退会済のユーザー さんの感想・評価
4.6
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
懐かしい匂いがした
最初はただの絵本を手にする気分でした。
かなりファンタジーチックで最初は淡い恋愛感情を描く恋愛物だと思っており、そこまで期待はしてませんでした。
ですが、確かに絵本のようなおとぎ話だったものの、今まで読んできた絵本よりもとんでもなく素晴らしい絵本でした。
淡い恋愛物のふりをしたドロドロの恋愛物です。
人間が海の中に住んでいるというファンタジーな世界観。
この世界観を存分に活かした展開が本作品の魅力です。
キャラクターデザインは、
『僕は友達が少ない』や『電波女の青春男』の挿絵や表紙を手掛けたブリキさん。
シリーズ構成は、花咲いろはやとらドラの岡田麿里さん。
前半は淡い子供の恋愛物語、三角関係、海の人間と陸の人間の関係、などを中心にお話が進んでいきます。
ドロドロした人間関係を描いたお話で、とても岡田麿里さんらしいドラマチックな脚本でした。
前半は正直キャラクターの精神年齢が子供だったりするので、キャラクターに共感出来ずに、だるくてつまらない印象を受けるかもしれません。
暴言や喧嘩、恋愛の考え方もかなり子供っぽいです。
前半も良い感じのラブコメで楽しめたという人もいるので、前半は評価が分かれます。
この作品は前半で張った伏線を一気に回収する中盤から見所で、後半に進むにつれ一気に面白くなります。
また、大人が共感出来るようなシーン{netabare}(例えばちさとと紡が大人になったり) {/netabare}もあるため、ここから一気に大衆向けの作品に化けます。
また子供っぽいと思ったキャラクターも徐々に成長していき、大人になっていきます。
これが本作の魅力です。キャラクターの子供の時代を描くことにより成長した時、さらに感情移入が出来るようにしています。
この後半の展開は前半に張った伏線が無ければ、描写が足りずに感情移入が出来にくかったでしょう。
前半の甘いラブコメがあるからこそ、後半の壮大な世界観を描けるのです。
終盤になるにつれて、世界観の壮大さが強調されていきます。前半は、小さな恋愛物語を使って若年層の共感を呼び、そのあと徐々に前半に張った伏線を回収しながら設定を活かした壮大な話を描く。
本当に計算されている作品だと思います。
説明しなくても分かるシーンは、視覚のみ情報で理解できます。また陸と海との関係で、感情的になるところは、対立は中々終わらないということの、少し説得力が増えて良かったかなぁっと思いました。
ネタバレ有りのところでも書きますが、勢い任せの展開は、視聴者の感情を高揚させるためのテクニックであり、テクニックに現実世界のような心理を求めるのは、的外れもいいところです。この作品は、とてもそれに優れていて、とにかく感情を高ぶる良いシーンが多いです。
なので、私は視聴者の感情を高揚させることが本当に計算されているな、と感じました。(どういう風に感じたかはネタバレ有りのレビューで語ります)
深いテーマ性も物語を楽しむ上での醍醐味なので、ぜひぜひ考えてください。
↓以下ネタバレの長文。かなり書いてます。。。すいません。
{netabare}
■まなかが紡のことを好きだと思わせるミスリード
前半は、まなかが紡のことを好きだと思わせる徹底的なミスリードが行われています。
まなかが紡に釣り上げられるシーン、まなかが赤面して教室から出て行くシーンや、紡がまなかを助けるシーンなどなど。
例を上げればキリがありません。
1話目で、
紡「綺麗だ」
まなか「え、あ、なんだ魚のことか・・・」
紡「あんたも」
なんて台詞を入れているんですから、まなかは紡と結ばれるのかな、と思っちゃったりしました(笑)
完全に製作者の意図に騙されましたね(笑)
最終的にまなかは紡ではなくて光が好きだということは分かります。
その展開を視聴者に読ませないために、わざわざあんなフラグを作ったんですね。
■海の人間と陸の人間の対立
学校のシーンやおふねひきの件で揉める件で強調されています。
学校のシーンでは、通ってきた中学が廃校になったため転校してきた光たちに対して、陸の子供たちは、からかったり馬鹿にしたりしました。
海の人間と陸の人間の関係について数話を使って、上手く描写していたなと感じます。
また中盤のシーンでもその対立は描かれています。
おふねひきの件で、光のお父さんを含んだ海の人間と陸の人間が口論から喧嘩に発展するシーン。
結局、どちらが悪いのか分からないですけど、とりあえず凄く対立しているんだな、ということが分かりました。
