aaa6841 さんの感想・評価
4.4
物語 : 4.0
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
戦場ヶ原ひたぎとかいうメンヘル処女
このアニメには色々と見所があるのだが、ここでは「戦場ヶ原ひたぎ」というキャラクターについて、個人的かつ主観丸出しで書き連ねていく。
ただし、外見的な要素であるところの、顔が可愛いとか、髪が綺麗とか、スタイルが良いとか、おっぱいが大きいとか、骨盤の形が良いとか、足がエロいとか、おっぱいが大きいとか、くびれが際立っているとか、おっぱいが大きいとか、そういった評価は脇に置いて、ここでは「人格」について述べることにする。
戦場ヶ原ひたぎの人格を表面的かつ端的に捉えると、「口の悪いクソ女」でしかないのだが、やはりその暴言であり毒舌である部分から、魅力の一端が垣間見える。
彼氏の名前を「ゴミ」と言い間違える等、その辛らつな物言い自体も面白いし、その鋭い罵りが、「マゾヒストとしての本能をざわつかせる」とかもあるかもしれない。
いや、あると言わざるを得ない。
戦場ヶ原ひたぎの魅力は、このような直接的な物言いから来るものも大いにある。
しかし、毒舌という「外壁」の隙間から零れてくる「好意」を受け取った時にこそ、愛嬌やいじらしさのような魅力が伝わってくるのではないだろうか。
第3話で、公園でアララギに出会ったとき、開口一番「犬の死体が捨てられていると思った」と言い放ちながらも、近づいていくときには、「ルンルン」と跳ねて歩いていたりする。
恐らく、全15話の中で、ここまで「ルンルン」して歩いているのはこの場面だけだ。
心が弾んで、体も弾んじゃったのかもしれない。
第6話で、戦場ヶ原宅で勉強中に、アララギがため息をついたことについて、「私の前でため息なんてつかないでほしいものね。煩わしいから」と言ってから、「煩わしいと言っても、恋煩いよ」と言ったりするように、愛情を表現するときには、まず毒舌で「中和」してからでないと言いにくいのかもしれない。
辛らつな言葉の中に、少しの愛情を忍ばせることで精一杯なのかもしれない。
言わば、カレーにりんごを入れるようなものである。
このように考えると、ただの口の悪いクソ女だったはずが、実に可憐に見えてくるではないか。
ちょっとした所作の中に可愛げを感じられるというのは、なかなか趣がある。
公園で、「お礼」と称してアララギの方から告白させようと鎌を掛けていたところからも、いっぱしの女らしさはあるようである。
まぁ、鎌を掛けて心を探っているというより、暴言という鋭い鎌を振り回して心をえぐりにきているのだが。
ただし、戦場ヶ原ひたぎから受ける衝撃の度合いは、上記のものだけで到達したとは言えない。
そこで重要になってくるのが、「表情」と「声」である。
戦場ヶ原ひたぎは、常時、無表情かつ抑揚のない声で振舞う。
そうでない場合は、笑顔で毒舌を吐いている。
ここで注目すべき点は、「嫌な顔をしながら毒舌を吐くわけではない」ところにあると思われる。
人は何かを話す時、嬉しいことは嬉しそうな表情で話すし、悲しいことは悲しそうな表情で話すし、嫌なことは嫌そうな表情で話すし、大したことではないことは無表情で話すものである。
戦場ヶ原ひたぎの場合には、おおよそ、それが一致しない。
無表情で普通の受け答えをしながら、無表情で暴言も吐くし、無表情で愛の告白もする。
そして、笑顔で罵倒する。
悲しみに暮れている人が笑顔をつくると、より悲痛に見えるし、言葉では怒っている人の表情が笑顔だと、より怖く見えるもので、この「表情と言動の不一致」をやられると、見ている者の思考に多少の混乱を来たし、強い印象が残る。
それに加え、抑揚のない声で話すならば、受ける印象は更に際立ったものになると考えられる。
また、その弊害なのか恩恵なのか、声に抑揚がなさすぎて、アララギに弁当を食べさせるときの「あーん」まで棒読みなのが、また笑えるのだが。
このような性質もあるためか、戦場ヶ原ひたぎの「感情」や「本心」はなかなか読みづらい。
