yapix 塩麹塩美 さんの感想・評価
4.7
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
その想いは海に大気にキラキラと融けていく・・・
ブラボー!ブラボー!!パチパチパチパチ・・・・・
新たな名作の誕生を祝福しようではないか!
再視聴の必要があるかもしれない。1クールのP.A.WORKS得意の青春物(多少設定が異色ではあるが)と勝手に思い込んでいたため、かなり軽い気持ちで視聴していた。これは痛恨であった。認識が一変したのは2クール目に突入後である。こうくるとは!このとき名作の誕生を予感した。以後、予感は徐々に確信へと成長し、ここに名作が誕生したのである。
さて、この作品を名作たらしめている要因について考えてみたい。
絵の綺麗さ、よく作りこまれたドラマ、世界観と非常にマッチしたOPとED、すべてが高水準であったことは間違いない。特に、第2クールのOPは心憎いばかりであった。あの、主要キャラが視線を外していく様子、順番といいタイミングといい、鳥肌が立つほどであった。しかし、この作品を特徴づけている決定的な要因は次の二つにあるのではないだろうか。
一つ目は、作品の底流に神話(又は民話)とも言うべきものを置くことによって、物語が多層的な構造を獲得し、単なる恋愛物・青春物におさまらなかったこと。
二つ目は、2クール目突入時の時間設定の妙である。これは本当に絶妙であった。そして、この時間の経過を表現するにあたって、アニメほど的確にこなせる手段は見当たらない。これは、アニメという表現手段そのものの勝利と言っていい。
とにかく言えることは、視聴すべし!ということである。
以降は、ネタバレ全開の讃辞である。この作品の魅力を言葉で説明することに意味があるのか、甚だ疑問ではあるが、なんとか言葉を紡いでみよう。
2クール突入時の時間設定について
{netabare}5年という時間は絶妙である。もちろん、作品の設定上の要請(光と美海の年齢を合わせる)があるのは疑いのないことであるが、これは、逆に光と美海の年齢差の初期設定次第で何年にでも設定できることである。つまり、シナリオ上でも意識的に5年という期間を設定していると考えるべきである。
5年という時間は、大人にとっては長いものではない。特に社会人になってしまえば、5年なんてあっという間である。はっきり言って、5年前の自分と今の自分との間に明確な差異を認めることすら困難である。
しかし、子供にとっての5年間は大きい。14歳は19歳に、9歳は14歳となる。中学2年生は大学生(専門学校・社会人)となり、小学3年生は中学2年生となる。思春期の坊や嬢ちゃんはいっぱしの大人(身体は)となり、ガキンチョは第二次性徴を経て思春期に突入する。いずれの場合においても心身ともに大きな変化があり、自分自身でも自身の成長を実感しているはずである。
こんな激動の5年間を経て想い人と再会する。しかもその想い人は5年前と同じ姿なのである!美海とさゆの胸中やいかに!そして、ちさきの胸中は・・・こんなことはありえない。が、想像するだけで胸がざわつくではないか!
5年という期間は待つには長い。心のどこかに諦めの気持ちも芽生えているであろう。もう忘れた方が・・・と思いつつも、忘れたくないと願う。そんな葛藤がまだある。1年や2年ではこんな葛藤にまで至らない。全力で信じて待っていられる。10年なら・・・待っていられれば奇跡である。結果として待っていた、ということはあり得るが、その場合、待ち人はもう想い人ではないであろう。
そうした思いで再会を果たした訳だが、同じ年齢となった美海とさゆにとっては、複雑な思いがあるにしても、喜ぶべき事であろう。だが、5歳年上となったちさきにとっては・・・再会自体は嬉しい、でも・・・かといって、絶望するほどの年齢差でもない。19歳とは微妙なお年頃である。もはや子供ではない。しかし大人でもない。無邪気に純粋に信じることができるほど子供ではない。だが、冷静に冷徹に現実を見据えることができるほど大人でもない。だから、ちさきは揺れる。本当は答えがわかっているのに。
光・要・まなかにとってはどうだろう。目が覚めたら5年後だった彼らにとってはどうであろうか。心を一部奪われているまなかは分けて考える必要がある。好き、愛する、の気持ちがあればこそ、変化に対する葛藤が生まれるのであって、これが無いまなかが無感動なのは当然である。光・要については、作中でもそのように描かれていたが、全くをもって、自分のことで手がいっぱいである。変わってしまった風景・成長してしまったかつての仲間達、つまり現実を受け入れることで精一杯なのである。彼らにとっては5年たっていないのである。待っていた人の気持ちを慮ることを求めるのは酷である。
この空白の永く重たい5年間が、苦く、切なく、暖かい、恋の物語を生んだのである。{/netabare}
海神様とおじょしさま(工事中!しばし待たれよ)
{netabare} 海神様は、いかにも日本的な、ギリシャ・ローマ的な神様である。
超常なる力を持ち、気高く、孤高でありながら、喜怒哀楽があり、人を愛し、女を娶り、子を生す。愛すべき、人の延長上にある神様である。
そんな海神様が女を娶った。おじょしさまである。海神様はおじょしさまを愛した。やがて子も生まれ、全ては上手くいっているように見えていた。でも、おじょしさまは海神様から隠れて一人で泣くことがあった。何を泣いているんだろう。おじょしさまには想い人がいた。その人を想って泣いているのだ。心を痛めて海神様は、おじょしさまを地上に帰した。愛する心を奪ったうえで・・・
これが海と陸の村に伝わる伝説である。そして、この海神様の心を鎮めるために執り行われていたのが「おふねひき」である。
私は、この伝説が数千年前のことなのか数万年前のことなのかはわからないが、実際にあった物語の伝承と捉えている。釈迦が生まれてすぐ天上天下唯我独尊と言ったこととか、イエスがゴルゴダの丘で3日後に復活したこととかと同じように。
やがて海神様への信仰は廃れ、伝説も忘れられていく。{/netabare}