「綿の国星(アニメ映画)」

総合得点
67.8
感想・評価
26
棚に入れた
101
ランキング
2327
★★★★☆ 3.8 (26)
物語
3.7
作画
3.8
声優
3.8
音楽
3.7
キャラ
3.8

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ネタバレ

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 5.0 状態:観終わった

空想を生きる少女の目に映る世界

映画は原作漫画のエピソードをいくつか繋ぎ合わせた構成になっているので、描写を簡易的にしか受け止められなかった節がありました。
なので、原作漫画を読んでその上でもう一度レビューを投稿しました。

大島弓子先生の作品は今読むとあまりにも独創的で、触れたことのなかった作風なので、‘知ったかぶった’適当なレビューになってしまい大変恥ずかしいです。

自分だけではよく分からなかったので色々な方の批評や感想を元に考えた結果、手に余る作品だという実感だけが残りました。

ろくに漫画(特に少女漫画)を読んでいない男の感想ですので参考にはならないかもしれません。
ご勘弁ください。


【映画に対する感想(以前のレビュー)】

この作品は1984年2月に公開されたアニメ映画。
でありながら、この作画の丁寧さ・美しさは現代でも遜色ない完成度であると言えます。

「昔のアニメは作画の粗さ・汚さが目立つ」と敬遠している方には是非一度見ていただきたいと思います。多分考えが変わるはずです。


また、この作品の大きな特徴としてかなりリアルな擬人化で猫が表現されていることです。
オス猫は頭身も顔かたちも人間と変わらず、はっきりいってちょっと怖いです(笑)

その分作中唯一のメス猫である主人公は、実に無垢で純粋な幼い女の子のように見え、可愛らしさが強調されています。
(幼女に猫耳と尻尾が生えた、かなり萌えポイントの高い姿)

彼らは、作中の人間には普通の猫として認識されています。この視聴者とのギャップが奇妙な感覚を生んでいると思います。


登場人物は、猫も人間も皆生き生きとしていて、淡々と進んでいくストーリーの中に活力が生まれているような気がします。少女漫画らしい、瑞々しい雰囲気です。

タイトルにもなっている『綿の国』に関しても、明示するような見せ方ではなく、なんとなく視聴者の想像に委ねるような距離感がむしろこの作品らしくて良いと思いました。

内容は、主人公の‘チビ猫’が人間や野良猫と交流しながら、世の理・生と死の概念など様々なことを学んでいく成長物語です。(あくまで個人的な解釈です)


チビ猫演じる富永み~なさんは、喜怒哀楽様変わりする複雑な感情を上手く表現できていて素晴らしいと思いました。チビ猫は幼さゆえ、色んな表情を私たちに見せてくれます。猫らしい仕草も随所にあって、癒されること間違いないです。

個人的な萌えポイント
{netabare}
・時夫と一緒にまね遊び(チビ猫の仕草を時夫がそっくりに真似て遊ぶ)をする
・人間の真似をしようと人間用のトイレに入るが、便器に落ちて流されかける
・同じく人間の真似をして箸を使ってコロッケを食べようとする
・初めて駅に行ったとき電車と人の多さにびっくりする
・魚屋で札束で魚を買う人間の真似をして、その場に落ちていたチラシを差出し「魚くれ!」の要求
・ペルシャは太陽と砂の国、と聞く→見渡す限りの猫のトイレがあるんだわ!
・雷に怯えて耳を抑えながら丸まって震える
・夜中に竹林の奥で目が強く光る
{/netabare}


この映画にはパイロット版(試作品)というものが存在します。こちらは本編とは全く異なった、おとぎ話のような神秘的な雰囲気を放っています。
本編はかなり大衆的な、ファンタジー色を抑えた作風になっているのに対し、パイロット版はキャラクターも音楽もとても耽美な作風でした。
正直こちらの方を本編として制作してほしかったという声も少なくないと思います。
結果的に、綿の国星は時代の中に忘れ去られる形になってしまいましたが、パイロット版のまま作られていれば時をこえた名作と評されていたかもしれない。と思えるくらい魅力的な映像でした。

ちなみに
{netabare}
自分の結論としては、綿の国=猫たちの死後の世界。ラフィエルは既に亡くなって一足早く綿の国にいる。チビ猫の最後の台詞「寝て起きるたび、ホワイトフィールドに一歩近づいているのです」は、時間が経った分だけ死の世界に近づく、の意。だと思います。
{/netabare}



