退会済のユーザー さんの感想・評価
4.2
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 3.5
状態:観終わった
久しぶりに古びた絵本を手にしてみた
■本作の立ち位置
原作は恋愛アドベンチャーゲームからか、登場人物は少し男性向けに作られています。
具体的にどこが男性向けかというと、女性キャラが子供っぽかったりですとか、
女性キャラに主人公が囲まれたり、好意を持たれたりするところですね。
私もこの作品に慣れるの少し時間がかかりました。
というか、そうしなければ客層にマッチしないと思います。
ですので、本作はそういうアニメだと割り切って見てください。
特に絵柄なのですが、私自身が中学生の時はあんまり好まない絵柄だなぁ、と敬遠していました。
理由は、目が大きい過ぎるという理由なのですが、世間から見たオタク文化の偏見と同じようなものを持ってしまい、見れなかったのですよね。
二年前はそういった認識だったので、殆どこの作品のことを全く知らないまま過ごしていました。
たったそれだけの偏見で、見るのをやめてしまったのです。
日本のマイノリティ差別というものはとても恐ろしいものですね。
もうくだらない偏見は持たないようにします。
それで、去年、何気無しに見てみたのですが、キャラに慣れれば、案外ちゃんとした作品だなぁ、と思い、そのまま見入ってしてまいました。
本作の魅力は、家族について強く訴えかけてくるメッセージ性と感動出来るストーリーといっても過言ではないです。
因みにゲームに批評でよく上げられるのが、
「AIRでは、プレイヤーが父親なれず、ただ見守るしかない、という社会から孤立しがちなオタクを批判しているかのようなメッセージだったのに対して、CLANNDでは、逆にプレイヤーが父親になり、父親になる大変さや家族の大切さを描いたオタクにも父親になる資格があるという正反対のメッセージである」
というニュアンスの批評なのです。
まさしくこの通りで本作では主人公がヒロインと家族になること(結婚するということ)で、自分の父親の大切さに気づきます。
またヒロインと娘の喪失により、家族の価値や重みに気づくことができ、本作のもっとも重要なテーマを表現することが出来ます。
とても悲しい展開で私自身も感動というか心を痛めましたが、あの展開が無ければ本作のテーマは表現出来ていないでしょう。
死ななくても、いくらでも表現する方法があったのではないか、と言う人もいますが、
確かに表現は出来たものの非常に軽いものになったと私は思いますね。
テーマを伝えるのに死ぬという衝撃的な展開で無ければ、視聴者の記憶に残る印象的なシーンは生み出せないでしょう。
■絵柄で敬遠していましたが、見てみると絵柄のおかげでファンタジーと割り切れた
この作品には、ファンタジー要素が混じってるですよね。
例えば、幻想世界であったり、光の玉であったり、風子であったり、色々な所でファンタジー要素が混じっています。
現実世界と同一視すると、不思議な出来事であったり、少し子供っぽいキャラクターであったり、違和感を覚えます。
ですが、キャラクターの目が大きかった事で、私の違和感は無くなりました。
そっか!ファンタジーなのか!
正直、女の子として見るとちょっと不思議な子だなぁ、と思うものの、アニメのキャラクターとして割り切って見てみると違和感は無くなりました。
アニメのキャラクターを人間と認識するのではなく、アニメキャラクターだと認識する。
アニメの世界だと思わせない現実チックな要素が散りばめてられているため、現実と同一視してしまう人もいるみたいですね。
私の場合は、絵柄の目の大きさが大きかった事で、アニメの世界だということを認識できました。
■ちょっと関係ないことですが。
朋也が仕事を辞めたことについてですが、
一見すると朋也が馬鹿なことをしているように思いますが、
あそこまで馬鹿なことをするほど、汐のことが大切だったのではないでしょうか?
