「風の谷のナウシカ(アニメ映画)」

総合得点
90.7
感想・評価
1970
棚に入れた
12646
ランキング
49
★★★★★ 4.2 (1970)
物語
4.3
作画
4.2
声優
4.0
音楽
4.2
キャラ
4.1

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ネタバレ

イシカワ(辻斬り) さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

失われし大地との絆を取り戻す物語

『火の七日間と呼ばれる大戦争で、産業革命が滅びてから1000年。瘴気を発する細菌がはびこる腐海に征服されようとしている地球。海風によって瘴気から守られた辺境の小国・風の谷で、自然と心を通わせる王女ナウシカが、民と共に暮らしていた。ある夜、風の谷に大国トルメキアの輸送機が墜落する。その輸送機にはかつて火の七日間で使われ、世界を焼き尽くしたといわれる生物兵器、巨神兵の卵が積み込まれていた。そしてナウシカは、大国同士の争いに否応なく巻き込まれていく』※1

腐海とは、ふしぎな蟲たちだけが棲む巨大な細菌の森である。植物は有毒な瘴気を吐き出し、マスクなしでは人間は立ち入ることはできない。少女ナウシカの生きる時代は、この腐海が圧倒的に優勢な力として、人間がおびやかされている。風にのった胞子はいたるところにとび、植物に寄生して瘴気を吐き出す。腐海の巨大な蟲たちは、ひとたび人間の攻撃にさらされると、仲間を呼び集め、人間を襲う。腐海という自然の強大な力を軽視する人々は、逆に腐海に飲み込まれてしまう。そうして、いくつもの街や村が腐海の底に沈んだ。しかしナウシカは、この腐海とそこに集まる蟲たちに、ふしぎな共感をおぼえている。姫様の腐海遊びと城オジたちがいうように、人々の嫌う腐海を縦横に動き回る。自然の営みが繰り返される場所。ナウシカにとって、そこは美しい場所なのである。
ナウシカ「綺麗……マスクをしなければ五分で肺が腐ってしまう死の森なのに」※1


キャラクターの役割から見る風の谷のナウシカ

大ババ様こそ、制作者の代弁者。
この物語に登場する盲目の老婆、大ババ様と呼ばれる人物こそが、制作側の代弁者なのだというのが筆者の見識である。短い言葉で、端的に制作者の言葉を表す役目を持っている。

支える者でありながら導かれる者でもあるユパ
ユパ=ミラルダ 腐海一の剣士。ナウシカの父、ジルの親友。なぜ腐海が人間を飲み込もうとするかのように広がり続けるのか、半生をかけて腐海の謎を解くため旅を続けている。
物語では、旅路から帰還するユパの冒頭シーンがある。大ババ様からも「ユパは探し続けるよう定められた男じゃ」などといわれている。軍事大国トルメキアからの侵略受け、父ジルを殺された痛撃に苦しむナウシカを支える役目であるが、ユパ自身がナウシカに導かれる一面もある。地下五百メルテ(メルテは架空の長さの単位と思われる)から汲み上げた深層水で育てた腐海の植物は毒を吐かないという事実をナウシカはユパに報せる。これはある意味、探し続けていた大きな手掛かりを受け取ったことになる。またナウシカは、腐海の奥底に落下した時も、有毒物質を腐海の植物が取り込み、結晶化して無害にしていることをアスベルに教えるシーンがある。ユパの行動原理を知ろうとすることによって、視聴者に腐海の意味を考えてもらう意図があったものと思われる。

風の谷の姫様を姫様にしている背景として描かれた人物。
ジル 「風の谷の族長」腐海の毒のため、身体の自由が利かなくなっている。周辺諸国を侵略・統合した軍事大国トルメキアの侵略者の手にかかり命を落とす。腐海一の剣士ユパ・ミラルダの親友という設定や、風の谷の族長という位置付けによって、ナウシカの背景の一部として描かれた人物であるといえる。父親を殺害されたナウシカの怒りによってトルメキア兵たち五人が殺害されるという事態を引き起こした。侵略される側の辛さ、その運命と死を描くための役目も負っているというのが筆者の見識である。