【綿の国星について考える(新レビュー)】

大島弓子先生による原作漫画は70年代~80年代にかけて連載され、これが代表作との声も高いとか。

掲載誌のLaLaはファンタジー色の強い作品も扱う一方、根底は女性に向けたテーマ・内容が多く、この「綿の国星」も例外ではないと思われます。

主人公のチビ猫は猫であって猫ではない。読者の少女たちの自己投影の対象であり、内面は人間の少女そのものを描いています。

この作品が評価されているのは、ただ少女たちにとって居心地の良い幻想世界を見せるだけで終わらず、登場人物の姿が現実の少女たちを見事に体現してるところです。

当時の女性の社会的現状や心理的状況を漫画の世界全体で表現している・・・そういった部分が評論家や学者に大変注目されたとか。

つまり、単なるファンタジー猫物語ではなくって猫の世界のフィルターを通して客観的に少女の成長を(広くは人間模様を)描くお話です。


まず、何故猫なのか?という話です。

これは単純に作者が猫好きであることと、猫は人間よりも自由に動かせることが理由ではないかと思います。

特に後者の点がこの作品の強みで、チビ猫はしょっちゅう家を飛び出し、よその家の世話になったり悪さをしたりやりたい放題暴れます。

もし人間の女の子が主人公だったら、ここまで色んな場所や人と関わることは出来ないし、見える世界も狭まると思います。

猫だからこそ、人間より細かい所に入り込み、細かい事象に気付くことができた面があります。


次に、その猫を人間に近い容姿にしたのは何故か?

猫と人間、これらを上手く調和させればファンタジーとリアルの両立が可能になるからだと思います。

単なる猫が主体のお話だと動物の視点から見た人間の生態、いわゆる動物漫画の形になり、人間を一方的にしか掘り下げることができません。

逆に人間が主体のお話で人間の内面や心情を描くと、ファンタジー要素が薄れて生々しさを感じてしまいます。

これを猫の生態で生きる人間(に近い何か)にすると、人間を深く追究しても同時に猫の姿が重なり、ふわふわしたおとぎ話のように見えるので直接的に描きにくいテーマでも表現できます。


猫の姿で思い悩む登場キャラクターたちは、可愛らしくもあり共感を呼びます。

これは映画の挿入歌の作詞作曲を担当した谷山浩子さんの言葉ですが、
“人間が勝手に感情移入して、猫のキャラクターを使いながら実は人間のことを描いている、というのとは違う。猫になりかわっているのだ。どこが違うのか、結局は人間のひとりよがりではないかと言われるかもしれないけど、そうではない。(中略)考える人間のままで、考える人間がアタマの中でどうしてもこしらえてしまう窮屈な枠をとっぱらって、猫のように生まれっぱなしになってみせることのできる人だ。”


つまり人に共感される感情を表現しながら、同時に猫そのものを描いている、と。人間と猫を極限までリアルに描くことで、この世界のファンタジーがより引き立つ仕掛けがなされていると言う事です。


この文章は文庫版に載っていた解説の一部ですが、谷山さんは大島先生と非常に似た感性をお持ちの方だと感じました。

彼女が関わった挿入歌、「鳥は鳥に」は綿の国星の本質を捉えているような気がします。


最後に、タイトルの綿の国星について。

これは「綿の」「国星」ではなく「綿の国」「星」です。紛らわしくて間違えます(笑)

ここから、間違えているかもしれないけど原作読んだ上での解釈です。
{netabare}
ラフィエルが最期を看取った老猫は幸福そうに綿の国に旅立ったとされています。チビ猫は空に浮かぶ無数の星の一つがそうではないかと言いますが、これはラフィエルに否定されています。

しかし、原作にある「お月様の糞」の話を読むと、やはり真実なのではないかと思います。

ある晩外で寝ていたチビ猫は、星空を見て星々はまるで月のした糞のようだとつぶやきます。

後日ある男が飼っていたフンというオス猫がいなくなり、結局亡くなっていたことが判明します。

そのフンという猫も安らかな最期を迎えたらしいと知った晩、チビ猫が星空を眺めるといつもよりフンが輝いていたように見えた、と言うのです。

幸せな最期を迎えられた猫は綿の国に行けるとすると、この二匹の猫(老猫とフン)の死は共通しています。死んだフンは星(月の糞)になって、綿の国に行ったように思えます。

他の話でも幾度も星空や月が出てきますが、具体的に言及しているのは1話「綿の国星」とこの話だけでした。


私たちには色々な事情や生き方があって、同じようにこの作品では猫を通して、時には人間自身によってその様が描かれます。

それでも幸せに生きたならば、幸せな最期を迎えられたならば、その人たちはきっと報われる。境遇に挫けてはいけない、強く明るく生きよう。

そういう前向きなメッセージなんじゃないかなーと思いました。デタラメな解釈だったらごめんなさい。
{/netabare}



【映画のストーリーを辿った感想。(長文注意)】
{netabare}
最初、時夫に拾われたばかりの頃のチビ猫は、自分の事も世の中のこともよく分からない未熟な子猫でした。

