みかみ(みみかき) さんの感想・評価
3.7
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
わたしは強いて言えば比呂美派
■岡田 麿里の苦闘――比呂美が眞一郎を好きになる理由のなさ
作品はいいっちゃいいけど、失笑してしまった
まず、前提として本作は心理描写の水準が非常によくできている。
…ただし…!
ギャルゲー世界観を前提とした作品であるためか、心理描写のリアリティの水準が、
(1).ご都合主義的なフィクションならでは心理描写水準Aと、
(2).現実的な心理描写の水準B
の二つが混ざりあい、わけのわからんリアリティ・ラインを形成している。この、ギャルゲ・ロボットと、人間が、交互にスイッチのオンオフを繰り返しているような状況下が、失笑してしまった理由。
とりわけ、その二つの水準が混ざり合った結果、わけのわからない状態になっているのが、湯浅比呂美というキャラクターだろう。
ごく、リアルに考えて、田舎町にいる才色兼備、スポーツ万能でかつこれだけ底意地の悪い、めんどくさいタイプの女子が、仲上眞一郎を好きになるプロセスが正直なところ想像がつかない。こういう受動的で、凡庸な男に引かれる、というのも経路として無くはないだろうが、もう少し好きになるための前提となるエピソードが大量にさしはさまれていないと、説得力が皆無である。幼少期の頃のエピソードがひとつ差し挟まれてはいるが、ぜんぜん説得力に欠ける。幼少期に助けてもらったぐらいの記憶は「ああー、昔は助けてもらったわねぇ」ぐらいの記憶として軽いものになるだろ、ふつう。
…ただし、これは現実的な水準Bによって、比呂美というキャラクターを捉えた場合のことであって、実際にはフィクション的水準Aによってしか「眞一郎を好きである理由」は説明できない。要するに、ギャルゲーのメディアミックス作品だからだよ…!それ以外の理由なんてねーよ!としか言いようがなかろう。
「あまりにも…むりやり…っ…!これでは…!…あまりにも…、なんてことだ…っっ!!
そもそも、リアルな水準だけでの人物描写なんて…っ!!完全には無理なんだ…っ!!」
と思わず、カイジテンプレでつぶやきたくなるような強引な二重のリアリティのズレが観察される描写。悪くいえば、リアリティラインにブレがある、ともいえる結果になっている。
これはやはり、明らかに無理を感じるつくりだろう。
だが、岡田史、としては、この後の『とらドラ』においてはこれが解決されている。フィクション水準Aのはなしが前半で描かれ、現実水準Bの描写へとかわることで、人物描写が、深堀されていくプロセスであるかのような展開で成立することが可能になっている。『とらドラ』は後半で複雑な人物描写になったのちは、フィクション水準の人格描写に舞い戻らずに済んでいる。図式的にいえば、
[true tears] A→B→A→B→A→B→A
[とらドラ] A→B
という感じ。
そういうわけで、『とらドラ』の前半から後半へといたる「転調」が発明されるまえの、岡田の苦心の跡、としてtrue tearsのいびつさは興味深い。
■ちなみに、そのフり方もひどいぞ…
さて、で、ストーリーの大筋については、ざっくりと言えば、これは「女を振る話」である。
いかにして、ふるか。そのことが、終盤の焦点になる。ある程度、現実的なリアリティがある話なので、現実的な処方箋として考えるとこれはひどい。乃絵をふっておきながら「俺は湯浅比呂美が好きだ。でも、お前をみていると心が震える」は、ナいだろ、と。そんな振り方すると、ほんと生殺し状態に近く、およそ一ヶ月~半年程度は強い失恋のショックでいろいろなことが手につかなくなるだろう…。
で、「おいおい、眞一郎w、おまえ、それはないだろうww」ということでも、失笑してしまった。というか、下手をするともっと、こじれる可能性も高いので、まったくお勧めしない。男女の関係が逆であった場合、ストーカー問題などに発展する危険性すら感じる、けっこうやっかいなフり方だな、と思う。
ここもまあ、ギャルゲーの主人公的リアリティによって、「いい人」であることを要請されすぎので、こういうことになっちゃってるんだろうけれども、これはひどいw
※恋愛上の振舞いとして、主人公ほどでないにせよ、ほとんどの登場人物がひどい(笑)。唯一、ひどくないのは被害者度の高い三代吉ぐらいではないだろうか…。
オタク諸氏においては、まかり間違っても、本作を恋愛の教科書などに、しないことを願いたい…。
恋愛心理がきっちりと描写されているところと、笑えるほど嘘八百なところが、豪快にまざりあった特殊な料理なので、勘違いが起こりやすそうなのが不安感があるが…。
■追記:わたしが比呂美派である理由。
で、タイトルにかかげた、ひろみ派である理由だけれど、ほかの人のレビューを読むと、乃絵派がとても多かったので、その理由について簡単にのべておきます。
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わたしの観方だと、
「乃絵」は、ギャルゲ・ロボットの具現化としてしかわたしには見られません。ある種の典型的な物語表現においては、たしかに「いい子」なんだろうとは思いますが、これは幻想の妖精なので、幻想の妖精である限りにおいては、たしかにいい子です。でも、やっぱりこういうものは、手を触れた途端に、おそらく妖精であることをやめてしまうような存在なのではないか、と思います。
岡田麿里を秋元康にたとえれば、乃絵は秋元康にとってのAKB48であり、AKB48として大切にされているものかと思います。大切な売り物です。
もちろん、妖精を妖精として愛する、という態度はそれはそれで意味のある態度だと思います。
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で、すでに書いたように比呂美は、妖精ではありません。30%ぐらい妖精なんだけれども、これはギャルゲ・ロボットそのものではありません。こちらのほうが、人間臭がただよいます。
わたしは、ギャルゲ・ロボットを、躊躇いなく好きになるようなタイプのメディア受容は、あまりできない人間です。ですので、わたしは「強いて言えば」比呂美派です。