あそこで仕事を辞めるというのは、視聴者から疑問の声を聞くこともありますが、
視聴者までも疑問の声を抱くなら、朋也が傍から見ておかしなことをしているというのを表現できていることになり、
朋也が、そこまでの行動を起こして、汐を守りたいということも、上手くそのシーンで表現出来ていることになります。
あくまでも
視聴者 = 傍から見た視点
と捉えた場合ですが。
リアリティが無い、普通ならこういうことはしないと思えることでもよく考えてみると、ちゃんとした意味があったりして面白いです。
■この作品のラストを理解する上での前提条件
(1)
まず前提として、幻想世界があると考える
この作品の中には、幾つか幻想世界の存在について示唆しているシーンがあります。
ことみが、もう一つの世界があるのではないか、とそれとなく示唆していたり、
途切れ途切れですが、幻想世界の少女のことが描写されているシーンがあります。(資料A参照)
どうでも良いシーンなら、このシーンは必要ありませんね。
資料A(ことみの台詞)
「この世界のすぐ隣にあって、だけど見ることも感じることも出来ないもう一つの世界」
「でもね、以外にそうじゃないかもしれないってわかってきたの」
「うん。それは多分、余剰次元と関係しているの」
「現在の学説では、私たちの知る物質は、高次元世界のブレーンに張り付いていて、その存在形式からの限界から逃れられないけれど」
「例えば重力エネルギーは時空を超えて行き来出来ると言われているの」
「それと同じように」
「時間や空間や人の意識が不思議な形で響きあって、両方の世界を作り替えたり、新しい世界を生み出したり、そんな風に影響し合っているのかもしれない」
(2)
幻想世界は街と繋がっていると考えてください。
根拠はことみの話からです。(資料Aを参照)
お互いに干渉しあってる、という考えです。
(元々の考えは影の宇宙からだと思われる)
(3)
アニメの中で、街の噂として何回かその存在が示唆されていますが、あくまでもあるかどうか分からないという噂話で終わっています。
人の願いや幸せが形態として表れたもの。
人の願いや幸せ = 光の玉
(4)
光の玉を集めれば救われるという前提として考えてください。
光の玉を集めればなぜ救われるのという疑問はアニメだからという理由で割り切ってください。
まずこの四つを前提条件として考えてください。
■渚と街
秋生さんの過去の話にこの様なものがあります。
渚が発熱で死にそうになった時に、病院が建つ場所に来たところで、一命を取り留め救われる。
まるで、街に渚が救われたような不思議な出来事。
秋生さんの台詞。
「その時、ここの緑が渚を包み込むような気がした」
これは言い換えればこの街の自然が渚を救ったような気がしたとも聞こえなくもないです。
本作ではこのシーンはこのように扱われていますが、その後、病院を建てる場所の自然を破壊すると、渚の体調が悪くなるという偶然にしては出来すぎている展開になります。
作中で、朋也が渚と街は繋がってるような気がする、とちょっと軽い気持ちで疑問視していますが、
実際そうだったとすると、街が変わると、渚の体調も変化しているので、辻褄は合うのですよね。
「ここが渚の分身のように思えてならなかったんだ」(CLANND15話の秋生さんの台詞)
わざわざこの台詞を入れているのは秋生さんの心情を表現しているだけではないような気がすると私は思います。
私が思うのは渚の中に街の力が宿り、渚を生き長らえさせた、ということです。
そう解釈すれば、街の自然が減少したことにより、渚の体調が悪くなっていたことも理解できます。
■朋也と汐
最後に幻想世界の少女は記憶を取り戻して、「さようならお父さん」という台詞を呟いています。
その記憶が汐のものなので幻想世界の少女は汐、そのお父さんは朋也なので、ロボットは朋也ということになります。
汐 = 幻想世界の少女
朋也 = 汐が組み立てたロボット
幻想世界の少女は最初から存在しないのだから、いつから存在しているのか?
汐は「さようならお父さん」と呟いているので、汐が生まれる前ではないでしょう。
では、汐が生まれて死んだ21話の後と考えるのが自然ですよね。
汐が誕生する前にいたことになれば、朋也がお父さんだということが分かりません。
また幻想世界から朋也が旅立つ時に、汐は幻想世界=自分だということを朋也に知らせています。
つまり、汐は死んだ後、朋也より先に幻想世界に転生して、幻想世界と一体化したことになります。
補足。
幻想世界の少女が記憶を取り戻した際に、汐の記憶だけじゃなく渚の記憶も混じっていたのはなぜか。
私は、渚が汐を産んだ時に、渚に宿った街の力がそのまま汐に移行したのだと思います。
そうすると、渚が死んだのは宿った街の力が汐に移行したからだということになり、汐の記憶だけじゃなく渚の記憶も混じっていた事の理由も全て説明がつきます。
■光の玉を使って渚を救ったのは誰?