第2話で、学習塾跡から自宅に戻り、戦場ヶ原がシャワーを浴びて出てきたところで、「お礼」や「サービス」と称して全裸姿や下着姿をアララギに見せつけ、感想を求めるシーンで、アララギが「いい体してるね」と言ってから戦場ヶ原が「最低」と言うまでの間に、戦場ヶ原が無表情のままで、微妙な「間」があるのだが、普通であれば、「最低」と感じる行為をされた場合、反射的に嫌な顔をしたり、非難の言葉が出てきそうなものである。
だとすれば、この「間」は、戦場ヶ原が何か「思案」したことを表しているように見えなくもない。
例えば、「いい体してるね」という言葉に、内心普通に喜んでしまったが、これまでの威圧的な態度から瞬時にデレ方向へ崩すことに、過去数年間の人付き合いを避けていたことによる後遺症もあるのか、臆病になり、抵抗があったのかもしれない。
それを誤魔化すための「最低」だったのかもしれない。
ただ、アララギの返答に普通にドン引きして、間が出来た可能性もなくはないが。
いずれにせよ、掴めそうで掴めないこの神秘性が、戦場ヶ原ひたぎというキャラクターの魅力を引き立てているのは確かなようだ。
逆に言えば、「安心感がない」とも言えるかもしれないが。
ところで、戦場ヶ原ひたぎについて、彼女はS(サド)なのか、M(マゾ)なのかというアンケートをとれば、100人中120人は「S」と答えるのではないだろうか。
しかし、私は声を大にして言いたい。
「戦場ヶ原ひたぎはMである」と。
第2話の、戦場ヶ原とアララギが公園で出会ってすぐ、私服についての会話が始まるシーンで、戦場ヶ原は、「出来れば一番最初に、(昨日買ったばかりの私服姿を)アララギくんに見てほしかったから」と言う。
それに対してアララギが、「一番最初に僕に見せたかったっていうのは、冥利に尽きるというか、光栄な話だね」と言った後、戦場ヶ原は「見せたかったじゃないわアララギくん、見てほしかったのよ」と言った。
ここで、「見せたかった」と「見てほしかった」の違いは何だろうか。
思うに、「見せたかった」は能動的で、「見てほしかった」は受動的というイメージになるのではないだろうか。
要は、後者の「見てほしかった」の方が、慎ましやかなのである。
だとすれば、「見せたかった」はSで、「見てほしかった」はMということになる。
したがって、戦場ヶ原ひたぎはMである。
より正確に言えば、外面はSだが、潜在意識はMである。
さて、そんな外面はSな戦場ヶ原ひたぎだが、その威圧的で高圧的な態度は、誰に対しても同様であるのだろうか。
これについては、戦場ヶ原には、アララギ以外のキャラと絡むシーンが少ないので断言しづらいのだが、親しくなるほど威圧度が増すようである。
より正確に言えば、親しくない相手に対しても愛想はなくストレートな物言いなのだが、親しい相手になると皮肉が多くなり、その毒舌がより饒舌になる。
好意を寄せる相手の前では、つい、はしゃいでしまうという感じなのだろうか。
実に「うぶ」である。
そう考えると、毒舌も愛情表現の一種に見えないこともない。
親しい相手ほど、辛らつな振る舞いになる。
そういう意味では、第1話の、戦場ヶ原とアララギの関係が最も薄かったであろう、学校の廊下でのシーンで、口封じのためにアララギを脅迫しているときの戦場ヶ原ひたぎの声が「最も可愛らしかった」のは、アララギに対する想いの小ささを暗喩していたのかもしれない。
では、以上のことを総合すると、どのような人物になるか。
「一見、口の悪いクソ女だが、その暴言は愛情を表現するためにやむを得ず発しているだけで、本当は可憐で愛嬌があって、付き合うときは男から告白してほしいと思うくらい女らしくて、男に自分の私服姿を見せたいなんて言えないほど慎ましやかで、顔は無表情、声に抑揚が無いところがとっても神秘的で、Sにしか見えないのに実はMで、好きな相手ほど威圧的になってしまうくらい「うぶ」で、顔が可愛くてスタイルも抜群な女」ということになる。
そんな奴いねえよ。