青陽 さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
ロボットは心を持ちうるか?
人間には様々な感情がある。それを他の存在も抱きうるのか?
動物や食べ物が主役となる作品では、彼らは擬人化され、当然のごとく人間と同じような悩みを抱き、また喜びを享受している。動物に関しては現実世界においても喜びや怒り、恐れなど感情を垣間見ることができるが
擬人化作品においては、想像的で創造的なキャラクターとして生み出されるので感情の幅は現実のそれよりはるかに広い。しかしこれらはフィクションであるため、動物がそんな人間的思考をするものか!といったつっこみは野暮でKYな発言となる。ゆえにそういった的はずれな批判をする者はそういないはずだ。その疑問はそもそも作品のテーマではないのだから。
しかし、ロボットが扱われる作品の場合はそこがテーマとなるものが多々ある。なぜなら動物や食べ物とは異なり、機械は技術の発展により人間のような思考・感情を持ってもおかしくないから。想像だけで終わらない、可能性があるから。
先日ニュースで日本のロボット最先端特集をやっていた。脳から発せられる電気信号をキャッチすることによって 人が思ったとおりに動かせる歩行補助マシーンや、100人以上の顔認識が可能なコミュニケーションロボット……ここまで進んでいるのか!と驚き、また高揚した。ロボット技術の発展にはUMAやオカルトとは似て非なるワクワク感がある。
そうしてさらに技術が発展した近未来のSF世界ではロボットが感情をもち、ある世界では人々と共存していたり、またある世界では支配者である人間に反逆して戦争になっていたり……性能が上がり人間に近づくほど、人に近いからこそ、ロボットと人間に関するテーマは顔を上げ大きく膨らんでいく。
この作品ではロボット技術が著しく発展しており、頭上にリングが浮かんでいなければ、人間かアンドロイドかは判別できないほどの精巧さだ。
しかし社会における存在としては、人間の良きパートナーというより便利な道具扱いをされており、ロボットに特別な感情を持つ人はドリ系と呼ばれ問題視されている。
倫理委員会は存在するが、ロボットに人権を!とは主張せず、あくまで人間側に立っている。アンドロイドが普及してはいるものの、まだロボット社会としては歴史が浅いことが伺える。
同監督作『サカサマのパテマ』でも感じられたが、社会や学校の教育は一種の洗脳みたいだ。ある人が常識だと思っていたことはその人が属するコミュニティが作り出し、守らせているルールともいえるだろう。そんな一定の規則に従った日常に、異なる価値観が登場することで物語は幕を開ける。
人とロボットを区別しない社会の常識から外れた憩いの空間「イヴの時間」、そこの常連客たちに焦点を当てて人とロボットの交流を描いている。喫茶店内という狭い空間でテンポ良い会話を軸にストーリーは進んでいくので、15分×6話という短い尺でも綺麗にまとまっている印象を受けた。
主人公はイヴの時間に通い、ほかの客たちと関わっていくことで、自分とアンドロイドとの関係を見直し、固まりかけていたロボットに対する考えは解れていく。アンドロイドの演奏技術が台等してきたことでピアノから遠ざかっていた主人公が、吹っ切れてイヴの時間でピアノを演奏するシーンは6話に並ぶ感動だった。たしかに主人公がピアノから離れたくなる気持ちも理解できる。もし、ボーカロイドが歌詞にあった感情を歌声に表現できるようになったら…?
現実でもチェスや将棋のコンピュータ戦で名人が負けたら
最終的に人間はいくら練習してもコンピュータに勝てなくなるのではないのか?と虚無感が湧いてくるだろう。
しかし確実に勝敗が決まる将棋やチェスとは異なり、芸術には決まった優劣なんてない。ただ表現することを楽しめばいいんだ。
終盤では、イヴの時間のような施設は全国に多くあることが判明した。世間的にはアンドロイドの扱いは家電のようなものだが、実際は単純にそう思えない人が多くいるのだろう。そりゃサミィのようなアンドロイドがいたら間違いなくそうなるって。家で役割をこなしているときとイヴの時間にいるときのギャップにやられない人は居ないだろう。
イヴの時間のような交流の場がさらに増えていけば『ちょびっツ』のようなドリ系容認社会になる日もそう遠くはないだろう。
ますます少子化が進みそうだが、その頃にはロボットに生殖機能が備えられている可能性も…0じゃない。
サミィも素敵だったが個人的にはイヴの時間のマスターが一番好き。ロボットだろうと人間だろうとそんなの関係なく魅力的だった。サトリナVoiceはこういうキャラのときに最も活きると思う!