当性を相対化して挑戦しているかのように錯覚させているのが悪質だ。
このレッテルによって、相対化されているのはシステム内の「評価基準」にすぎないのに、システム自体の権力性の根拠が問われることを回避している。
(この辺がうまく処理しきれていないので、主人公無敵じゃん、というお手盛りのご都合主義に見える)
この構図をよく示していると思うのが、「魔法科第一高校」学生、特に生徒会周辺が描かれるとき、一貫して、ソロリティを思わせる、一種のサロン的な雰囲気として描写されているところ。
あくまで上品な言葉使いや行動規範、家柄などの設定は、エリート集団の描写という効果を超えて、彼等が「上流階級」として作品内的に了解されていることを表している。
昭和の作品であれば、こうした「上流」的集団に対して、庶民=下流のキャラクターは、滑稽なほど不自然なまでに、ことさら下品で野蛮な言動をとって差異性を強調するのが「お約束」だった。
が、本作においては、主人公は最初から「上流サロン」に完全に適応した言動をとっている。何らかの反感を隠して、とか、極端な無理をして、という描写もなく、極めて自然に当然のこととして。
「劣等生」であっても「上流」に溶け込める=支配システム適合的にふるまう能力がある、ということで容易に「承認」を得る正当性を演出しているのだが、これによって、作品世界で本当に「劣等」として抑圧されている人間たちが、システム適合的にふるまえないから「承認」を得られないのだという風に、支配を正当化して強化する言い訳にされる。
典型的な循環論法だが、主人公の「劣等」性は、支配側の反主流派を示しているに過ぎないだけで、主人公自身は被差別どころか「上流」の抑圧側に属しているという点を隠ぺいされることになる。
劣等生のレッテルの陰で、「劣等」を生み出す支配システムを強化することで主人公は次々と「承認」を集めていく。何とも薄汚い構図だが、このやり方では、勝利を重ねるごとに主人公の魅力は薄れるばかりだ