roro-k さんの感想・評価
3.8
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
ネタバレをアナタに,.....。
吾が舞えば麗し女酔いにけり
吾が舞えば照る月響むなり
結婚に神降りて
夜は明け鵺鳥鳴く
遠神恵賜
名曲です。まさかSF作品のテーマ曲がこれとは、ぶっ飛んでます。婚礼の唄らしい
ですネ、内容は.....。
ネットの海でうまれたAI“人形遣い”は草薙素子に提案します。自分と融合して新たな
“存在”にシフトしないかと。
公安9 課に所属する草薙素子もまた自ら改造(脳を残したサイボーグ化)の涯にたどりついた自己の存在の“揺らぎ”にいいしれぬ不安を抱えていました。この時代、自己の脳に蓄積されているパーソナルデータ(記憶、感情など)さえも外部からのアクセスによって書き換えが可能だったからです。実際、超高度なAIである“人形遣い”は不特定多数の人間に対してこの操作を実行していました(もっとも、自ら選んだパートナー、草薙素子と接触する為の“手段”として行っていたようですが....)。
では、“人形遣い”はどうして草薙素子を選んだのか(コレに関しては本編で説明は
アリマセン。リサーチし続けて決定したのか、ただ、単に素子が“好み”だったのか)。
なぜヒトの意識との融合を望んだのか。それは“自己の存在の意義が確立できなかったから”。AIである“人形遣い”はアイデンティティーを望んだのでしょう。ヒトの自我と融合することでより自己を一個の「生命体」として完成させようと考えたとおもはれます。自己の存在にたいする不安。だからこそ、草薙素子に語りかけるのです。
「ワタシたちは、似たもの同士なのだ」と。
最終的にこの二者は融合を果します。最初に挙げた唄の歌詞はこの“婚姻”を唄っているのかもしれません。“人形遣い”は草薙素子だった「存在」のパーソナリティを手に入れ、草薙素子は“人形遣い”のスペックを引き継ぎネットのセカイのなかの“意識的存在”へとシフトしました。さて、ここまでがこのモノガタリの結末の概要です。
以上、究極のネタバレです。しかし公開されてから18 年も経過している作品ですか
ら、スルーしてくださいナ。今更感満載の内容ですしね。..
この作品は、アクションや美術等のビジュアルもハイレベルですが、ひとたびその内容の考察をはじめたら止まらなくなる、でも、それもこういう作品の愉しみのひとつですよネ。
「我考える故に我考える。」タイプの方には、正に“至高の逸品”かと思はれます。
では、前置きはこのくらいにして本題でありますところの
「富野由悠季、押井守、庵野秀明(敬称略)における“神”の定義と作品に於ける汎用の利便性。」に関しての記述を創めてゆきたいと.....,、「おや、誰か来たようだ。」
not continue.