人間の時夫に恋心を抱き、今は猫の姿をしているけどその内姿も人間になっていつか彼と結ばれる、大きくなればそうなれると本気で考えていました。

一見ありえない突飛な発想ですが、これは例えば幼い少女が「私大きくなったらお父さんと結婚する!」と言い出すような話で、非現実的に見えてむしろありふれた夢なのかもしれません。

そこで現れる三つ編みの少女、美津子。時夫は彼女に恋しているようで、チビ猫はその恋心を察して一刻も早く人間にならねばと苦心します。

これは、人が成長の過程でなんらかの壁にぶつかったとき「早く大人にならなきゃ」と感じる焦燥感と似た感覚があります。

次に現れるラフィエルという美しいオス猫は、猫は大きくなっても決して人間にはなれないこと、どんな生き物にも必ず死が訪れることを包み隠さず語ります。

それを聞いたチビ猫はショックを受け、しかし信じようとはしませんでした。

恋のライバル美津子、そし時夫の他に自分に好意を向けてくれるラフィエルの出現で混乱する様は少女漫画そのものに見えます。


早く人間になるため、まず人間の真似をして人間らしく振舞うことにしたチビ猫。しかしトイレや食事を真似しようとしても上手く行かず、挙句の果てには迷惑をかけて時夫に叱られてしまう。

この辺りも、大人になろうと背伸びしても結局上手く行かない・・・という少年少女共通の壁だと思います。


時夫に叱られ家を飛び出した先で再びラフィエルに会うチビ猫。ラフィエルは放浪癖があり、自分と一緒に旅立ちたければ最初会った竹林に来いと言い残してまたどこかへ行ってしまいます。

その後迎えに来た時夫と和解し、またいつもの日常に戻っていくのかと思いきや、チビ猫は偶然を装って美津子と時夫を引き合わせようとします。チビ猫の計らいで仲良くなる二人。

チビ猫は時夫とくっ付くことを諦め、ラフィエルと一緒になることが時夫たちにとっても自分にとっても最善だと考えていたのだと思います。この時点でチビ猫は現実に向き合い始め少し成長しました。


家を抜け出してラフィエルと旅立とうとするも見つからず、チビ猫は彼を探そうとします。ラフィエルはペルシャ猫らしいから、ペルシャへ向かおうと。

ラフィエルを探す道中同じく飼い猫でオスの青年ブチ猫に出会います。ペルシャの魅力を伝えると彼もチビ猫に付いていきたいと言い出します。近くの街中でペルシャを探し始める二人。


見たことも聞いたこともない言葉を手掛かりに動こうにも調べる術もなく自分の足で確かめるしかない。これは猫だからというのもありますが、実際私達もこれに似た現実に陥ることもあると思うとただ滑稽な光景とも思えません。


その後チビ猫は初めて他の猫が生きるために狩りをする様、生き物を殺して食糧にする事実を目にしました。

今までチビ猫は物心ついてからずっと人間の元で暮らしていたので、どうやって食べ物が成り立っているのか知らなかったのです。


最近でも、加工食品に慣れきったせいで動物や植物を殺して自分たちが生きているという実感が薄い子供が多いというのはよく言われます。

チビ猫にこうした現実を突きつけることで、彼女に感情移入していた読者(視聴者)は同じように衝撃を受け、夢から醒めたような心地に。


食べ物を受け付けなくなり、ペルシャへの道も絶たれ、頭に思い浮かぶのは時夫のこと。ブチ猫に「死んだら時夫に二度と会えなくなる」と諭されやっと食べ物を口にしました。

一晩ブチ猫と眠る間、チビ猫は猫の心音を聴き人間の心音との速さの違いに悲しくなりながら眠りにつきました。


ここ、人間と猫の違いをはっきり認識したという意味か、鼓動が早い分だけ猫が早く死ぬことを予期したという意味か、判断しづらいです。後者の意味のような気がします。?


ブチ猫と別れた後、チビ猫は帰り道が分からずしばらく街をさまよいます。しかし‘猫の勘’でなんとか近くの竹林までたどり着き、ラフィエルを探します。

暗闇で恐怖に苛まれるチビ猫をあえて助けず、チビ猫の呼び声にも応じないラフィエル。そうこうしている内に時夫の母二三子が現れ、猫恐怖症を克服し無事にチビ猫を連れ帰宅。

ここでラフィエルが出ていかなかったのは、暗にお前にはまだ帰る場所があると、現実(死)に向き合うべきだと思ったからなのかな、と。?


家に帰って体を綺麗にしてもらって眠りにつくチビ猫。夢の中でラフィエルと月夜のダンスをし、また日常に戻っていく。

前見たときは最後の台詞とか良く分からなかったのですが、「寝て起きたらホワイトフィールドに一歩ちかづいている」とは、夢の中でラフィエルと会うことが彼女を成長させる。夢が成長を促すみたいな意味なのかな、と思いました。
{/netabare}

投稿 : 2014/11/04
閲覧 : 550

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