退会済のユーザー さんの感想・評価
3.9
物語 : 3.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
苦痛や困難などのドラマツルギーをなるべく排除した作品。
苦痛や困難などのドラマツルギーをなるべく排除した作品。
物語性を後退させて放送期のデータベース消費に特化した作品、とでも言いましょうか。
■作品の作風について(簡単なまとめ)
所謂、オタクコンテンツの流行りの流れとして、
ゼロ年代の『らき☆すた』のヒットにより、
『空気系』という物語性を排除してキャラクターの魅力やに特化した作品が流行っていたのですが、
その流れを象徴する作品と言うのが本作品の立ち位置ですかね。
ドラマツルギーの排除といえど、負の感情を排除していますが、
基本的な時間軸に沿って物語は進んでいますし、成功する瞬間を描いたり、
物語を終わるが様子を描いていたし、物語が成立しないレベルではありません。
注意事項。
負の感情というのは、女子高生にありがちないじめや嫉妬、悪口。
ドラマツルギーの排除というのは、恋愛的な意味や困難や苦痛を排除ということです。
全く無いわけではありません。排除してなるべく少なくすることにより、物語性を少なくするという意味です。
分かりやすく言うと
女子高生がまったりゆったり過ごすのを、映像化して売り出している作品です。
楽しむ方法としては、女子高生がまったりゆったり過ごすのをエンターテイメントとして捉えてください。
■軽音ではなくけいおん
勘違いされる方も多いと思いますが、けいおんのタイトルを漢字変換なされて
某軽音漫画のような本格的なバンドアニメをやるものだと思い込む方がいるかと思いますが、
そういうアニメではございません。
女子高生のたわいのない日常を描くためと、劇中に音楽を流してCD売上を伸ばすために
『軽音』という題材を使っているだけです。
この時点でお分かりだと思いますが、軽音を真面目に好き好んでる人が見ると
受け入れる方もいるかもしれませんが、馬鹿にする方もいると思います。
『私の大事な軽音を....こんな愚弄するような真似をしてー!許さないわ』
と思ってしまう方は、視聴するのを辞めるのをおすすめします(。・ ω<)ゞてへぺろ
■どう楽しむかについて
Q どう楽しむのですか?
A キャラクターを可愛いと思って楽しんだり、自分が学校に行って、実際と彼女たちと行動していると思って共感したり笑ったりしてください。
↑これが空気系アニメの楽しさです
これをけいおんの醍醐味だと考えてくださいね。
その女子高生も、なるべく負の感情を排除して、視聴者に不快な印象を与えないような性格を持っている女子高生です。
その空気系に音楽の娯楽性も加わっています。
ここでの音楽の娯楽性とは曲自体にある娯楽性を指します。
曲にはサビがあるでしょう?
曲を聴いていると、前奏があり、メロディがあり、サビの所で一気に盛り上がる。
曲自体にある娯楽性です。
それも物語に味付け要素として加わっています。
■空気系の醍醐味の解説。視覚的な効果。
アニメの世界で現実世界に実際にある場所を描いたり、
作画枚数を増やしまるでキャラクターが生きてるような動画にしたり、
そうすることによって、視聴者が宛かもそこにいるような感覚になり空気系の娯楽要素が引き立てれます
空気系のアニメの中に視聴者が『のめり込んだり』、『共感したりする』
上記で私が書いた
『自分が学校に行って、実際と彼女たちと行動していると思って共感したり笑ったりしてください』
これに当てはまりますね。
作画枚数を増やすことによってこの効果が増幅されます。
また平沢唯と中野梓の絡みはとても面白いです。
まるで漫才を見ているような感覚になります。
平沢唯が中野梓にいたずらをして拒否をする。
この会話は中々センスがあり、見ている側としてはとても楽しめました。
例えば自分が学校に言って、実際に彼女たちを見ていたら、見ているように笑っていたでしょう。
澪と律の行動も一例ですね。
とても仲の良い二人だなーと見ていて微笑ましくなっちゃいます。
空気系の漫才的な効果としておきます。
キャラクターが生きてるような動画というのは漠然としているので、
もう少し具体的な表現に直す、と。
作中のキャラクターの仕草にリアリティを持たせるです。
ドラマツルギーをなるべく排除しているのにリアリティを持たせることは可能なのか?