城オジ五人衆 海からの風でかろうじて瘴気から守られている小国「風の谷」に住む、つつましく心豊かな人々。年配であるのと腐海の毒のせいで手足がきかなくなり畑仕事をやめ城務めをする。
これもまた姫様を姫様ならしめるもので、周囲から姫様と言われ扱われることにより、ナウシカが姫様になるのである。また、もう一人の姫様との対比の言葉などの発言役でもある。子供たちや女たちも、姫様と呼ぶ。風の谷のみんなの姫様。それがナウシカだ。

ジブリに必要な、ボーイ、ミーツー、ガール。
アスベル 工房都市、ペジテの長の息子。夜中、風の谷に墜落したトルメキアの船で拷問を受けていたと思われるラステルの双子の兄でもある。トルメキア軍にペジテが襲われた時、ただ独り生き残る。腐海で蟲たちに囲まれ苦戦しているさいに、ナウシカに出会い救われる。
アスベルは腐海を焼き払うのに巨神兵が必要だと考えていたようだ。これはナウシカの腐海に対する考えとの対比でもあるし、一般的な腐海に対する当事者の見識として「腐海は忌み嫌われるものである」という位置付けなのだろう。
ペジテに駐留していたトルメキア軍は壊滅していた。ペジテの残党が王蟲の子を囮に、王蟲の群れをおびき寄せたのである。残党たちは巨神兵を取り戻すために、次の標的を風の谷に定めていた。
大ババ様曰く「王蟲の怒りは大地の怒りじゃ、あんなもの(巨神兵)にすがって生き延びて何になろう」
みずからが生き延びるために、王蟲の怒りを利用して卑劣な行為に及ぶことや、巨神兵を使って森を焼くことに対する批難なのだろう。
工業都市ペジテは、風の谷や、軍事国家トルメキアと比較すると、自然に対する態度は平均的だ。森を焼き払おうとする指導者もいれば、説得を聞き入れナウシカを逃がそうとする女性たちもいる。どちらにでも転んでしまう危うい均衡状態にあったのを、ナウシカの説得により、思想が浄化されていく。その浄化を描くことが一つの命題であったと思われる。
ナウシカ「あなたたちだって、井戸の水を飲むでしょう? その水を、誰が綺麗にしていると思うの? 湖も河も、人間が毒水にしてしまったのを、腐海の木々が綺麗にしてくれているのよ? その森を焼こうというの? 巨神兵なんか掘り起こすからいけないのよ!」

もう一人の姫様とその参謀、そして火を象徴する巨神兵
クシャナ トルメキアのヴ王第4皇女、女性ながらも鎧兜に身を包み、侵略戦争の先頭に立つ。「風の谷」に攻め入ったあと、ナウシカを人質にとる。※1

クロトワ ヴ王がクシャナのためにつけた参謀。平民の出身で野心家だが、コルベットのあつかいに長け、クシャナの危機を何度か救う。※1

巨神兵 それは生命の根源まで人間のものにしようと迫る危険な試みによって生み出された。遺伝子工学によりタンパク質を持った細胞で生物兵器が開発された。機械文明と科学文明を信望した者たちが作り出した旧世界の遺物であり、危険な試みの結果、世界すら滅ぼした。※1

クシャナ「我らは、辺境の国々を統合し、この地に王道楽土を建設するためにきた。そなたたちは腐海のために滅びに瀕している。我らに従い、我が事業に参加せよ。腐海を焼き払い、再びこの大地を蘇らせるのだっ! かつて人間をして、この大地の主となした奇跡の技と力を我らは復活させた。私に従う者には、もはや森の毒や蟲共に怯えぬ暮らしを約束しよう」

クシャナ「巨大な力を他国が持つ恐怖ゆえに、私はペジテ攻略を命令された。奴の実在が知られた以上、列国は次々とこの国に大軍を送り込むだろう。お前たちに残された道は一つしかない。巨神兵を復活させ、列強の干渉を排し奴と共に生きることだ。(義手を取り外しつつ)我が夫となるものは、さらにおぞましきものを見るだろう。腐海を焼き、蟲を殺し、人間の世界を取り戻すのに何をためらう? 我が軍がペジテから奪ったように、奴を奪うがいい」

