kids さんの感想・評価
4.5
物語 : 5.0
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
感動させるアニメの代表格!
麻枝准さんの通称「泣きゲー」が原作のアニメ「CLANNAD」の続編です。あにこれでの評価も非常に高く、あにこれユーザーの方は非常に高い確率で一度は視聴しているでしょう。
★ストーリーについて
前半はCLANNADで描ききれなかった他のシナリオの消化に当てられます。 僕の中ではこれはまだCLANNADなので、ここではあまり書きませんが、{netabare}お決まりの野球回で始まり、春原兄妹のすれ違い、寮母さんの昔の恋、宮沢さんが中心の不良集団の小競り合い{/netabare}と、どれも前作の作風をそのまま引き継いで、コミカルなシーンを織り交ぜながら感動させる展開となっています。
後半は打って変わって、朋也と渚のカップルに焦点が集中します。{netabare}高校を卒業してから、独り立ち、結婚と一話一話朋也の葛藤が伝わってくる展開でどんどん引き込まれました。
しかしつかめていたはずの幸せは出産時の渚の死によって一気に崩れ去ります。朋也は塞ぎ込み、育児放棄までしてしまいます。それでも五年後古河夫妻の機転のきいた行動をきっかけに立ち直り、娘の汐と共に再び楽しい日々が始まります。ですがそれすら謎の病気で打ち砕かれる・・・・・。ここまで非情なシナリオをよく思いついたなと思いました。
そして、ラストは今までこまめに挟んでいた幻想世界の伏線を回収し、渚の死なない未来に書き換わる、と言ったとこでしょうか。{/netabare}概ねの流れは確かこんな感じです。
僕はこのストーリーのメインの持ち味が、以下の2つなのではないかと考えています。
まず、ひとつ目は、リアルだと感じられる苦難を通して、朋也という「ちっぽけな人間」の葛藤を中心に描いている点です。社会にでる難しさ、結婚という人生における大きな選択、家族を支える責任感、大切な人を失う喪失感、そういった誰もが生きていく上で感じるであろうつらい思いを、一つ一つピンポイントで描くことで、焦点がぼやけることなく、視聴者を引き込んでいると感じました。そしてそういったものをリアルに感じられるように描いているからこそ、感動できるシーンがとてもグッときますし、家族を始めとした「人の温もり」の優しさを感じることができたのだと思います。
そしてもう1つは、前作のCLANNADからばら撒き続けた伏線を回収してフィナーレに持っていくことからも感じられる作品の連続性です。後半になって突然新しい設定が出てくることは全く無く、前作の第一話から重要な伏線を躊躇なくばら撒いています{netabare}(幻想世界の挿入や、前作「CLANNAD」のOPから未来の娘である汐が登場している点など){/netabare}。このことでシナリオがとても計算されている印象を持てますし、視聴者が納得してストーリーに入り込むことができる大きな要因になっていると感じました。
ただ、強いていえば、「狙いすぎている」点が気になりました。作品を通して「視聴者を泣かせたい」という意図がこれでもかというほど伝わってきてしまいます。もう少し遠慮したシナリオでもよかったのではと思います(笑)。
あと、「幻想世界」の伏線を僕は自力で理解することができませんでした。アニコレ内で伏線を詳しく解説したレビューを書いてくださっていた方がいたので今は大丈夫なつもりですが、それを読むまでは最終話を見るたびに「??」と思ってました。これは自分の理解力がなかったのか、こまめに、本当にこまめに挟んでいる伏線が曖昧すぎたからなのか、判断に迷うところです。
★登場人物について
メインのふたりはもちろんですが、僕はヒロインの両親である古河夫妻が一番重要な登場人物だと感じています。「家族とはこういうものだ」という理想を体現したような存在で、結婚相手の両親がこんな人達だったら結婚生活はより素晴らしいものになることでしょう。ふたりともとても温かく、面倒見がよく、素敵なキャラだと思います。
★音楽について
CLANNADを始めとした麻枝准作品の最大の武器は、演出で自作の名曲を惜しみなく使えることだと思います。OPの「時を刻む唄」は今でもアニソンの名曲に挙げる人がたくさんいる名曲ですし、作中のBGMも幻想的で、感情的になれる素晴らしい曲がたくさんあります。最終話では「小さな掌」がフルで使われていますが、あの歌が流れている間思わず涙が流れてしまった方がたくさんいるのではないかなと思います。僕個人としてはピアノを時々弾くので、ここまで弾いてみたいと思う曲が沢山ある作品に単純に感嘆してしまいました。特に朋也たちの卒業式の回で、卒業式の後に渚と朋也のやり取りの時に流れる「渚 坂の下の別れ warm piano arrange」って曲を弾いてみたいのですが、なかなかの難曲で・・・練習時間少ないと手が出せない(泣)
★最後に
言わずと知れた名作ですので、視聴済みの方がほとんどだと思いますが、まだ観ていない方は是非御覧ください。視聴済みの方も前作CLANNADも含めて時々見なおしてみると新たな発見があって楽しめるのではないかと思います。是非見返してみてください。
★おまけ~「CLANNADは人生」というけれど~
(ぶっちゃけこれが書きたくてこのレビュー書きました(笑))
{netabare}
この作品を観た方の中には「CLANNADは人生」とおっしゃる方がたくさんいます。僕もこの言葉自体はそこまで否定してはいませんが、あくまでもこの言葉は作品ではなく視聴者のことを説明している言葉だと僕は感じています。
理由は簡単です。何らかの不幸に見舞われない限りは人生は長いものだからです。
具体的に前作CLANNADから考えてみると
朋也高3でスタート (朋也17才)
渚が卒業 (朋也19才)
結婚出産 (朋也19~20才)
汐が5才になる (朋也25才)
正直これだけ短い期間しか描いていないのに「CLANNADは人生」という言葉を使うのには少し抵抗があります。先のことを少し考えてみましょう。例えば・・・
子供が成長したら学校に通い始めます。子供は勉強してくれるでしょうか?中学、高校と健やかに成長せず、グレたりしないでしょうか?それでなくても自分の子供の将来のことは、おそらく本人よりも両親の方が思い悩むことでしょう。
朋也たちがお世話になった古河夫妻も老いていきます。二人の介護や・・・葬儀に立ち会わなければならなくなるでしょう。
子供が成長した後は老後の生活が待っています。老衰で体が不自由になってきたりしますが、夫婦揃って健在でいられるのはいつまででしょうか?もしかしたらどちらかがひどく体を悪くして、もう一人が介護に追われる生活が待っているかもしれません。
と少し考えるだけでも人生にはこれからも多くの苦難が待っていることが想像できますし、そもそも先はまだまだ長いです。それなのに独り立ちして自分の家庭を築くところだけを描いて「人生」という言葉を使うのは安直だと僕は思ってしまいました。(確かに人生の中で最も重要な時期を描いているのは確かなんですけどね)
でも実際にはこんな風に感じる人は少数でしょう。なぜならこの作品を通して多くの人は「CLANNADは人生」と言っているわけですから。なので僕はこう考えています。
「人生」という言葉を聴いて想像できる範囲が、この作品で描かれている内容で概ね収まる視聴者が多いのではないか、と。
アニメは元々若年層の視聴者が多いジャンルではありますが、CLANNADを観て「CLANNADは人生」という言葉が浮かぶ、もしくは強く同意する人が多くいる事実は、こういった視聴者の姿を映し出しているように僕は感じます。だから何?と言われると特に何もないので困ってしまいますが、こういったことを主張している方を見かけたことがないので、ここに書いておきますね。
{/netabare}