「凪のあすから(TVアニメ動画)」

総合得点
90.4
感想・評価
6472
棚に入れた
25628
ランキング
53
★★★★★ 4.2 (6472)
物語
4.2
作画
4.4
声優
4.2
音楽
4.2
キャラ
4.2

U-NEXTとは?(31日間無料トライアル)

ネタバレ

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 3.5 作画 : 3.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

うつろな心と、凪

■ 総評
 人の心は海のようだ。っていう、何のこっちゃない比喩を、ファンタジー設定のなかに具体的に落とし込んでいく。海のなかに本当に人の想いが流れ溶け出している不思議な世界観を作り出し、そこにいろいろなフラグメントを詰め込んで、説得力のある物語にする手腕は、見事。
 見事、だって。そんな他人行儀な言い方は申し訳ないくらい、素直によかった。おもしろかった。一期は退屈なところも多々あったけど、5年後の世界からは、1カット1カットに心地よい退廃が流れいた。早摘みの果実の瑞々しさから、熟れた液果の腐臭へ。その湿っぽさが、深夜という時間帯に妙にフィットしていた。
 紆余曲折あったが、すべてが収まるべきところに収まってとても気持ちのいい終わり方だったように思う。綺麗にまとめすぎている気もするけど、ああいう終わりしかないようにも思う。
 ひとつだけ要望を言うと、もう少し後日談がみたかった。主題歌を流しながらサッと、こんなもんでござーい、っていうのは、ひどい。色々な葛藤を一緒に乗り越えてきた視聴者に対する、ご褒美ってもんが、もう少しあってもいいんじゃないかしら。贅沢な悩み、なのかしら。


■ さゆ
あと、これだけは言いたい。
さゆ、彼女が大好きでした。泣きました、はい。
気が向いたら、さゆのすばらしさ、偉大さについて書きたいと思う。


■ 成熟と喪失
{netabare}
本作は「大人になる」ということが重要なコンセプトになっている。大人になりたいまなかとさゆ。大人になってしまったことに深く傷つくちさき。俺はみんなが思ってるような大人じゃないよ、と紡。(それを描くための小道具に、オレンジジュースを持ってくるのが、いいですね)

「成熟と喪失」。こう書いてしまうと味も素っ気もないが、2クールを使ってしっかりと描いてゆく。

寒村の恋愛事情、村同士の対立、因習による悲恋…など、物語の各フラグメントが、有機的に繋がっていくことで、大きな広がりをもっていく。そのなかの人間模様が、不器用ながらも力強く、とても勇気付けられた。特に重要なものを挙げていく。


まなか
海と陸の対比、環境の変化などを通じて心が揺れ動く。光という幼馴染に守られるだけの自分では駄目だ、奥手な自分をなんとかしなきゃ、と願うようになる。
外の世界で、しっかりと地に足をつけて暮らしている紡の「大人っぽい」雰囲気に、恋心とも憧れともつかぬ淡い感情を抱いてゆく(見終わった人のなかには、事後的に、結果だけみて、あれは恋心じゃなかったんだって言う人もいると思うんだけど、私はそうじゃないと思う。両者に厳密な区別なんてないんです。そこが悩ましくて、イイんです)。


村を牽引していく次世代の長としての、成長と苦難の物語。小さな体で、村同士のいざこざをなんとか和解させようと奮闘する光に、まなかの心は固まる。光の姿は、おふねひきでの「旗振り」として象徴的に描かれる。

あかり(光の姉)
故郷の海村のことは愛している。しかし、このような寒村じゃ結婚相手が見つからない。仕事すらままならない。将来を考えると、悲観的に成らざるを得ない。

さゆ(二期)
まなかの葛藤と対になっている。彼女も同じような葛藤を抱えているが、まなかとは性格が正反対。問題に対するアプローチも正反対。
好きな男と一緒にいても、吊り合ってみえるように、たくさん勉強して、オトナっぽい格好や態度をとってみたりして、必死に、めいっぱい、背伸びしてみせる。愛する人が行方不明になっても、彼女は気丈に、「男なんていなくても生きていけるように」ひたむきに勉強に励む。それがただの強がりなのは、視聴者も、おそらく本人だって薄々気づいている。

さて、ちさきについてだが……
{/netabare}

■ ちさきの闘い
{netabare}
震災の記憶は風化する。せざるを得ない。

事故当時の記憶はだんだんと薄れ、日常によって埋め合わされてゆく。
それは避けようのないことだし、日々を生きていくために、人はそのようにしていかざるを得ない。

しかし、記憶の風化に対して、「忘れちゃいけない」とあらがう心も、また同時に生まれる。「この出来事は風化させちゃいけないんだ」と。これは信念に属するものだ。

ちさきは、故郷を失い、神事での事故によって愛する人を失うが、紡との5年間の同棲生活を経て、事故の傷は癒えはじめる。次第に笑顔も増えていく。笑顔の増えたことをフッと自覚し、そんな自分に苦しむ。修道女のように、自分を責める。

「事故そのものによって受けた傷から、どう癒されるか。」
という問題がまずある。PTSDその他。それは非常に重要なことで、軽視されていはいけない。本作でもそうした、心を閉ざして世界に対して無関心になってしまう状態を「凪」に喩えて、主要なコンフリクトにしているが、問題はそれだけじゃない。傷が癒えていくことの苦しさ、後ろめたい気持ち。そういう葛藤もある。彼女の恋愛模様の水面下では、「記憶の風化」と闘っていたのだ。