という突っ込みが待ってそうですね。
えーと、ここでのリアリティというのはキャラクターの動きのみのリアリティなんですね。
『キャラクターが動いてる、あ、可愛いな』
『キャラクターがリアリティのある仕草をしている』
こう思わせることが出来れば、実際にアニメの中にいるような感覚になるでしょう。
けいおんという作品はあくまで空気系の楽しみを引き出すために、キャラクターのリアリティを出し、
視聴者をアニメの中にのめり込ませようとしているんです。
例えばキャラに負の感情を与えて、ますますリアリティを出そうとすると、
けいおんの空気系の楽しみが壊れてしまうため、それは出来ないのです。
ですからキャラクターの仕草しかリアリティを出さないのはそのためです。
また実際の場所をアニメの中に出すだけで、視聴者はその背景がリアリティがあればあるほど、共感しますね。
これも視聴者を作品の中にのめり込ませるための技術の一つです。
■『空気系』+『音楽的な娯楽性』=CD購買欲の上昇
けいおんは空気系という基本的な楽しみに音楽的な娯楽性も加わっています。
けいおんの作中で、唯達がライブをするというのがポイントです。
まず京都アニメーションの作画枚数を増やすことによる作品にのめり込ませる効果により唯達と居てる感覚になります。
その効果は上記で説明した通りです。
視聴者がその状態で唯達がライブで自分達の曲を演奏します。
するとアニメにのめり込んでる視聴者は自分達がライブで音楽を聴いてるような感覚になり、
音楽の娯楽性により楽しみを感じ、さらに聴いた後に購買欲が沸きます。
■CD購買欲の上昇について
この購買欲上昇が起こった理由を更に挙げるなら
高クオリティの楽曲によりライブの効果が上昇したことと、
自分たちが結成してから見てきたバンドが活躍したのを目にしたこと、
この二つを挙げれます。
まず高クオリティの楽曲によりライブの効果が上昇したことについてご説明します。
もしも、低クオリティの楽曲だった場合、音楽による『娯楽性』が全く効果を発揮しません。
次にライブが盛り上がらないというのは、せっかく視聴者をアニメの世界にのめり込ませているのに
ライブを見てもつまらなかったら、面白くないと感じてしまうではないか。
そうなると、アニメの面白さは半減するし、面白かったとしても音楽は駄目だったという評価になるため、
購入という所まで行かないのではないのか。
こう思われた時点で購買欲を引き立てる効果は少し減少してしまうのではないかと考えます。
自分たちが結成してから見てきたバンドが活躍したのを目にしたことについてご説明します。
まず視聴者は『放課後ティータイム』を結成当初から見ています。
そのバンドが学園祭などで成功する。
これは、自分達が応援していたバンドが実際にヒットする感覚と同一視しても良いです。
バンドの裏舞台を見て、バンドのメンバーの気持ちを理解した上でその成功を見ることは、
視聴者にバンドの愛着を持たせ、感情移入を起こしやすくなります。
感情移入が上手くいくと、視聴者がバンドの熱狂的なファンとなり、購買欲を上昇させることが可能。
主にこの二つの作用が、けいおんのCDの売り上げが凄くなった要因だと私は考えます。
■前提して考えて頂きたい事
ドラマツルギーの排除による負の感情の欠如を気にするとけいおんの世界に居てる感覚にはならない。
ドラマツルギーの排除による練習シーンのカットを気にするとのめり込めない可能性がある
けいおんの世界において
実際にこのような軽音部があるか、
練習をして無さ過ぎる、
負の感情がない、
という見方をすると、けいおんを楽しめなくなってしまいます。
あくまで『けいおん』という世界だから現実世界とは少し違う
少し現実世界に似ている仮想世界だと考えてください。
■卒業の意味の再認識
声優の演技 + 日常が終わるという認識 = 卒業という意味の再認識
ドラマツルギーをなるべく排除したのに感動出来る人がいる
それはなぜか?
声優の演技力も一例です。
声優の演技はとても素晴らしかったですね。
実際に見ている人の心を揺さぶるような演技力でした。
ですが、声優の演技力だけではありません。
視聴者がアニメにのめり込んでいて、唯達と一緒にいるような気分になるということは
唯達と一緒に学園生活を過ごすということです。
つまり それが終わる ということです。
その時に味わう感情が感動です。
学園生活はだらだらしていて、とても誇れるようなものじゃかったけど
過ごしていてとても楽しかったし、良い思い出だった。
『それが今ここで終わるんだよ、また学園生活を過ごす事は無いんですよ』
これが感動を味合う理由であり、卒業という意味の再認識でもあります。
けいおんという作品を通して、
けいおんが終わらないで欲しいと感じた人は、
卒業したくない、もっと学園生活を味わいたいと思ったのではないでしょうか?
本作品にはドラマツルギーをなるべく排除したためにテーマは軽いものです。
しかしテーマにおいて考えるなら最終話に意味があるのではないでしょうか?
と私は考えます。