その対立も、海の人たちが冬眠することで、陸の人たちが海の人たちに支えられていることに気づいて、また海の人たちも冬眠する前はなんだか寂しげな表情をしていました。
お互い憎んでいたけれど、お互い支えあっていたり、お互いいなければ分からないことがあったと気づきました。
■要
告白するというのは自分を納得させるため。
要は、冬眠の前に、ちさきに告白したり、光に、まなかに告白するように迫ったり、突然理解できないような行動を取ります。
しかし、全て告白するというのは自分を納得させるためだ、という要の自論に基づく行動なら納得がいきます。
相手に気持ちを伝えないということは、自分の気持ちに嘘をついたまま過ごすということ。
例え、相手の事を大好きでも、自分の気持ちに嘘ついてしまっては、なんだか心の仲が落ち着かない感じになってしまうかもしれません。
だから自分を満足させるために告白するんだ、というのが要の自論です。
その考えは告白すると人間関係にひびが入るかもしれないから嫌だ、というちさきやまなかに否定されてしまうのですが...
まぁこのあたりの価値観の押し付け合いは、子供っぽいなぁと思わせるシーンでした。
■変わらないもの
冬眠から覚めた光は、変わった街を目にして、変わらない自分と比較してなんだか途方に暮れます。
「自分はつい前まで、おふねひきをしていたのに、いきなり街が変わって、美海も大きくなって、もう何がなんだか分からない。
これ以上、変わったものを見てしまったら、俺は耐えられないかもしれない。
だからちさきには会いたくない。
もっと変わったものを見ちまったら、もうおかしくなりそうで見たくない。」
そう思っていた矢先にたまたま成長したちさきに会います。
「あぁなんだ
変わらないものもあるんだ」
5年間という空白は大きかった。
けど、5年間立っても変わらないものはある。
どれだけ変わろうとも、変わらないものは絶対存在するんだ。
そういうことを思わせるシーンでした。
■変わるもの
光達が冬眠している間に、ちさきと紡は二人で三人が目覚めるまでゆっくり時間を過ごします。
ちさきは、もしも光達が帰ってきたら、自分が光を好きでなければ、光達がなんだか遠い存在になるような気がするので、光のことを想い続けます。
自分が光の気持ちを無くしてしまえば、戻ってきたみんなは自分の変化に気づき、複雑な心境になるからでしょうね。
光達が戻ってきてから、ちさきは徐々に自分の好きという気持ちが紡に移っている事に気づきます。
分かっていてても認めたくないちさき。
そう、それを認めてしまったら、みんなを複雑な心境にさせてしまうかもしれない。
だから、認めたくない。
元々、ちさきは変わるのが嫌だから、告白して自分自身を満足させている要の考えには同調していませんでした。
今の関係が壊れるのが嫌だから、光に告白しませんでしたし、要が告白したほうが良いと勧めても、拒否しました。
そういった考えだから五年立っても人間関係が壊れるのが嫌で、光の事を想い続けたままでいます。
要はそんなちさきを見て、おふねひきの事を思い出します。
あの時、自分が紡を救わなければ、自分はちさきと一緒に入れたのではないか。
そうしていれば、ちさきが今好きな相手は紡ではなく自分だったのかもしれない。
でも、自分が紡を救わなかったら、確実に紡が死んでいた。
けど、最初からちさきは紡の事を気になっていた。
自分が紡を救わなくて、誰かが紡が救っていたとしても、結局、ちさきは紡の事を好きになっていただろう。
だって 人の気持ちは変わるものだから
どれだけ変わらない事があっても人間関係は何年もすれば変わるもの。
人の気持ちは移り変わるもの。
ちさきは紡の事を好きだって認めたくない。
けど、人の気持ちが変わるという事を知る。
だから気持ちが変わるという事を受け入れて、紡のことを受け入れる。
やっぱり時間が変われば人間関係が変化するんものなのだなぁっというのを感じたシーンでした。
■美海
今思い返すと、光と美海を5歳差にしていたり、美海が光に助けられたシーンを描いたりしたのは、全てはラストのためだったんだなぁ、と感じます。
まなかさんも好きだけど、自分も光が好きだから、まなかさんとは恋敵になってしまう。
そういう複雑な状況になり、精神的に追い詰められます。
さらに、光と同い年になった事で、いつも遠くから見ていた光と傍で一緒に学校に行けるという事に喜びます。
ですが、その考えも光の「これ以上、変わったものを見たくない」という発言を受け、「私馬鹿だった」と自らの考えを否定しています。
良いことがあった、と思ったら、すぐ嫌なことがある。
美海の人間関係は複雑で嫌な感じですね(笑)
そんな美海の出した答えとは?
