wjk_anima さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
歩こぅ, 歩こぅ,私は元気!歩くの大好き, どんどん行こぅ, 永久に共に, どこまでも, 果てしなぃ世界へ…
風の通り道,隣の.........これは真実の物語なのか,ファンタジーなのかはあなたの心が決める事です!
「 Exactly 」
“ Don't think. FEEL ! ”
『 考えないで、感じてみて , 』 と、
老子様は、おっしゃっております! ( 多分…)
「 視聴対象者に付いては、この世に生きとし生けるもの全てにあらずじゃ…。」
遺伝子レベルにもあらず,この世に生をなさぬ(怪異)魂レベルをも対象とする!これは絶対事項である
大変,有り難きぉ言葉を頂戴致しました!
“ 永劫回帰 ”
後世へ渡り末永く語り継がれる事と存じます…。
【 概要 】
『となりのトトロ』は、スタジオジブリ制作の日本の長編アニメーション作品。昭和30年代前半の日本を舞台にしたファンタジー。田舎へ引っ越してきた草壁一家のサツキ、メイ姉妹と、“もののけ”とよばれる不思議な生き物「トトロ」との交流を描く。
1988年4月16日に東宝系で日本公開された。観客動員数は約80万人。封切り時の併映は高畑勲監督作品『火垂るの墓』だった。配給収入は5.9億円と『風の谷のナウシカ』を大きく下回ったが、キネマ旬報の「日本映画ベストテン」第1位など、各種日本映画関係の作品賞を獲得。1989年4月28日以降、テレビ放映も繰り返し行われた。
キャッチコピーは「このへんな生きものは まだ日本にいるのです。たぶん。」と「忘れものを、届けにきました」のふたつ。前者は糸井重里によるもの、後者は同時上映された『火垂るの墓』との共通コピーである。
★【 製作の経緯 】★
《 初期イメージボード 》
本作の原型となる構想は、宮崎駿が1970年代に日本アニメーション、そしてテレコム・アニメーションフィルムに在籍していたころに書き連ねていたイメージボードに残されている。この時点では主人公の女の子は1人で、メイに似た外見をした5歳の女の子であり、サツキとメイのデザインと性格が混在していた。テレビスペシャルなどへの採用を模索していたとされるが、企画書は通っていない。イメージの一部は、宮崎がAプロダクションに在籍したときに設定や演出に参加した『パンダコパンダ』からも採られている。
《 サツキとメイの誕生 》
宮崎によれば、当初女の子がトトロに出会う場面について、雨のバス停の時と昼間の時との2つの場面を思いついてしまい悩んでいたところ、映画化決定の1年前に入って主人公を2人の姉妹にすることを思いつき、サツキとメイの2人が生まれたという。一方、現在のスタジオジブリのプロデューサーである鈴木敏夫は、2008年7月12日放送の特別番組において、「もともと同時上映の『火垂るの墓』ともども60分の尺の予定が、『火垂るの墓』が90分に延びることになったので、じゃあトトロも80分以上にしようって話になった。どうやって20分も延ばすか悩んでいたが、宮崎監督が『主人公を姉妹にすれば、20分くらい延びるだろう』と言い出し2人になった」と語っている。
《 企画の難航 》
宮崎は『天空の城ラピュタ』の公開を終えた後、1986年11月に「トトロ」の企画書を徳間書店に提出する。しかし、舞台が昭和30年代となっていることや題材が地味であることに加え、当初60分程度の中編映画として企画されたために単独での全国公開は難しかったことから、制作企画会議において承認を得るまでには至らなかった。そこに、高畑勲が検討していた『火垂るの墓』を同時上映する案が浮上し、徳間書店社長である徳間康快の要請で、『火垂るの墓』の原作小説を刊行している新潮社が『火垂るの墓』の出資、製作に参加することになり、中編2本体制が確立する。
〔 製作体制 〕
