aaa6841 さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 3.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
変わらなくていい
個人にとって社会活動の原点であり、学生にとって最重要テリトリーである「学校」
そこで繰り広げられる様々なイベント、もとい苦行に、たった一人立ち向かっていく姿を描く、壮絶な精神的バトルアニメである。別に感動はしない。
自分だけが主演で、主役で、主人公であり、己の一挙手一投足に生死を賭け、周囲の舞台装置どもを蹴散らしながら、輝ける青春の日々を全うするという使命を課せられた場所。
それでいて、主人公補正が一切かからないという難易度に設定されたステージ。
そんな人智を越えた領域で、今日もまた、学生生活という浮つきまくった空間に幻惑され、錯乱する生徒が一人。
本作の主人公、黒木智子。通称「もこっち」である。
目元を隠せば本人も驚くような美少女であり、休み時間における寝たフリが得意な演技派で、ある時には砂鉄が飛散したような黒いオーラを身にまとい、またある時には次元が歪んだような紫のオーラを漂わせていたりするほどのカリスマ性を持ちながら、高校生になって二ヶ月、一度たりとも寄り道をしたことがないという、とっても真面目な女子生徒である。
物語は、そんな彼女が高校生になるところから始まる。
高校入学直前の時期、インターネットにて、「男にモテないブス」という意味をもつらしい、「喪女」(もじょ)なる用語に行き当たるも、そこは女子高生。何もしなくても、健全ではないお付き合いが向こうからやってきて、欲にまみれた生活が保証されているものだと信じていた。
しかし、5月半ばも過ぎた頃、入学以来、高校生と一度も会話をしていないことに気づいてしまう。
そこから徐々に視界と次元が歪みはじめ、禍々しいオーラを具現化しつつ、煩悩を垂れ流したような奇行を重ねていく。
そんな彼女であるが、当面の欲求としては友達がほしかったり、男がほしかったり、とにかく誰でもいいからチヤホヤしてほしかったりすることにあるらしい。
そこで、現状の自分のままでは駄目だと思った・・・のかは定かではないが、チヤホヤされる自分へと変貌するため、自らのキャラ設定を試みる。
その結果、アヒル口という名の顔芸を公然と披露したり、初対面の相手を前に「何か面白いことを言わなければ・・・」という焦燥に駆られて、渾身のネタを披露したりと、更なる間違いを重ねていく。
ここで、本人的には、付与するキャラ設定が間違っていたとか、そもそも相手の心が狭いのが悪いとかいう結論に至るのだが、この場合の本当の間違いは、「自分を変えようとする行為」そのものにあるのではないだろうか。
その完全に気が狂っとる本性に、普通とか、無難とか、妥当とかを大量に混ぜて薄味にしたところで、「かなりキモい奴」から「ちょっとキモい奴」に昇格するだけではないか。
まぁ良くて、影の薄い人くらいにしかならないと思われる。
人の思い描いた理想のキャラクターというものは、それを演じようとすればするほど、没個性の有象無象に成り果ててしまうものである。
なぜなら、人が考える理想なんてものは大抵の場合、かっこいいとか、かわいいとか、面白いとか、優しいとかいうものに行き着くため、キャラクターを設定した時点で、その他大勢と同じ方向を向くことになり、その他大勢と同じようなセリフを自然と発してしまうことで、それを受け取る側に何のインパクトも残すことができないからである。
このような土俵で勝者の地位を掴みとろうと思えば、もう容姿がずば抜けているとかでなければ不可能である。
人間関係を有利に進めるために、無理やりにでも付けたキャラ設定のはずが、結果的に自分を不利な状況へ追い込んでいる。
大したネタもないのに無理やりアニメレビューを書いても、長いだけで、何のまとまりもないクソつまらんものになってしまう現象に似ている。このレビューのように。
ではどうすればよいか。もちろん上記の逆をやればよいのである。
個性的な人間というのは、自分の思うままに生きている人間のことを言う。
なぜなら、そんなことをして生きている人間自体が少ないからだ。
久しぶりに中学時代の友達と再会したとき、抱きついてきた友達のケツを触りたいという衝動に駆られたならば、遠慮なく揉みしだいてやればよいのである。
小学生に挨拶をしただけで事案となるこのご時世、再会するやいなや問答無用で抱きついてくるという超絶セクハラ行為を受けた代償として、相手のケツを揉みしだく程度のことは、正当な権利として認められるに違いないのだから。
そして、なんと、一般論として、天真爛漫な女は男にモテるという話がある。
結局のところ、人間関係を円滑にする秘訣は、いかに自分をさらけ出すかにあるようだ。
そういう意味では、意図的に入浴を控えた結果、七色に輝いた黒髪。その中にアリを飼育しているもこっちは、ぶっちぎりで天真爛漫なのではなかろうか。
この点をよくよく考えてみると、天子爛漫な姿を十二分に見ている者(視聴者)は、もこっちの可愛さに気づくことができるのに対し、天真爛漫な姿を見ていない者(作中クラスメイトなど)が、その可愛さに気づくことができないというのは必然ではないか。
したがって、もこっちは自分を変えようとするのではなく、その天真爛漫(ゴミカス)な部分を、ちょうど良い配分で小出しにする術を身につけるべきだろう。
そうすれば、皆がその可愛さに気づいてくれるはずである。
だって既に可愛いのだから。
休み時間に寝たフリをしていたら、よく眠れたか聞いてやろうと思うくらい可愛いし
エア電話をしていたら、その相手役をしてやろうと思うくらい可愛いし
ヘッドフォンに髪の毛がからまっていたら、いっせーので引きちぎってやろうと思うくらい可愛い。
授業中に消しゴムを落としたら、2回に1回は拾ってやろうと思うくらい可愛いし
納豆の食べ過ぎでゲロを吐いていたら、両手を貸してやろうと思うくらい可愛いし
人の部屋でコーラをボタボタとこぼしていたら、顔面をはっ倒してやろうと思うくらいには可愛い。
そんなアニメです。