風の谷とトルメキアの対比、蟲を愛するナウシカと蟲を憎むクシャナの対比によって物語の光陰をよりはっきりさせる。そうした目的で制作されたのではないかと推察される。二人の姫様は同じ姫様といってもまったく違う。
城オジたち「あんたも姫様じゃろうが、儂らの姫様とだいぶ違うの。(手を差し出しつつ)この手を見てくだされ。ジル様と同じ病じゃ。あと半年もすれば石と同じになっちまう。じゃが、儂らの姫様は、この手を好きだというてくれる。働き者の綺麗な手だというてくれましたわい」
クシャナ「腐海の毒に侵されながら、それでも腐海と共に生きるというのか?」
城オジたち「あんたは火を使う。それゃあ儂らもちょびっとは使うがのう。多すぎる火は何も生みやせん。火は森を一日で灰にする。水と風は百年かけて森を育てる。儂らは水と風のほうがええ。あの森を見たら姫様悲しむじゃろうのう」
火から連想されるもの、それは自然破壊であり、世界を滅ぼした火の七日間であり、巨神兵であり、トルメキアであり、クシャナでもある。それに対して、水と風を連想させるもの。それは人間の飲み水であり、風の谷を守る『海の風様』であり、ナウシカが飛翔するために必要な風であり、森を育むものであり、最も重要な『失われし大地との絆』を結ぶのに必要不可欠なものでもある。

ナウシカという人物を語る前述。腐海について、制作側からのコメント。
「アメリカの中西部に広がる砂漠化が進んでいる土地で、小麦の収穫量を上げるために肥料を飛行機で散布する。収穫が終わったあとの畑は、吹きっ晒しのまま放置されていく。土地は痩せ衰えていくが、破壊された土地を使い続けるために、小麦にサボテンの遺伝子を組み込み、より強い商品を作ろうとする。こうした自然破壊によって生まれてきたバイオテクノロジーの産物を基にイメージして作られたのが腐海であるという」
「水俣湾が水銀で汚染された死の海になった。つまり人間にとって死の海になって、漁をやめてしまった。その結果、数年経ったら、水俣湾には日本のほかの海では見られないほど魚の群れがやってきて、岩にはカキがいっぱいついた。これは僕にとっては背筋の寒くなるような感動だった」(E・カレンバックとの対談。火を捨てる? 『ナウシカと冷蔵庫にあるエコトピア』)
腐海には二つの側面がある。それがコメントの内容と合致している。一つは腐海が、実は人工物、遺伝子操作で生み出された代物であり、反省することなく自然を傷つけても、修復しないまま使い続ける傲慢さから生み出された側面があるということだ。
もう一つは、人間によって汚染され、死の海となっていたものが、実は生き物をはぐくんでいたという事実である。人間による汚染=瘴気とは、人間による原罪といってもいいだろう。原作でも「有毒物質を結晶化させ安定させる方法」としての腐海があった。