制作母体は前回同様、スタジオジブリが選ばれた。高畑班が従来のスタジオに入り、宮崎班は新設した第二スタジオに準備室を設営する。高畑、宮崎の信頼に堪える主要スタッフ(アニメーター)は限られており、人員のやりくりに制作側は苦慮を迫られた。高畑側が旧知のベテランを集めた一方で、宮崎側は作画監督の佐藤好春、美術監督の男鹿和雄のように、新しく参入したスタッフを中心に制作することとなった。
両作品とも60分の中編になるはずだったが、結局は予定を超えて90分前後の長編映画となった。宮崎によると、冒頭の引っ越しの絵コンテを書き上げた段階で、この作品が予定の時間に収まりきらないことが分かり、高畑の『火垂るの墓』も同様な状況であることを聞いて、時間を延ばすことにしたという。また『火垂るの墓』で登場する蛍やトマトは一切出さないことにしたなど、『火垂るの墓』との重複を意識して避けたと語っている。
〔 公開後 〕
宮崎は、「登場人物たちは作品完成後も年々自分の頭の中で年を重ねており、現在では主人公も嫁いで元気に暮らしている」と述べている。「(宮崎の中では)そのまま若いままではいないです。いませんよ。そりゃあ。もうあの人たち(さつきとメイ)はすっかりもう成人になってます。すっかりいい娘になって、その後結婚した後は、知らない(笑)」、という。
【 反響 】
配給収入が5.9億円と公開当時は振るわず、興行的には外れてしまう(この失敗のおかげで資金回収のために『魔女の宅急便』が製作されることになった)。しかし1989年以降、日本テレビ放送網の「金曜ロードショー」でジブリ最新作公開年の夏、最新作公開日前夜の放送日等に放映されており、視聴率は毎回21%前後を記録する。2010年7月23日には金曜ロードショー枠で1989年4月のテレビ初放送から数えて12回目のテレビ放送が実施され、全12回中10回目の視聴率20%越えを達成した。日本テレビにとっては「イチロー級の(視聴率)アベレージヒッター」として重宝されている。1998年以降は2年おきにテレビ放送されており、2012年7月13日に13回目の放送となる。
トトロのキャラクター商品第一号である、映画公開時に宣伝用に販売したぬいぐるみは合計666,920個を販売し、1989年末にサン・アローから発売されたぬいぐるみ(前述の物とは異なる)を1990年に『となりのトトロ』がテレビ放映された際に視聴者プレゼントしたところ、日本テレビに200万通の応募はがきが殺到した。サン・アローから発売された「となりのトトロ」のぬいぐるみは1991年2月時点で、大トトロが計約100万個、中トトロと小トトロが計約60万個、その他が計約50万個(合わせて計約210万個)を販売した。キャラクター人気と販売の好調ぶりを、ジブリのプロデューサーである鈴木敏夫は「一番の稼ぎ頭」と表現している。またキャラクターとして定着したトトロは、『魔女の宅急便』以降、スタジオジブリのシンボルマークとしても使われている。ジブリ映画にはブルーバックにトトロが描かれたものが使用されるようになり、以前の作品がビデオやDVD化される時も本編に追加されるようになった。
1997年6月27日にはブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメントよりビデオが発売され、発売後約1ヶ月で100万本を出荷するヒットになった。そして、2001年9月28日にはブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメントよりDVDが発売された。こちらもオリコンDVDチャートで前人未到の500週ランクインを達成し、国内DVD売上もアニメ作品史上4作目となる100万枚を突破している。
黒澤明は「ネコバスが凄く気に入った」と語っており、「黒澤明が選んだ100本の映画」にてアニメ作品で唯一トトロが選ばれている 。トイ・ストーリーやファインディング・ニモの監督・総指揮で知られるジョン・ラセターは「僕の人生で最も好きな映画の1つだよ」と述べている。
