HATAKE さんの感想・評価
3.9
物語 : 4.0
作画 : 4.5
声優 : 3.0
音楽 : 4.5
キャラ : 3.5
状態:観終わった
皆さんはこの作品をどのように解釈しましたか?
秒速5cmずつ離れて行った…
それがこの話。
女ってこんなもん
男ってこんなもん
そういう話。
と、そんな風に前は思っていた。
まるで文学作品のようで何とも解釈がし難いのですが、これは成長(独り立ち)を描いているんではないかと、ふと頭に浮かんだ。
第一部ではお互い親の転勤により親しい友達も、愛着のある土地もない、そんな生活をしていたため互いに共通する部分も多く、悩みも分かち合える。そんな仲だったんだと思う。
だから互いが互いを拠り所としていた。
そんななか、急な明里(あかり)の引っ越し。やっと友達と呼べるものが出来たのだと思っていたのに、やはり親という縛りからは子供は逃げられない。まだお互いに必要な存在だったので貴樹(たかき)は明里の待つ栃木まで電車で向かう。
そして貴樹は明里へラブレターを渡そうと決めていた、第三部の明里の回想でもわかるが明里もラブレターを渡そうとしていた。
…それでも結局渡せなかった。
第二部では貴樹も親の都合により鹿児島へ。
まだ明里への手紙(メール)を送ろうかと悩んでいるシーンが何度かあったが、これも結局は一度も送れなかった。
これについては、貴樹はまだ明里のことを想っているんだ。と前は解釈していたが、多分これはミスリードで実際は明里という支えから抜けだそう。明里を変に心配することはやめよう。そう思っているんではないかと。だから一度も送れなかった…。
第一部最後にも貴樹が「僕たちはこの先もずっと一緒にいることは出来ないと、はっきりとわかった。僕達の前には未だ巨大すぎる人生が、茫漠とした時間がどうしようもなく横たわっていた。」
とあることから、駅でのあの別れの会話は、これからは「お互い頑張ろう」と励まし合っていただけなのだ。
第三部では急に社会人となって働いている貴樹に皆さんも驚いたことだろう。そしてまず思うのは「明里とはどうなったんさ?」という疑問。
貴樹は仕事に満足が行かないせいか退職することとなり、数年間付き合っていた彼女とも別れることとなる。一方、明里は一週間後に式を開く模様(指輪をはめてもいた)。そんな対象的な生活を送っている二人がその日、互いに同じ夢を見、同じ線路ですれ違い、そして貴樹は電車が通り過ぎるのを待つが、明里は既にそこにはいない。
明里がいなかったことにより、貴樹はまだ明里のことを思ってはいたが、一方の明里はそうではなかった。と解釈するのもミスリードだと思う。
第一部冒頭の明里と貴樹の線路でのシーンはまだ互いに互いを必要としていた。しかし第三部では社会人となり、もう立派に自分の力で親や環境に左右されることもなく、独り立ち出来るようになっている二人。
電車が通り抜けたあとに明里がいなかったのは、貴樹にとって明里は、自分にとってかけがえのない宝物(思い出)であることは確かなのだろうが、今の貴樹にとっては無くてはならない、必要不可欠な存在ではなくなっていることを意味していたんではなかろうかと。これは明里にも言えることだろう。
こういう結論に至るとなるとやはり、悲しく切ない気持ちになりますね。
言の葉の庭をこの間初めて見て、またこの作品を見たいと思ったのがきっかけでしたが、やはり年齢や経験を重ねるごとに解釈も変わるもんですねぇ…としみじみ。
別の解釈を見かけ、それが大方正解だろうと思いここに追加する。
第一部の最後に明里は「きっと大丈夫だよ」と言ってくれたが貴樹は明里に「明里もきっと大丈夫だよ」と言えなかった。思えなかった…のほうが正しいかな?
そう、明里がいつまでも心配だったのだ。そのためか、高校時代や最後の音楽にのせた回想シーンでも明里がひとりぼっちな姿を想像していた。
そのことがずっと気になっていて。
明里は一人ぼっちでいるんじゃないだろうか。
またいじめられてはいないだろうか。と、高校時代までは心配していたが、再び踏切で再開した時に明里がもうそこにはいないことを見て。
「もう僕が側にいなくても大丈夫なんだね。」
という気持ちから口角を少し上げて歩き出す。
貴樹が笑ったのは淋しさから、という気持ちもあるだろう。しかし実際は、明里がもう一人でも歩いていけるんだとわかったことによる安堵からの笑みだろう。そして、いつまでも心に引っかかっていた「僕がいなくても大丈夫だろうか」という不安も『桜の舞い落ちる速度』のように時間はかかったが、やっと安定した地面へと着地することが出来たのだ。
この解釈ゆえに私はこれからの貴樹と明里の人生は、互いの無意識の縛りから開放されてようやく独り立ちできるのだろうと思えた。
加えてこの解釈に真実味を持たせる描写としてやはり「踏切」が挙がるのではないかと思う。
まだ幼かった第一部では踏切を挟んで互いに向かい合って止まり、棒が上がると互いに駆け寄って一緒に歩き出す。一方第三部では踏切を挟んで背中合わせで立ち止まる。ただそれだけ。
第一部と第三部とではこの踏切を通ることの目的は全く違う。学校への通学路にある踏切と、ただ宛もなく歩いていた中での踏切であるからだ。
しかもこの踏切は第一部と同じ踏切だ。
それに「踏切」という言葉からどことなく過去との決別といったものが伝わってきた。
同じ『踏切』でも、「ふみきり」ではなく「ふんぎり」では「どうすべきかについて、躊躇や迷いを振りきって下した決断」。という意味を持つことから、やはりこの解釈はしっくり来る。
このように疑問点がいくつも挙がりつつもどの解釈でも一見良さげに見える作品というのも珍しいと思う。まだ貴樹が明里のことを引きずっているという解釈でもあっていると思うし、この解釈のようなのでも合っているだろうし…。
高1の頃に見た「秒速5センチメートル」は明里が他の男に寝取られたような感じがして少し胸糞悪い感じの解釈しか出来なかったのに、久しぶりの秒速5センチメートルでこんなにも考察できるとは思いもよらなかったので秒速5センチメートルについての印象が良くなったことと、自分の経験による解釈の違いが生まれたことがとても嬉しい。
小説版が早く読みたくなってきた。
それではまた。