■好きになってもいいんだよ
これを伝えたかったのかな?
これだけドロドロした恋愛物語を見せられてきて、「好きにならなければいい」、と一瞬でも思えるシーンがありました。
しかし、それらのシーンは全てこのテーマを伝えるためだったのですかね。
美海の出した答えでもあります。
製作者の主観的なメッセージ。
もしも、相手を好きになったら、それなりに苦しいことや辛いことが待っています。
場合によっては相手と結ばれるのは、難しい場合もあります。
けれど、好きという気持ちを無くしてしまえば、そもそも好きから生まれる味わい深い感情を得られないので、多少損していることになります。
そういう寂しい人生は嫌だな、そういう好きを感じない人生は嫌だな、という少し子供っぽくもとれるメッセージ。
それを14歳の美海を使って、最終話で伝えています。
誰かを好きになるというのは、海神様とおじょしさまのエピソードのようにとても素晴らしいことなんだよ。
好きにならなきゃこういう感情を味わえないんだよ。
だから私は嫌だな。
誰かを好きになった気持ちを忘れたくはないな。
例え叶わない恋でも、この感情がただの感情になるのは嫌だな。
だから、好きになっていいんだよ。
光も海神様も。
もっと素直になっていいんだよ。
ということを、主観的なメッセージであるもののしっかり伝えています。
子供っぽくても、子供っぽいからこそ、枯れた心には良いメッセージになりました。
好きという感情がどれだけ味わい深い感情かを再認識させてくれる。
とても良い作品でした。
あ、あともう一つだけ。
好きな気持ちは人間を変えてしまうことがあります。
例えば、作中の中で、
光はまなかを救うために、何回も海の中に潜りましたし、
美海は光を庇いましたし、
人間を突然本気にさせたり感情的にさせたりします。
光は美海を別のベクトルでしたが好きでしたが、ベクトルは違えど、最後のシーンで必死で助け出そうとしました。
どういうことかというと、
人の強い想いは時にとんでもない奇跡を起こすことがある。
これだと思うんですよね。
好きだということは相手を強く思うこと。
強く思うというのは人間のやる気が湧く要因になるということ。
やる気というのは、人間が行動するというためのエネルギーになる。
行動するというのは、時にその行動する量により周りに影響を与えることがある。
周りに影響を与えるということは、大いなる流れを変える可能性がある。
一つの大きな想いが、大きな行動を生み出して、大きな流れを変える可能性があるということです。
明治維新であれ、フランス革命であれ、大きな想いが無ければ大きな行動は生み出せませんでした。
何か大きな行動を起こそうと思うとそれなりのやる気が必要です。
やる気の源になるのは感情です。強く思う事です。
好きだと強く願えば、その好きのエネルギーが世界を変える原動力になるかもしれません。
その好きがやる気になって、世界を動かすやる気の一つになるかもしれません。
可能性が低くてもゼロではありません。
だから私は好きな気持ちは、時として人間を変えてしまうということがあり、その時に生まれた強い感情が世界を変えてしまうこともあるのだと考えます。
例え小さな変化だったとしても、その小さな変化が大きな流れを変えてしまうことがあるのだと考えます。
『海神様、まっこと面白いですなぁ人間と言うものは』
『傷ついて答えはなくても、それでもひたすら足掻き夢を見て』
『その想いが大いなる流れを変えるやもしれん』
『ぬくみ雪が止みましたな』
byうろこ様
{/netabare}