北山アキ さんの感想・評価
3.9
物語 : 4.5
作画 : 3.5
声優 : 3.5
音楽 : 3.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
スロースタートだが最終的に面白かった
全50話をかなりゆっくり観た。
だって、30話過ぎるくらいまで全然面白くならないのだ。
前半はロボが動いてるだけで面白いと思えるくらいじゃないと辛い。
僕も何度もやめようかと思った。
世代的にはZくらいからリアルタイムだが、たぶん観てなかった。
ザブングルのほうが観てた気がする(内容は覚えてない)。
家にあるプラモは初代のものが多かった。
でも、ガンダムシリーズはまともに観たことないので観続けた。
結果的に、後半は面白かった。
米国の覇権というのは60年代から下り坂に入り、それ以降緩やかに減少し続けている。
それは70年代に入り、ニクソンショックやベトナムからの撤退という形で公式発表され、誰の目にも明らかな事実となった。
(一方のソ連はアフガンで張り子ぶりを露呈していた。)
その世界秩序の変化を受け、東西二極分断の価値観に対する疑問が大手マスコミレベルでも扱えるになってくる。
その流れで作られたのが初代ガンダムだったのだろうと思う。
世界史的には西でも東でも、それらとの非同盟でもない、ホメイニ革命というさらにラディカルな変化があったのだが、これは90年代以降のハンチントン的な文明の衝突秩序を促してゆくことになる。
日本ではこれを歴史観として捉えた知識人の間に感情的な拒絶反応を巻き起こした。僕からすれば、価値中立的に読めばこれは歴史を検証した論文ではなく、米国の世界秩序戦略、要するに世界のグローバル化とブロック化を同時並行で進行させる多極化戦略を表明したに過ぎないと思うのだが(感情的に反応した文化人たちは東西思想詮戦の色眼鏡から抜け出ていなかったとも思う)。
話を元に戻すと、その70年代と90年代の間の時代は、東西の雪解けの時代であり、その時代背景で作られたロボットアニメがマクロスである。
ソフトパワーにおける優位性を利用して融和を唱えつつ併合するみたいな物語とも言える。
90年代は結果として、世間の認識的には文明の衝突が読み違えられた混沌の時代だったのではないか。フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」的楽観主義や、米国の保守回帰的な保安官と子悪党の独善的勧善懲悪秩序観などが入り乱れた。ただ、地政学から地経学の流れと、官から民へのパワーシフトが進行し、大国間の武力衝突の危険性は減少したのは間違いない(というか大国が米国だけになったことも理由だが)。
そんな中で作られたロボットアニメがエヴァだ。
もはや誰と戦っているのか分からない世界だ。
今の世界を見てみると、G7がG20に拡大するなど、結局、文明の衝突戦略が装いを変えつつ進行しているように思う。ただそれは、経済的な分野で先行し、政治・行政の面では目に見えて現れてはいない。
そんな中で作られたコードギアスは、妹LOVEという正義を土地転がしして世界平和にまで昇華する話だが、アルカイダと米国のように、戦争が国家同士のぶつかりあいではなく、国と国家権力ならざる集団の間でも発生するし、戦略兵器を国家権力以外の者が手にし得る時代を写していた。
SEEDの世界観は時を経ても初代のころの冷戦構造の影を引きずっている。
(序盤はなんでこいつら戦争してるのか分からんと思いながら観てたが、色分けが構造化されている世界では、外から見れば意味が分からなくても、当人たちにとっては考えるまでも無いことだったりするのだろう。冷戦時代はそんな世界だと思う)。
にしても時代錯誤とは言えない。世界の小規模紛争は新規も冷戦下から継続しているものも衣替えしながら継続しており、その参加者たちは彼らの小宇宙において地球軍とザフトであるとも言えるからだ。
そういう意味で普遍性のあるテーマを扱っている作品じゃないだろうか。
ただ、視聴者における東西冷戦時代と今との意識の違いはあるような気もする。つまり、自分たちがが巻き込まれるかもしれない世界大戦の可能性がより強く念頭にあったのではないか。一方で、今の世代の人がSEEDを観るときは自分たちが参加する戦争より、世界のどこかで起こっている戦争に当てはめて考えるのではないか?そんな気がする。
これはネタばれになるけど、{netabare}
凄惨な消耗戦で主要キャラがどんどん死ぬのにはびっくりした。
長い分だけ人物もよく描かれ、感情移入できるようになっているのに、
かなりシビアに感じた。
(死に様にヒロイズムの花を持たせているところは救いだが。)
それだけこの作品がメッセージ性をを重視しているということだろう。
逆に言えば、メッセージのために人物が積み重ねられている。
{netabare}