だわさ さんの感想・評価
4.3
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
畳み掛ける感動とその感動の残し方について(※ネタバレ注意)
1クール。
ノイタミナオリジナルファンタジー。
埼玉県秩父市。
西武4000系電車。
以下感想。
まず、未視聴の人は引き返してください。ネタバレ有ります。
これから言いたいことを先にまとめて完結に言います。
「感動の欠片を一気にばらまいた最終話と、
それを視聴者の記憶に擦り込むための花言葉は
さりげなく感動の欠片を統一している。」
この感動を一気に畳み掛ける最終話のために用意された
過去と現在の自分のギャップ、
過去と現在の人間関係のギャップ、
二度と戻れない過去の拘束
といったこれらの演出はわずか10話そこそこで用意されており、人によっては感動導入材のような演出の匂いが鼻につくかもしれません。
これらの解消を感動の引き金にしようというのは見ていてなんとなく伝わってきます。
しかし、それがわかっていても、自分の中で共感できる事柄が含まれているなら感動は多かれ少なかれできるものなのかなと感じました。
自分の中での感動の明細を考えてみると、幼少期と高校生のギャップにあります。
幼少期の自分こそ最も自分らしい自分であり、自分の本質ではないかという個人的な思いが自分にはあります。
3つ子の魂100までというけれど、幼少期の自分を自分の本質として、
歳をとるごとにその本質にうわべの殻を重ねてしまって自分の本質を閉じ込めてしまっているんじゃないのか。
という思いがあるわけです。鍵をかけている、という方がより感覚をうまく言い当てているかも知れません。
そうして本質とかけ離れていく自分の有り様にコンプレックスを抱いてる人は少なくないんじゃないかと思ってます。
で、その自分の本質ともう一度出会い、
「もう一度きちんと前向きに離別する」
ところに感動するわけです。
あの頃は良かったなあと思うのではなくて、
あの頃があって、今の自分の成長がある。
それをしっかりと正面から認識することが、まさに感動なんじゃないかと。
全員メンマが見えて、全員でみーつけたーって言ってお別れするシーンがそれに当たります。
これで、メンマは感情移入対象ではなく、幼少期の象徴としての存在として完成されるんです。
ここで、あの花の花言葉です。
勿忘草(忘れないで)。これはメンマの思いですね。
そして、最終話で牛乳瓶の中に入れられたハルジオンは(追想の愛)。
これは超平和バスターズからの返答のように感じ取れます。
つまり、幼少期の象徴である世界を忘れることなく生きる意思として視聴者に統一的な理解をさりげなく促しているのです。
ばらまかれた感動要素の欠片はこの追想の愛という言葉に収束し、記憶のカテゴライズが完了するわけです。
このさりげない統一が最終的に感動作として視聴者の評価の足並みを揃えさせた要因のひとつとして挙げられるんじゃないでしょうかね。
完全に個人的な私見ですが。