退会済のユーザー さんの感想・評価
4.3
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 5.0
状態:今観てる
『信念と信念のぶつかり合い』と『関係性』
【ワンピース】のルフィ一味、本当に楽しそうですね。
ナミは守銭奴ですが、それが悪徳にならないのは、仲間の危機を救うために投げ出せるからです。
ウソップは嘘つきですが、それが悪徳にならないのは、仲間を傷つけるための嘘ではないからです。
ルフィーもゾロもサンジも、ニコ・ロビンもフランキーもチョッパーもブルックも、皆いい奴です。
{netabare}ルフィ一味はボンちゃんやニコ・ロビンを受け入れますが、彼らが過去に多くの人を苦しめてきたことはどうでもいいんです。
バギーやはっちゃんとも仲良くしますが、{/netabare}彼らが過去に多くの人を苦しめてきたことはどうでもいいんです。
今現在の自分の仲間達に危害が及ばないなら。
なぜなら彼らは海賊ですから。
社会は椅子取りゲームです。
人は生き物を殺して生きています。
世界には絶対的な悪も、絶対的な善も存在しません。
それらは他者との関係性の中で生じるものです。
ある人にとって彼らは悪であり、ある人にとって彼らは善であるというだけです。
殺人者も悪人を殺せばヒーローです。
しかしその殺された悪人も、別の関係性の中ではヒーローになりえるということです。
愛する家族を守るため、椅子取りゲームの椅子を一つ奪うと、その家族は救われます。
しかしその分、別の家族が割を食います。
人間が仔牛と親友になれた未来もあれば、人間がその母牛を殺して食べ、それを見ていた仔牛が恨みを持って向かってくる未来もありえます。
人間が生きるためにその母牛を殺して食べても、その人間が仔牛の立場に生まれたなら、当然人間を恨むでしょう。
善悪は関係性によります。
どこまでを愛し慈しむかは、その境界の内と外の問題でしかありません。
自分一人しか愛せない者は、自分以外を傷つけても平気でいられます。
自分よりも恋人や、我が子や、国、名誉、仲間等、自分以外の何かを愛する者は、自分を傷つけても平気でいられます。
愛する相手が傷つく事は、その他の誰かが傷つく事と同等ではありません。
愛し慈しむ対象が一人しか居ない者と、人類全体を愛し慈しむ者の本質も変わりません。
その範囲が異なるだけです。
ワンピースで過去に敵対した悪も、別の関係性の中では善です。
だから昨日の敵と、今日仲良くなれるんです。
ワンピースでの争いの理由も、愛する範囲の違いによる利害関係のぶつかり合いという、生物が存在するかぎり繰り返されている避けがたい運命ですが、登場人物達はそこに己の信念をかけてぶつかり合うので、とても魅力的なドラマが生まれます。
私は信念と信念のぶつかり合いこそ、ワンピースの最大の魅力だと感じます。