風とナウシカと腐海と王蟲
風の谷の族長・ジルの子、ナウシカはメーヴェと呼ばれる小型飛行機に乗り、風の中を鳥のように飛び、人の忌み嫌う蟲たちと心を通わせることができる娘。
この作品は自然と人間の関わり合いを描いているが、敢えて簡単に解答は出ていない。課題を人々が乗り越えて、明日も生きていく。ナウシカは責任を負った若い人物である。
科学によって自然ですら我がものにしようとした結果、世界は滅び、みずから作り出した『人工的な自然』の圧倒的な力によって人間そのものが滅ぼされようとしている。
人間は自然を征服、あるいは服従させ、力で支配してきた。その結果、人間による汚染=原罪は瘴気となって人々に還り、体を石にさせる恐ろしい病となって現れた。
土地は痩せ衰えていくが、破壊され毒された土地を使い続けるために、小麦にサボテンの遺伝子を組み込んで無理にでも使い続けていくのと同じように……人間が作り出した原罪=腐海に対してクシャナやペジテの人々は『火の七日間によって世界を滅ぼした巨神兵』で毒のある腐海を消し去ろうとした。
巨神兵は人間の傲慢が生み出した破壊の火の象徴として扱われている。
それに反するナウシカは、長期間の自然のサイクルの中で、腐海は汚染そのものを浄化する働きがあることを確信していた。腐海を焼き払うなどしてはならないことなのだとわかっていたのだ。腐海を通過することで、水は浄化され、人間が飲める水となっていたのである。
ナウシカ「腐海の木々は、人間が汚してきた世界を綺麗にするために生まれてきたの。大地の毒を体に取り込んで、綺麗な結晶にしてから、死んで砂になっていくんだわ」
腐海を焼き払った後に残されるものは砂漠であり、人の住める土地などではない。大地の汚れを結晶化して無害なものに変化する。最終的には、砂漠化した土地を肥沃な大地に変えていくという役割があるものと思われる。
征服したはずの自然、人工物と化したはずの自然とは、科学によるユートピア思想から発したものが、結果的に自然どころか文明すら破壊して廃頽、結果、科学技術の産物であるメーヴェやガンシップ、銃器と、重装備の鎧を着込んだ兵士の混在した世界となったのである。
いうなればデストピアになっていた。自然は征服するものでもなければ、服従させるものでもなく、ましてや力で支配するものでもない、というのが、制作側からのメッセージではないか。それが筆者の見解である。
蟲とは、大地や自然の代弁者であり、蟲の代表が王蟲である。
腐海を守護している蟲たちは言葉がない。当然にして語らないのであるが、その不言実行によって思考は明らかとなっている。森を焼き払おうとしたりすることを許さない態度である。
制作者側は、語らない蟲たちの代わりに、大ババ様に代弁させている。
大ババ様「腐海が生まれてより千年。幾たびも人は腐海を焼こうと試みてきた。が、そのたびに王蟲の群れが怒りに狂い、地を埋め尽くす大波となって押し寄せてきた。国を滅ぼし、街を飲み込み、みずからの命が飢餓で果てるまで王蟲は走り続けた。やがて王蟲のむくろを苗床にして胞子が大地に根を張り、広大な土地が腐海に没したのじゃ。腐海に手を出してはならぬ」

制作側の結論とは何か。
解決できるような答えをその場で出すのではなく、問題定義に対して目を背けず、しっかりと見据え、そして明日も生きていくためにはどういう方向性を見出していくか。
これが筆者の推論だ。生きる上で放置できない大きな問題を簡単にこうすればいいという単純な解決などできようはずもなく、まためでたしめでたしとするような物語ではないのだろう。
風の谷のナウシカというアニメーションに必要なのはとりあえずの終わりであって、最終的な解決ではない。
腐海を守る蟲と心を通わせるナウシカの役割は、自然・失われし大地との絆を結ぶ役割だ。本来自然は固体的で明確な意思を持たない。その自然に対して絆を「アニメーションという映像で結ぶ」には、擬人化、またはそれに該当する意思ある者が必要となる。その意思ある者が王蟲だ。
人間は自然に対し、征服し、服従させ、そして支配しようと試みてきた。自然の木々や蟲ですら人工物にさせ、すべてを操る術を身に付けたように思えた。クシャナのいう、「かつて人間をして、この大地の主となした奇跡の技と力を我らは復活させた」なのだ。
しかし、その思想を実行に移した時、世界は火の七日間で焼き尽くされ、滅んだのである。生き残った人々もまた、支配したはずの自然に圧倒され、滅びに瀕している。その自然との絆を結び直すことなのだ。
大ババ様「大気が怒りに満ちておる」
王蟲の幼生を半殺しにして、屈辱の限りを尽くしたペジテの残党たちは、王蟲の群れを使ってトルメキア軍を壊滅させ、さらには巨神兵を奪還しようと試みていた。それを知ったナウシカは機関銃で狙われながらも、正面から飛行船に乗り込み、単独でこれを阻止。怒り狂う王蟲の群れのただ中に降り立ち、逃げも隠れもせず、大地を埋め尽くす王蟲の突進を受けて、撥ねられ、空中に舞い上がる。
王蟲たちは、ナウシカの捨て身の行為に、怒りを解いた。
大ババ様「なんといういたわりという愛じゃ、王蟲が心を開いておる。子供たちよ、儂のめしいた目の代わりによく見ておくれ」
子供たち「姫ねえ様、真っ青な異国の服を着てるの。まるで、金色の草原を歩いてるみたい」
大ババ様いわく「その者青き衣を纏いて金色の野に降り立つべし。失われた大地との絆を結ばん。ついに人々を清浄の地に導かん。古き言い伝えはまことであった」
子供たちにこの言葉を語らせるために、大ババ様の目は盲目だったのではないだろうか、それが個人的な見解である。

