aaa6841 さんの感想・評価
3.9
物語 : 3.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
牛乳を口に含みながら見てはならない
これは、ゲームであっても遊びではない。
まず、このアニメを見て最初に思ったことは、生死をかけたデスゲームという設定の割に、全体的に雰囲気が和やかすぎるし、呑気な奴が多すぎる、というものだった。
登場するキャラのどいつもこいつも「死」に対する認識が甘く、「死んだら楽になれる」くらいにしか考えていないように見えた。
例えば、第2話終盤に1層のボスと戦う場面がある。
このとき、集団を取り仕切っていた「ディアベル」が、その戦いに確実に勝利することよりも優先して、ラストアタックボーナスによりレアアイテムを手に入れるために1人でボスに突っ込んでいくが、不意をつかれて深刻なダメージを負う。
それを目撃したキリトが、すぐさまディアベルに回復アイテムらしきものを渡そうとするが、ディアベルは何故かそれを拒否。
「インチキしたからそれは受け取れないんだ」みたいな、わけのわからん順法精神で死のうとするのである。
この流れはあまりにも非現実的すぎるし、生きることへの執着が全く伝わってこない。
何なら「この死んだ奴らって本当は生きてんじゃないの?」と思うくらいに、死に対する認識が軽い。
第3話では、ソロプレイヤーをやっていたキリトだが、モンスターに襲われている人たちを助けたことで、彼らからギルドに勧誘され、キリトはそこに所属することになる。
すると、キリト以外は大して強いわけでもないのに、軽いノリで上の層の行き、軽いノリでズカズカと先に進み、トラップにかかって敵に囲まれると、軽く殴られて即全滅する。
この回初登場から、ほんの10分くらい掘り下げただけのキャラである上に、調子に乗った結果死んでいったような奴らを見ながら感傷に浸るのは無理だったので、この段階で既に、軽く鼻で笑うくらいの精神状態で視聴していたというのに、キリトが1人生還した後、サチの残したメッセージがあったことに気づく場面で、その音声メッセージを再生したときに、サチが第一声で、
サチ「君がこれを聞いているとき、私はもう死んでると思います・・・」
などと言い出したときには、もう笑いを堪えることができなかった。
サチさんからすれば、自身が死ぬことは予定調和であったらしい。
生きることへの必死さが皆無である。
存命のうちにこんなメッセージを残したということは、キリトの「君は絶対に生き延びる」という言葉を全く信用していなかったということになるし、その気持ちに報いる努力もしなかったのだろう。
そんなクソ女のメッセージを聞いて、涙を流す主人公のキリトさん。
まごうことなき聖人である。
その後、事あるごとに、「トラウマ回想」としてサチがくたばる瞬間を繰り返し見せられるのだが、その度に薄ら笑いを浮かべるしかなかった。
こんなコメディみたいな成り行きをトラウマ扱いされても、感情移入のしようがない。
と、まぁそんな感じで、このアニメからは、デスゲームへの絶望感や焦燥感が全くといっていいほど伝わってこないので、シリアスな場面が滑稽に見えて仕方がなかった。
なので、最初にこのアニメを見たときは、随分と安っぽいアニメだなと思った。
しかし、そのような批判的な見方になるのは、このアニメを「普通に」見た場合である。
「仮想世界で繰り広げられる生死を賭けた壮大なファンタジーバトルアニメ」などという誤った認識を持って視聴した場合である。
ここさえ間違えなければ、素晴らしく愉快なアニメだったと言える。
序盤において、早くもその片鱗を見せつけている。
2話終盤でボス戦を終えた後、ベータテスト経験者の存在が原因でその場が混乱状態になるのだが、キリトが機転をきかせ、自身が「嫌われ者のソロプレイヤー(ビーター)」になることで、場を治めるという場面がある。
が、3話冒頭でオープニングすら跨がないうちに、キリトさんがこんなことを言い出した。
キリト「じゃあ、仲間(ギルド)に入れてもらおうかな」