光の玉を集めて、渚を救うシーンが描写されていますが、アニメは省略化されています。(私の友人から聞いた話)
というか、そもそも原作では各ルートで光の玉を集めてAFTERSTORYをプレイすると渚が救われるというシステムなのです。
原作とアニメは違いますが、アニメの場合も
最後に、朋也が渚を救えたのは、光の玉を集めたからです。
光の玉が大量発生しているシーンもありますから、やはり光の玉で救われたと考えるのが一番良いです。
また18話か19話か分かりませんが、朋也がお父さんと会った時に光の玉が発生しているシーンが描写されています。
ただ光ってるだけの物体だろう、と気に止めなかった人も多いでしょうが、あれこそが光の玉です。
光の玉によって、世界が改変されて、渚が救われたという解釈が一番しっくりします。
では、誰が光の玉で世界を改変したのか?
>渚が発熱で死にそうになった時に、病院が建つ場所に来たところで、一命を取り留め救われる
>まるで、街に渚が救われたような不思議な出来事。
仮に、これが街が光の玉を使って救ったとするなら、「なぜ?不思議な出来事が起こったか」という辻褄が合いますね。
同じように街が光の玉を使って救ったのなら辻褄が合うような気がします。
街に意思なんてあるのか?という質問が飛んでくると思います。
街と幻想世界は繋がっています。
幻想世界と汐は一体化しています。
つまり幻想世界の汐の意思が街の意思です。
こうすると疑問点が幾つか無くなります。
①なぜ?汐を幻想世界に転生させたのかという点
②誰が世界改変したのかという点
幻想世界に転生した汐が、光の玉を使い世界を改変した。
私はこう解釈しています。
CLANNDの批判でよく言われるのが、そもそも光の玉を集めたら人が救われるという描写が少ないため、アニメだと分かりにくいという点です。
あえて描写されている所を挙げるなら
>渚が発熱で死にそうになった時に、病院が建つ場所に来たところで、一命を取り留め救われる
>まるで、街に渚が救われたような不思議な出来事。
ここですね。
かなり分かりにくいですが。
そもそも原作で光の玉がシステムとして存在している事を考えれば、光の玉によって渚が救われたというのは揺ぎの無い定説です。
しかし、描写不足で伝わりにくいという論点は中々反論が難しいです。
さらにその定説にも、
光の玉によって渚が救われた過程にも色々と説があります。(朋也が渚の出会う前からやり直して、光の玉を集めた説などなど)
■総評
全てまとめてみると、
かなりラストが理解しにくく、それでいてキャラクターが人の好みを選ぶので、人を選ぶアニメだとということは変わりありません。
家族の大切さという絵柄とは相反した重みのあるテーマは、見るに値するものだと私は思います。
現実世界では有り得ないキャラクターを使って、家族というテーマを表現するのは、家族というテーマ自体を侮辱しているのではないかとか、安っぽいテーマだとか、都合の良いキャラクターばかり並べてオナニーを見せられているかのようなとか、色々批判があると思いますが、そういった都合の良いキャラクターを並べて安っぽいテーマを描くと見せかけておいて、重みのあるテーマを描くのがCLANNDの魅力なのです。
例え、キャラクターが現実世界にいなかったとしても、そのキャラクターはアニメの世界で悲しんで泣いて苦しんで、喜怒哀楽を持ち、生きています。
現実世界の人間じゃないから共感出来ないと言う人もいるかもしれませんが、共感出来る人もいるんです。
それがあなたの感想なら違った感想を抱く人もいるんです。
レビューを実際に見てください。
多種多様な感想が沢山存在しているでしょう?
現実世界の人間じゃないから共感出来ないというわけではないんです。
ディズニーだって、ドラえもんだって、宇宙人の話だって、サイヤ人の話だって、共感出来る人はいるでしょう?
この作品は一般向けとは言い難く人を選ぶかもしれません。
しかし、その歪さこそがCLANNDの魅力なのではないでしょうか?
一見、理解しがたい世界で描く家族というテーマ。
ファンタジーの世界で描く家族というテーマ。
私は本作のキャラクターデザインの大きな目を最初は軽蔑していました。
しかし、よくよく考えてみるとその大きな目こそが、CLANNDの独特の世界を作り出していることに気がつきました。
ファンタジーチックなおとぎ話。
そう。おとぎ話。
そういった絵本を呼んでいるかのような感覚が、CLANNDなのではないでしょうか?
私はおとぎ話として、CLANNDを評価します。