王蟲とナウシカ。自然からの愛を受けた人間、大地の怒りを鎮めることができた人間、何より『失われし大地との絆を結んだ』人間となったナウシカ。これが映像化された制作側のメッセージであり、最も伝えたかったことだというのが、筆者の見解だ。
ところで……金色の野の伝説とはなんだったのか。筆者が思うに、伝説にあった人物は最低でも王蟲の触手でできた金色の野の上に立ってはいなかったろうという見解である。王蟲の触手によって表現されていたこの野原の原型は、金色の稲穂ではないかと推論しておきたい。人間が生存できる環境と農作物という名の照葉樹林化によって確立されていく指導者的人物像こそが、伝説の人物ではないだろうか。作品は違えども、駿監督の思想には共通点がある。未来少年コナンという作品の、ラオという壮年の人物はテレパシーを使ってこう語っている。
「金色の麦畑を見渡すことができる。人々の笑い声も聞くことができる」
恐らく、駿監督の理想像はこのようなものでないかと思われる。


最後に、なぜクシャナはナウシカと和解したのか。それは語られていない。巨神兵を奪還する予定だったが、当の巨神兵が死亡したし、いつまでも田舎である風の谷にいる必要がないのはわかる。だが、トルメキア軍に対して反乱を起こした風の谷の人間に、見せしめのための報復措置を取った様子もない。テロップと共に再会を果たす場面、二人で肩を並べ、語り合っているらしき場面があり、その後クシャナとクロトワは船に乗り込む。トルメキアの船団が空を飛び、去って行く様子があるだけで、台詞はない。
腐海の深部で見たナウシカの光景に、クシャナは強い衝撃を受けたのだ。持っていた銃を城オジに取られた時も、何の反応もないほどに。そして……
クロトワ「テコでも動きそうにありませんなぁ」
クシャナ「帰りを待っているのだ」
クロトワ「帰り?」
クシャナ「あの娘がガンシップで戻ると信じている」
クロトワ「ガンシップは厄介ですなぁ、いまのうちに、一旗やりますか?」
中略
クシャナ「私も待ちたいのだ。本当に腐海の深部から生きて戻れるものならな。あの娘と一度ゆっくり話をしたかった」
クシャナの中で、確実に何かが変わっていく様子が描かれている。腐海を焼けば王蟲の群れが押し寄せてくると言われても、迷いごとで済ませていたトルメキア軍が、目の前で王蟲の群れに押し寄せられ、壊滅寸前となり、兵士は逃げ出し、頼みの綱である巨神兵まで瓦解して、絶体絶命の危機に陥った。その危機を救ったのは、他でもないナウシカだったからだ。
金色の野に降り立って歩いているナウシカを、クシャナとクロトワは茫然としながらも目撃している。誰にも止められないはずの王蟲の怒りを鎮めたナウシカの言葉に耳を傾けたのも自然であったろうし、そのナウシカの話を聞いたトルメキア兵たちも、聞く耳持つのが自然なほどのインパクトを受けたのだろう。
腐海が瘴気の毒を浄化したように、ナウシカはクシャナやトルメキア軍の心の中にある人間の原罪という毒を浄化してしまった。だからトルメキア軍は国に帰っていったのだ。
クシャナ「腐海の毒に侵されながら、それでも腐海と共に生きるというのか?」
という台詞がある。腐海の毒とは人間の原罪であり、それに侵された城オジたちの石になっていく手を受け入れるナウシカの心もまた、腐海と共に生きることを指し示しているのではないか。腐海の毒は人間の一部であり、本来切り離そうとするものではない、そういっているように筆者には思えるのである。原作の終わりにもナウシカの台詞がある。
ナウシカ「苦しみや悲劇やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない。それは人間の一部だから……」

人々が忌み嫌う腐海の謎を究明してしまったナウシカ。彼女は、人の苦しみや悲劇やおろかさという心まで浄化した。これが筆者の最終的な本作品における結論である。

引用 ※1ロマンアルバム『月間アニメージュ』の特集記事で見る スタジオジブリの軌跡

投稿 : 2014/05/06
閲覧 : 618
サンキュー:

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