退会済のユーザー さんの感想・評価
3.9
物語 : 3.5
作画 : 3.5
声優 : 3.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
あんこちゃんあんあん
本作における魔女という存在はあくまでも記号的な意味合いが強く、その意味は現実における「絶望」である。
これに対して魔法少女は「希望」になる。
それは一般人であるまどか視点で考えると分かりやすいと思う。
魔法少女が魔女と戦い、魔法少女はやがて魔女になり、別の魔法少女にやがて滅ぼされる。
要は、「希望」と「絶望」はプラマイゼロの関係で世界は成り立っているということである。
そして、魔法少女が魔女を倒さなければならない理由を考えれば人々は「希望」が無ければ生きていけないということも表現されている。
ここで疑問が一つある。
まどか(人々)にとっての「希望」の象徴である魔法少女だが、彼女らは「希望」であると同時にまどかと同じく人間である。
では、魔法少女にとっての「希望」はなんなのだろうか。
となるが、実際は、魔法少女に「希望」なんてなかった。
しかし、人は「希望」が無ければ生きていけないことは魔法少女と魔女の関係が証明している。
つまり、「希望」を持たない魔法少女がやがて「絶望」に身を落とすか、死ぬかの二択であることが分かる。
たった一つの「希望」を叶えてしまった後に延々と過酷な世界を生きていくなんて、本来なら「希望」に満ち溢れていたはずの彼女らにはできるはずがない。
こうして、まどか以外の魔法少女を通して、報われない自己犠牲が描かれる。
彼女らは他人の為に願い、他人の為に「絶望」と闘っている。
マミさんなんてその最たるもので、他人の為に命がけで戦うことを強要されてきたようなものだ。
では、自己犠牲は報われなくて仕方がないのか。
「希望」と「絶望」はプラマイゼロであり、それを覆すことは出来ないのか。
その答えになるのが、まどかである。
まどかは物語の当初から綺麗事を口にしてきた。
これはつまり、人間にとって「希望」が望ましいという、当たり前な事実を証明していることになる。
したがって、まどかは幾度となく綺麗事を口にして青い奴を助けようとする。
しかし、青い奴は助からない。
何故なら、まどかはまだ一般人であったので、魔法少女という名の「希望」ではなかったからである。
つまり、まどかが魔法少女という名の「希望」を救う立場のキャラであるならば、彼女自身も同じく魔法少女になる以外に方法はない。
まどかが魔法少女化してあのような願いを求めたのは必然だと考える。
マミさん、青い奴、杏子(お気に入り)、ほむほむ。
彼女ら魔法少女は一度はまどかに「希望」を見出していたからだ。
マミさんは自分の仲間になって欲しいと願い、青い奴は傍にいて欲しいと願い、杏子は友達を助けて欲しいと頼み、ほむほむは孤独から救ってくれたまどかを自身にとっての「希望」としている。
そして、遂にまどかは魔法少女になる。
ここに至るまでのシナリオ構成は秀逸。
謎を小出ししつつ、まどかの決断に説得力がある。
他の「希望」と「絶望」がプラマイゼロであり、そんな現実で報われない自己犠牲を強いられている人間がいることを知り、自分が抱えきれない悩みを大人に相談しながら、やがて母親の元を離れて自分の意思で現実と闘うことを決めたまどかの魔法少女化。
そして、彼女の願いの内容。
ここから考えられるのは報われない自己犠牲を否定した末に辿り着いた結論が本作のテーマかメッセージということである。
わざわざ「改変」という言葉を使っているため、おそらく、間違いないだろう。
もしもこれが、単に過酷な現実に抗い、闘っていく姿にテーマをこめた話であるのなら、本作にまどかが登場する必要はない。
まどか以外の人物をもっと掘り下げて、彼女らが魔女と戦う姿を描いていれば良いのだ。
しかし、実際は違う。
本作のシナリオの展開は明らかにまどかを魔法少女にとっての「希望」に変えるためのものである。
ならば、まどかを通して伝えたいメッセージがあるはずだ。
では、そのメッセージとは何か。
これが分からないのである。
まどかは魔女という概念を消し去る概念となった。
一見、魔法少女にとってまどかが「希望」になったように思える。
しかし、考えてみると、どうも釈然としない。
改変された世界では確かに魔法少女は魔女にならない。
つまり、「絶望」することはなくなった。
しかし、結局は他人の為に死ぬまで戦い続けなければならないことに変わりはなく、改変前とどう変わったかが不明瞭である。
例えば、改変後の世界の青い奴は魔女化することがなく魔力を使い切って円環の理に導かれていくのだが、ひとみとの三角関係が彼女の中でどう折り合いがついたのかが分からない。
ソウルジェムがあるということは契約をして魂が抜き取られるということまでは改変前と一緒なのだろうし、そうではないとしたらそれはそれで説明不足で問題である。
青い奴が穏やかに消えていったことから、まどかが魔法少女にとっての「希望」になったことは分かるが、その中身があまりにも曖昧で、しっくりこない。
最期にまどかという「希望」を実感して逝くのは確かに改変前よりもはるかに救われた世界なんだろうが。
「人の為に頑張れば綺麗に死ねる」なんてことを伝えたいわけではないだろう。
改変後の世界の説明が不足しているのは欠点だと思う。
これでは11話まで積み重ねてきたものが無駄になる。
否定したその先を本作でしっかりと描かなければならなかったと私は考える。
例えば、劇中では魔法少女の中ではほむほむだけがまどかの存在を実感していたが、他の杏子やマミさんもまどかという「希望」を感じているような旨の科白を零していれば、もっと納得できたと思う。
本作のストーリーの質は粗悪であるが、演出と音楽が素晴らしかった。
一方で、シャフトの悪い部分が目立つことにもなったのも事実である。
画面構成がつまらない。
演出は面白いが、画面内のキャラの配置が素人目から見ても単純である。
化物語等の会話が中心となっている作品だとあまり気にならないのだが、本作のように物語や映像の方が中心になっている場合はぽんぽんとキャラを置いただけの画面に違和感を抱かざるを得ない。
良い部分と悪い部分が拮抗しているので、評価はこのようになったが、凡作ではなく、非凡な作品であることは確かである。