いきなり、すんごい和気あいあいとした場面から第3話が始まったのである。
2話終盤に見せた、「フハハ!俺はビーターだ!」とかいう迫真の演技はなかったことになったのだろうか。
早くも黒歴史扱いなのだろうか。
そして、中盤に差し掛かると、ついにアインクラッド編(1話~14話)の目玉、「プログラムと戯れる親子プレイ」が幕を開ける。
幼女(プログラム)に、「パパ」「ママ」とか呼ばせちゃう。
最高のエンターテイメントが開幕した瞬間である。
プレイ内容があまりにも突き抜けすぎていたので、笑いを通り越して、見ていて腹が立ってきたのは言うまでもない。
このプレイ中で特に面白かったのは、キバオウの横暴により、地下にあるクエストで監禁状態になっている男を助けに行く回である。
90層クラスのボスをユイによるチートで撃破したことで、ゲーム管理者によってユイが消滅させられるのだが、ユイが消えかかっているその場面で、キリトさんの言動が何やらおかしい。
キリト「カーディナル!・・・いや茅場!!そういつも、お前の思い通りになると思うなよ!」
キリト「GMアカウントでシステムに割り込めるかも」(キーボードカタカタ)
キリト「どわぁ」(後ろにぶっ飛び)
キリト「ユイの・・・心だよ」
まず突然後ろにぶっ飛んだ意味を見出せないし、「ユイの心」とかわけがわからないのだが、そもそも、3人で勝手に親子プレイを始めただけなのに、なぜ茅場に対して怒りの矛先が向いたのだろうか。
完全にやつ当たりである。
この一連の場面、やけにシリアスで悲劇的な雰囲気になるのだが、よくよく冷静になって考えてみると、彼らがやったことといえば、プログラム相手に「おままごと」をしていただけである。
幼女(プログラム)に、「パパ」「ママ」とか呼ばせていただけである。
幼女に「お兄ちゃん」と呼ばせるような変態プレイと一体何が違うのだろうか。
その上、キバオウの横暴で始まった話であるはずなのに、キバオウはその姿を一瞬たりとも見せずに終わるというオチまでついてくる。
キバオウさんの心は救われないようだ。
フェアリィ・ダンス編(15話~25話)に移行した後も、コメディ色は増すばかりだった。
キリトと妹が、病院へアスナのお見舞いに行ったとき、2人が悲しそうな表情でアスナの姿を見つめているというシリアスな場面がある。
いや、恐らくシリアスな場面だったと思うのだが、突然、「病室では寝たきり状態であるアスナが、ゲーム内では容赦ない触手プレイを食らっている」という演出が入ってくる。
そんなアスナを、悲しみに暮れる表情で見つめるキリトと妹。
いや、そんな演出を入れたら、2人の悲痛な表情の意味が変わってくるではないか。
製作スタッフは、この場面で一体何を伝えたかったのだろうか。
お茶の間に笑顔を届けたかったのだろうか。
確かに、キリトが妹にアスナを紹介するとき、神妙な面持ちで、
キリト「紹介するよ・・・彼女がアスナ。血盟騎士団副団長、閃光のアスナだ」
などと言い出した時点から若干不穏な空気は感じていたが、シリアス全開のこの場面で、惜しみない触手プレイを披露するとは、なかなか斬新な演出だった。
その後も、グランドクエストに挑戦するという山場の回では、ゲーム中なのに、キリトが妹のことを「スグッ!」と本名で呼びだすし、それに対して妹は「おにーーちゃーーーん!」と叫びだすし、レコン(妹のリアル友達)による決死の自爆技は「ミートボール!」だし、もう何が何やらという感じだった。
そして、お待ちかねのラスボス須郷との決戦は、憎悪、狂気、暴力、奇声、変態、おっぱいが入り乱れる戦慄のカーニバルとなった。
ここにきて、過去最高のサービス回である。
もう言葉にならない出来であった。
こんなものを見せつけられた以上、視聴している側が出来ることと言えば、スタンディングオベーションかマスターベーションくらいのものである。
最後の最後にもなると、「ついにアスナを救いだした」という瞬間に流れてきた感動のBGMにすら笑えてくるのだから、相当な力を持つアニメだったと言えるだろう。
これは、ゲームでも遊びでもなく、コメディです。