みかみ(みみかき) さんの感想・評価
3.6
物語 : 3.5
作画 : 4.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
手塚慧が主人公だったならばもうちっと見られた
キャラの描写そのものは面白かったし、素朴な成長物語というか、ラブコメ?としては、退屈せずにみられる。そこのところのシナリオ技法については、安心感。
他の方のレビューを読んでいると、やはりみなさん、ラブコメとしてご覧になっているようで。実際ラブコメとしては、じゅうぶんいいできだと思う。
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えー、で、普段は、政治的/社会的に想像力に問題があっても、わたしのスルー基準で「ま、別にいっか」ラインを超えていなければスルー対応で終わらすのですが、
本作は、残念ながら、わたしの「ま、いっか」スルー基準を大幅に上回るK点超えを果たしてしましました。
下記、気にならない人は気にならないと思うので、ラブコメとしての本作にケチをつけるものではありません…が、
まあ、「メディア良化法」なる法をめぐる政治的な想像力については、ちょっとこれはかなり厳しい…。
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で、この作品で表現の自由うんぬん、を言うのはさすがにひどい。左翼にも、右翼にも政治運動を行う人の中には、わかりやすい話に仕立て上げるために、あまりにも問題を単純化・矮小化させる人があとを立ちません…が、それは本人の問題なのか、周囲がバカだと思っているからこそ、「あえて」単純化しているか、わたしはいつもわけのわからない気分になります。
(それこそ、丸山真男の時代ぐらいに、知識人/大衆図式がリアルに通用するような教養格差にクリアな隔たりがある頃であればともかく…)
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とりわけ、げんなりするのが、話の最後のほうで「原則派」の軍人である玄田竜助が、軍部の主張を水戸の図書館長にたいして押し通すというあたりのくだりは、あまりにも寒々しい。
「司法権の独立」のような、政府機能が独立した権限をもつことはむろん現代の現実においても重要なことだ。…が、それは社会的コストとの関係が当然、問題となる。社会的コストとの関係をまったく秤にかけずに、ローカルな正義を、ユニバーサルな正義として強力に主張しようと試みることは、どうみてもただの馬鹿そのものである。
もしかしたら、アニメと小説とでは、表現のさじ加減が違うのかもしれないが、自らの思想的・政治的立ち位置を相対化する想像力が決定的に足りていないとしか思えない。
戦うことにばかり情熱をもっていて、合意形成のプロセスを構築していくことに興味をもたない人なんてはっきり言ってカスである、と私は思う。迷惑千万。妥協としての合意形成をあえて断つことには意味がありうるけど、合意形成そのものに価値を見出さないのは擁護しがたい。しかし、合意形成のプロセスよりも、戦いを描いたほうが物語にはなりやすくクライマックスはつくりやすい。
誰か、合意形成を描いたカタルシスのあるいい話を、もっとつくってくれないだろうか。
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なお、小説やアニメのなかで社会科学的リアリティが「欠如」していても、私はそこまで残念に思わずに見られてしまうほうだと思っているし、思考実験的な設定のなかで、リアリティの多少の欠如はいたしかたない。
しかし、これと、それとは話が別だ。
なぜ、リアリティがないのか、ということが生じるのか。
思考力の限界については、わたしはそんなに、キツイ突っ込みをする気はない。でも、これは別。
・考えの及ぶ限界があったから。整合性などをどれだけ考えられるか。(思考力の限界)
・はじめから特定の思想信条によった視点からしか見えていないから特定の視点以外でのものの見方ができないからなのか。(思想信条の偏り)
の二つは違う。
これは後者だとしか思えないつくり。これはただのプロバガンダの話にしか見えない。政治をエンタメ・コンテンツでやるなって言ってるんじゃなくて、わたしとかは、ガンガンやって欲しいぐらいなんだけど、これはやり方がダメすぎる。※1
こうしたものを、どのレベルで擁護するか、というのはわたしにとっては、けっこう重要な問題で、
「オタク世代は、政治的にはただの馬鹿になってしまった。あいつらはただ、単に戯れているだけだ」
というような「残念な若者論」を上の世代から言われてしまうことを、受け入れざるを得ないかどうか、ということにかかっている。※2
こんな、ヘタレ・イデオロギーに回収されてたら、正直ちょっと、アニメとかオタク擁護とか、無理。
わたしが腹が立つのはそういうのも含めて、です。
これが、外国のどっかの国でつくられた話だったら「ふーん、政治的にだいぶ立ち遅れた議論しかできなさそうな残念な国なんだな」と思って、それだけでしょう。60年前の日本だったら、この程度かな、とは思うけど。
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もし、わたしが残念な気分にならずに、本作の設定を活かした話を見られるとしたら、主人公が手塚慧(あるいは、その側近)になっているバージョンなら、ありうるだろう、と思う。
本作だと、手塚慧は、スーパーパワーを持った教祖風のキャラクターになっているが、まず、キャラクターはもっと、うじうじと悩む人間にせねばなるまい。王道的には、なんかスパイダーマン的な謎の力が使えるヒーローとかでおkだと、思うがコードギアスのルルーシュ的なものとかでもいいかも。
「本当は原則派の言ってることのほうが正しいのでは…?」みたいな感じで、迷いながらも毎回奮闘して、合意形成を目指す手塚慧…のような話になってたら、だいぶ安心感がある。戦う相手は、行政組織感の紛争とかでいいとは思うけれど、この手のネタを扱うなら『攻殻』レベルの政治的想像力はほしい。
まあ、手塚慧主人公にしたら熱血ラブコメではなくなるが…。
そこはなんとか…
※1あと、プロパガンダと、政治的アートの違いもこういう論点だと重要。プロバガンダは、メッセージそのものを主張するが、いわゆる社会派の物語/映像作品/アートといったものは伝統的には問題提起の鋭さにおいて、その価値を保とうとする。この違いは大きい。 ドキュメンタリー映画で言えば、マイケル・ムーアと、森達也の違いのようなもので、前者がマイケル・ムーアで、後者が森達也。
※2 わたしは、団塊世代に対するルサンチマンみたいなものが、結構わさわさしている人間なので、そういうことを言われるのは結構がまんならない。