おふねひき当日。次は私の番、と、自己犠牲を強いるあたり、相当苦しめられていたのだろうと思う。その罪悪感は、決して他人事ではないし、「自分だけが救われていいのか」、というメンタリティはまるで、「死んだあいつ等に顔向けできない、いまさら辞められない」という大戦末期の軍上層部の心境にもあらわれるように、決して他人事ではないし、甘えや弱さと断言してよいものではない。誰にでも関係のあることだ。

5年前の、冬眠する前の、あの頃の気持ちを忘れていいのだろうか。5年前のままでいられないこと、姿格好のみならず、心まで変わってしまうことは、それは5年前の、自分自身を含めた「みんな」を裏切ることになるのではないか。ちさきはこの問いに、最後まで苦しめられる。

ネットの反応をみると、ちさきの葛藤がなかなか理解されず、単なるめんどくさい奴、と言う扱いだった。

私としては、このめんどくさいメンタリティを描いてくれただけで、個人的には良かった。
{/netabare}

■ うつろな心と、凪
{netabare}

紙で出来たお月様
http://www.anikore.jp/review/886309/

ここで私は、物語にとって、リアリティというものはそれほど重要じゃないんだ、ということを書いた。良い作品というのは、その人の感性や、価値観や、あるいは生き方に影響を与える。今目の前に見えている範囲、その程度のリアリティなんつうものの鏡として作品があるわけではない。

リアリティなんかよりも、それが「信じるに値する」ものかどうか、そっちのほうがよっぽど重要なんだ、そしてそれは「感情が噴出する瞬間なんだ」と、少々ロマンチックに書いた(ちょっとファシストの気があるのかもしれない)。それは信念というかたちをとって爆発する。それがときにはオブセッションになったりもする。たとえばちさきのように。

私は以前、「とらドラ!」は激情によって「本当らしさ(信じるに値すること)」を描いてきたと書いた。凪あすも、まさにそういうことを描いている物語だ。しかし、アプローチは間逆。passion(パッション)という言葉は情熱を意味すると同時に、語源に遡ると「キリストの受難」を意味するという話が象徴的だと思う。「人生は情熱を演じる劇場である」、私が物語を評価するうえで重要視しているこの標語の、情熱という語には、松岡修造さん的な「熱くなれよ!」という叫びとはまた少し違う意味合いが込められている。自分の信念に従って、苦難の道を、愚直にひた進む。その描き方が、とらドラ!とは対照的だった。

本作はタイトルの通り、「凪」が重要なコンセプトモチーフになっている。
凪とは、風のやんだ、波のない、穏やかな状態。静まった海面。

登場人物たちは徹底して、凪の状態を強いられる。
光、まなか、ちさき、要、紡、美海、さゆ、あかり、光の父……。
彼らは、全編を通して、我慢する、耐える、言わない(言えない)、そういう状況に置かれてきた。自身の葛藤に対して「凪」の態度を取ることを選んできた。いきつくところにまなかの感情喪失。徹底して、感情の「凪」を描く。

「こんなにつらい思いをするくらいなら、愛する気持ちを忘れたほうが、楽なのかもしれない」。要とちさきが放った、劇中セリフは印象的だ。海神の呪い、おじょし様の伝説とも繋がっている。つまり、本作の核心は、心の「凪」であり、それは震災のショックなどに代表される心の傷や、あるいは凍った世界、眠りなどのあらゆるイメージと繋がり、重ね合わされ、作品世界に奥行きを与える。ハンナ・アーレントが「悪の問題」で、T.S.エリオットが「うつろな人間」で、あるいは村上春樹がオウム事件から掴み取ろうとしている、「心の傷と、そこに忍び込むうつろさ、無関心さ。それが大きな暴力に繋がっていく様」を、童話的な世界感と萌えテイストとジュブナイルの味付けで描いた恋愛譚であると言える。


■ 凪いだ心は動き出す

もちろん、凪の状態を、彼らは最終的に肯定しなかった。誰もが(そう、誰もが!おじょし様まで!)凪を望まなかった。少し駆け足気味ではったけど、凪は終わり、海は動き出す。

物語のラスト、光とまなかが、浜辺を歩きながら、お互いの気持ちをささやかな方法で確認する。表情や、目線で。あるいは、言葉やしぐさをも越えた何かで、気持ちを通わせる。

画面は穏やかで静的だが、心はそうではないことを、私たちは知っている。
この半年のあいだに、描かれてきた色々なことのすべてが、このシーン、この風景、この二人のなかに「折り畳まれて」いる。そう感じることができる。作品と視聴者は、そういう信頼関係を築いてきたのだから。
{/netabare}

投稿 : 2014/04/07
閲覧 : 501

凪のあすからのレビュー・感想/評価は、ユーザーの主観的なご意見・ご感想です。 あくまでも一つの参考としてご活用ください。 詳しくはこちら
凪のあすからのレビュー・感想/評価に関する疑問点、ご質問などがございましたら こちらのフォーム よりお問い合わせください。

ページの先頭へ