たんぽぽの花 さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 4.5
声優 : 3.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
と~~~っても怖い話です。
主人公・榊原恒一が肺の病の療養で夜見山北中学校3年3組に転入してきた所からから話は始まる。夜見山北中学校3年3組はもっとも死に近いクラスであった。それは26年前(1972年度)の夜見山北中学3年3組の生徒、夜見山岬が亡くなった時に、みんなが岬は生きている!一緒に卒業するんだと言う所から、起き始めた怪奇現象であった。それから、何年にか1年
3年3組は机の数が少ない年が有り、それは死に近いクラスになった証でもあった。それを在校生、卒業生、先生、遺族は『あった年』と言って今も続いていた。一旦始まると止まらない、いつも死が付きまとう様なクラス、しかも、クラスの人間だけではなく、その家族や親戚にまで死が迫る。
そして、恒一が転校して来た年は机が足らなかった。ここがまず、クラスの動揺があった、転校して来たから机が足らなかったのか、『ある年』だから
足らなかったのか、そして始まる不可解な死がクラス中を動揺させる。
クラスには対策委員が存在しており、対策の一つとして増えた人が居れば
クラスの1人を居ない事にする。そう言う暗黙のルールを作っていた。
そして、その対象に選ばれたのは見崎 鳴(みさきめい)であった。転校して来たばかりの恒一には、それはあまりにも不自然で、まるで自分だけにしか見えていないかのように思えた。そして彼の通っていた病院で恒一は一度、鳴を目撃していたのであった。しかも行先は霊安室、、、そんな事もあって
気にしていたが、帰り道に鳴が入った人形屋に恒一は何気に入ってしまう。
ホラーアニメでは群を抜いた作品と言えます。ただし過激なシーンなどが多々に存在する為アニメで見る方は心構えをして下さい。最終話近くなると
色々な真実が解かり出してきますが、本当に解かるのは最終話の最後と言う
展開です。実にミステリアスで時折、事故なのか『ある年』のせいなのか、
判断しきれない所も有りますが、原因となった事はやはり、夜見山岬の死を
生徒が受け切れなかった事が大きいと思います。
これは親しい人や、友人、親兄弟、恋人などの死を受け切れない人は今の世の中にはたくさんいると思います。でも、死んだ人を嘘でも生きているように扱うのは、本当はどの教えでもタブーなのです。これは、死が有るから生を大事にする事を学ぶ為に必要な事だからです。死んだ人を想う気持ちは理解できますが、死んだ人を生きているように扱うのは、逆に死んだ人を惑わす行為でしか無い事を理解してください。キリスト教や仏教、日本神話でも
死んだ者は死者の国に行くとされいます。魂や霊魂や幽霊を信じる事は自由です。でもいたずらに、それらをもてあそぶような行為をしてはならないのです。それは、幽霊や霊魂が存在してもしなくても、同じ事なのです。
人は生まれて誰もが2つの権利を持って誕生します。それが生と死です。
その差は有るかもしれませんが、生みだされる瞬間と死する瞬間は状況はどうであれ、一緒の事実なのです。亡くなった人を思いやる心は優しい事ですが、それを受け入れない人は死んだ人も拒否しているのと同意と私は思います。人が生きるのは、いつか死ぬ為であって、それまでに何が出来るかが
人としての生き方なのでは無いのでしょうか?今、誕生した命も目には見えないけれど、命の砂時計は落ち始めたと言う事と、私たちも見えない命の砂時計はいつも落ち続けている事を忘れないようにしましょう。