HG anime さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 3.5
キャラ : 5.0
状態:観終わった
どろどろしておる(^ω^)
いやぁ~やっと見終えましたわ^^; 週1話ペースだったもので・・・
この作品のテーマは“エゴ”だと思う。そしてそれは切嗣とセイバーという2人の登場人物によって具体化され、そこに他の登場人物たちが効果的に絡んでくる。
1stシーズンで特に気に入った回は第11話『聖杯問答』。これはまさに上述したうちのセイバーのエゴについて深く切り込んだ回。利他と利己の境界はどこにあるのかという極めて哲学的な話題と帝王学を絡めながら、王たちが持論を展開するとても面白い内容となっている。セイバーは“王とは国家国民の皆様方に尽くすもの”という、立憲君主国家日本に住まう現代の日本人には馴染みがあり、ウケが良いであろう考え方。しかしその考えにアレクサンドロス大王は眉を顰めた。アレクの帝王論は“王の存在には人の域をどれほど超越できるかに価値がある。わがままを言いつつも意図せず民を力強く導くのが王である”というもの。この回では結局アレクの持論が同席したウルガメシュにも認められ、アレク優勢のまま終わる。個人的には王とはなんぞやと考えたときには、現代においてはセイバーの論のような王のあり方が正しいと思うが、もし私が中世以前に生きた人間だったら、自国の王はアレクのようなものがふさわしいと思うかもしれない。やはり、世界情勢によって王のあり方は柔軟に変わるべきであり、私はセイバーもアレクも正しいと思う。しかしセイバーは戦乱の世に生き、王として権力を保持していた。大いなる力には大いなる責任が伴うわけで、私はセイバーは頼りない王だったと思う。2ndシーズンでランスロットが堕ちていたことも無理ないと思う。彼女の立場は帝政ローマ初期のプリンキパトゥスや、彼女の祖国であるイギリスの近代立憲君主制 “国王は君臨すれど統治せず”とは同じようで違う。彼女は民衆が権力を持っていない状況で民を率いていたわけだから、アレクのように力強く指導するべきだったと思う。
※まぁこれはあくまでアニメの設定内において記述しているだけですよ。アーサー王なんぞはいまだに存在したかすら証明されていない人物ですので^^;
さて、物語は2ndシーズンに突入。特に気に入った回は第16話『栄誉の果て』、第18話『遠い記憶』、第19話『正義の在処』、第24話『最後の令呪』。
2ndシーズンでは切嗣のエゴについて詳しく物語が展開していく。16話での切嗣の鬼畜ぶりには私もさすがに「コン畜生がぁぁwwww・・・」ってなりました(。◠‿◠。✿)ブチギレ) ランサーの狂乱ぶりにはゾッとしました・・・ 声優さん熱演すぎるw
しかしこの切嗣にも過去があった・・・というのが18,19話で描かれていた。19話の最後のシーンは正直ショックで涙も出ませんでした。ナタリア・・・(´;ω;`) しかし切嗣を純粋に憎めない自分がいるわけです。
そして24話で切嗣の正義のあり方が問われる。300人が乗る船と200人が乗る船を計りにかける。切嗣は自らの正義に従い300人を助け、200人を殺戮する。今度は助かった300人の船が200人の船と100人の船に別れ、またもやどちらかしか助けられない。ここで100人を捨て、200人を助けると最初に居た500人の中200人しか助かったことにならず、ここで切嗣の多数決の正義が崩壊する。これは聖杯が挙げた例にすぎず、この例は人類70億人のうち40億人と30億人のどちらを助けるか?という問いとイコールであることの暗示だろう。そして助かった40億人が30億人と10億人に別れ、それが永遠と続き、人類は消え去る。要するに世界平和などという茫漠とした目標を達成する唯一の方法が人類の滅亡だという悲しい内容がこの24話。これはたしかに正しい。そして最後に計りにかけたのは愛する妻子と共にある3人だけの平和な世界と全人類の命。娘イリヤの頭部を目の前で銃で撃ちぬき、聖杯アイリを絞め殺す切嗣。ここまで来ても自分の正義を貫き通す切嗣。しかしどうやら聖杯の本体は空に空いた黒い穴だったようで、そこから地獄のマグマのようなものがあふれでてエンディングへ。結局聖杯が万能ではないことが切嗣にとって計算外だったのと、彼が純粋すぎたということかな。平和などという言葉は簡単には口にできないものだと思う。
かなり楽しめた作品となりました。これはまだ観ていないStay nightと今年リメイクするStay nightに期待が膨らむ! まぁ私は観れるのは来年以降かな・・・;;