くらうち さんの感想・評価
4.3
物語 : 5.0
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 3.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
前作よりも難解
GHOST IN THE SHELLの続編になります。
{netabare}
基本的なテーマは前作と同じです。
前作は比較対象がAIであったのに対し、本作では「人形」が対象となっています。
身体も、見ている風景も、記憶すら作り出せてしまう。
「なぁ、俺のオリジナルの残りはどこだったかな?」
少佐にいたっては、脳とゴースト以外は全て政府からの借物。
そんな世界では、人と人形の区別はあいまいなものとなってしまう。
この点は特に、ハラウェイ検視官、キムの発言によく現れています。
彼女は、人を自我を持った存在であると定義するならば、自我を持たないカオスの状態にある子どもは人形と同じなのではないか、人形遊びとは子育てそのものなのではないかと疑問を呈します。
キムは、人間の認識能力は不完全であるから、それが現実であるとの認識も不完全、すなわち現実の不完全さをもたらす。現実において完全であるのは、完全な認識能力を持った神か、認識能力を持たない人形でしかありえない、とします。それゆえにキムは人形になった。
いずれも非常に極端な見解ですが、問題提起の役割ですからね。
ハダリは、非常に精巧に作られ、「助けて…」と言うなど、人格をもったのではないかと思わせる存在でした。
しかし、蓋を開けてみれば、生身の人間のゴーストをコピーしただけだった。
結局、ゴーストを作り出すことは不可能だったんですね。
でも、コピーできる以上、作り出すことだって将来的には可能かもしれない。
結局、人と人形の区別は曖昧なまま、ということでしょうか。
本作は、少佐失踪後の話であり、バトーが主人公になっています。
唯一無二のパートナーだった少佐を失ったバトーは、独断専行が増え、キムにハッキングを仕掛けられるなどの失敗も犯します。
望みがなければ生き続けることはできない。自分の存在自体に疑問を持っていた少佐は、深海にダイブしたり自ら死を望んでいるようだった。少佐を失ったバトーにもこのような兆候が現れていました。
仕事には邪魔でしかない犬を飼ったりしたのも、生きる目的を得るためでしょうか。
再会した少佐からは、このような言葉をかけられます。
「孤独に歩め…悪をなさず 求めるところは少なく…林の中の象のように」
求めることがなくても、気高く生きて行けといったところでしょうか。
このように言われたバトーがどう思ったのかは…難しいですね。
{/netabare}
正直、いまだによく分からない言葉やシーンが多く、前作よりも難解であると感じました。
しかし、それは何回見ても発見あり、面白いということでもあります。
素晴らしい作品でした。