シェリー さんの感想・評価
3.2
物語 : 2.0
作画 : 4.5
声優 : 3.0
音楽 : 4.5
キャラ : 2.0
状態:観終わった
「自分を愛せなきゃ、他人も愛せない」
いままでなにかに没頭したことがなかった主人公の平沢唯が軽音というフィールドでギターを始めるお話。
具体性に欠けたあらすじw
登場人物たちが楽器を演奏するということでそのクオリィティは人気の度合いを見ればわかるのかな?
必ずともそうは言えないかな?どうだろう。でも肝心の演奏シーンはイメージ映像が挿入されて完全省略ですw
そりゃあ指の動きひとつひとつ描いてたら大変だろうけど、どうなんだろう。賛否分かれますね。僕はピの方で。
でも全体の作画もすごく綺麗で、動きも柔らかく女の子たちはとっても可愛く描かれています。
お話はぐだぐだな日常をベースに音楽を組み入れていきます。
人気の理由はここなんでしょうかね。
怠惰な高校生の日常、しかも女の子。加えて音楽!
僕はこの作品好きではないです。観ていて和むとかそういうのは感じませんでした。
なぜかと言いますと、「軽音部に入りバンドでオリジナル曲を演奏」っていうなかなかハードな目標がありながら、
彼女たちがそれを徹底的にサボり倒すというのが観ていてなんだか嫌な気しかしませんでした。
他の日常系の作品はそんなことないんですよね。
日常をいかに楽しく過ごすか、またはいかに日常らしいかだと思うのですが、『けいおん』は明らかな放棄。
しかもこれに飽き足らず出てくるのが梓。
初め、梓は練習しましょうと積極的に提案してくれた!
自分と同じことを考えた人の登場です!やったこれでちょっとは変わる!
なんて流れが変わることに期待に胸を膨らませていると、結局梓までもがその状態を受け入れてしまった。
しかもこの人たちの演奏好きという完全な全肯定。もうここまでされてはこういうアニメだと納得せざるを得なくなりました。
なーにが猫耳だー!ばっきゃろーいw
まあおそらく僕がこのアニメに出てくる登場人物たちを可愛いと思えなかったこと、
あまり笑い所で笑えなかったこともこの作品に対する気持ちに大きく影響しているのでしょう。
ちょっと期待していただけに残念でした。
余談
このアニメのEDの『Don’t say “lazy”』のサビ前の「自分を愛せなきゃ、他人も愛せない」という歌詞。
自分を愛してこそ、他人を愛せるのか。それとも他人を愛してこそ、自分を愛することができるのか。
みなさんはどう思いますか?それともどーでもいいですか?w僕は割にこういうフレーズを聞くと真剣に考えてしまうんですが。
僕もこれを聞くちょっと前にこれに行き着きました。まず自分を好きにならなきゃ、人のことなんて好きになれないよ!って。
だから聞いたときは、うんうんなんて頷いていたけれど、でもそのすぐあとに村上春樹(僕のレビューでは度々この人の名前ばかり出ますが敬愛してるのですみません、勘弁してねw)が、ある本で自分を好きになるのは難しい。他人を好きになれないと自分も好きになれないと言っていました。
すごく影響されている人にそんな反対のことを言われて僕は混乱してしまいましたw
でも最近村上さんが言っていることもようやく分かり正しいのかなあ、なんて思いました。まあ結局と言えば、そうなんだけどw
他人を好きになって、自分を好きになる。例えば恋なんかがわかりやすい。
異性を好きになるとなんでもかんでもってわけではないけど、その人のことを好きになります。
それが変な癖や、見過ごせないような欠点だろうとなんだか愛らしく思えてくる。
『グッド・ウィル・ハンティング』という映画で心理学者のショーン役であるロビン・ウィリアムズは、
亡くなった妻のことを話すときに「私の妻は寝ているときによくおならをした。」なんて言いだします。
それで犬が飛び起きたことや、自分の目を覚まし、ショーンに今おならをしたか尋ねてくることもあったと大笑いしながら語ります。
ここは観ていてこっちも笑わずにはいられなくシーンですが、やはりショーンもそんなことで妻を嫌いになるなんてことはまずありえず、そんな変な癖さえ愛しく思うと言います。
自分の欠点って挙げれば挙げるほど果てしなくて、そんな作業をやっていると自分が凡庸で能無しで無価値で、
そんなやつがのうのうと生きていていいのかなんて気がしてきますが、案外他人のそういうところというのは
殊の外無関心だったり、それが君だよと思えるようなひとつのアイデンティティとして見えるものもあります。
そうやって人の欠点なり、どうしようもない点を理屈無しにすっと受け入れられる瞬間があれば、
自分のそれもそんなに気にする必要もないし、万人に受け入れられずとも誰かに受け取ってもらえる、あるいは簡単に受け流してもらえる。
もっといえばそれを含めて好きになってもらえればそれでいいんだと、納得できるようにして、
今度は自分のこともだんだんとではあるけど好きになれるようになっていくのではないのかなという気がします。
まあまだ肝心の実感というものはありませんが。
じゃあまったく逆の、自分のことを好きにならなきゃ他人のことを好きになれないと過去の僕自身が言ったのは
どうしてだったかと考えてみると案外簡単で、そのとき自分は孤独過ぎたのだと思います。
ほんとに1人で独りで色んなことを考えたり、本を読んだり、映画を観たり、漫画を読んだり、アニメを観たり、音楽を聴いたり、絵を見たりと自分の世界だけでした。
だからというのはあまりに安易な発想だけど、そういったものの「毒」に少し侵され過ぎたなと感じます。
もう少し外の空気を吸って、循環を良くする必要がありました。健康でいなければならないなと痛感しました。
孤独の世界にいてはやはり、この自分がどうにかならないというふうにすべてのベクトルが自分に向いてしまっていました。
他の責任にはしないという心積もり故にか、自分を傷つける方向にしか思考の水流は流れ落ちるほかありませんでした。
孤独過ぎてはなかなか周りのものからほどかれてゆかなかないのが自分なんだ、と腑に落ちた瞬間でもあったような気がします。
まあ何か大きな失敗をする前に気付くことができて良かったなあと相変わらず独りで思いますw
そんな次第でありますw