2005年開催の「愛・地球博」では、本作に登場した「草壁家」が『サツキとメイの家』として再現され、長久手会場に建設された。好評により博覧会終了後も保存され、現在は愛・地球博記念公園にて予約制で見学できる。
本作のヒットにより、各地で本作をイメージさせる場所や物が話題となり観光名所になるといった現象が発生した。
大分県佐伯市宇目の轟(ととろ)地区に、大分バス「ととろ」バス停(佐伯 - 木浦線)があり、付近に居住していた子どもが「ととろのバス停にとなりのトトロがいたら」と話し、母親が1992年にねこバスやトトロの人形や手書きパネルを置いた。いつしかトトロを彷彿させるその名称やパネルが注目され、2000年に新聞報道されてから、この「ととろの里」は、旧宇目町の人気観光地のひとつとなった。近年、人形やパネル等が増えすぎたため、その多くはバス停近隣に整備された小公園「トトロの森」に移され、バス停に残る大型のパネルはトトロとサツキ&メイのもののみとなった。
山形県最上郡鮭川村小杉には、トトロにそっくりな形をした「小杉の大杉」がある。藩政時代からの由緒ある木であり、夫婦で見ると子宝が授かると言われている。
山形県米沢市李山地区にもトトロにそっくりな形をしたトトロの木がある。
東京都杉並区阿佐谷北には通称「トトロの家」と呼ばれる家があり、宮崎駿著書「トトロの住む家」で「トトロが喜んで住みそうな懐かしい家」と紹介されモデルになったとされる。この家屋は、1924年(大正13年)に、東京市震災復興局の近藤謙三郎が設計したものであった。杉並区が所有者から買い取り公園として残される予定であったが、2009年2月14日深夜に発生した外部侵入者による放火が疑われる火災により全焼してしまった。その後再建は見送りになったものの、宮崎駿のデザインスケッチを元にした公園へと生まれ変わることに決まり、2010年7月25日に「Aさんの庭」としてオープンした(所在地: 杉並区阿佐谷北五丁目45番13号)
バンダイが行ったアンケート「バンダイこどもアンケートレポート」によると、0歳から12歳までのこどもがいる保護者を対象に行ったアンケートにおいて、作品の公開から20年以上経過している2011年1月(集計は前年10月に実施)時点で、こどもに見せたい映画の第1位を獲得しており、依然として根強い人気の映画と評価されている。また、集計を行ったバンダイは、親にとってサツキとメイは理想の女の子であると分析している。
また英誌Time Outでは「アニメ長編映画ランキング トップ50」で1位になったり、同じく英誌Total Filmの「史上最高のアニメ映画50本」でも6位になったり、本作は国外においても非常に高い評価となっている。
2010年7月10日に公開されたピクサー映画『トイ・ストーリー3』では、大トトロのぬいぐるみが出演。声は発しないが、本作でおなじみの歯をむき出して笑う顔を見せる。
【 作品のモチーフ〔 舞台 〕】
時代設定は昭和30年代初頭とされているが、宮崎は「テレビのなかった時代」と述べており、特定の年代を念頭に置いて演出したわけではない。後に宮崎は、1953年を想定して作られたとも述べている。
宮崎は、トトロと主人公たちが住んでいる緑豊かな集落のイメージの由来について、かつて在籍した日本アニメーションのある聖蹟桜ヶ丘、子供のころに見て育った神田川、宮崎の自宅のある所沢、美術監督の男鹿和雄のふるさと秋田など様々な地名を挙げており、作品の風景はこれらが入り混じったものであって、具体的な作品の舞台を定めたのではないとしている。その後、宮崎が1990年代から狭山丘陵の「トトロの森」保全運動に携わったり、所沢の地名が形を変えて作品に取り入れられていることもあって、所沢市がその舞台として紹介されることもある。
★ 財団法人 トトロのふるさと基金 ★ 概要 沿革 自然保護活動 ★
【HP】URL… http://www.totoro.or.jp/intro/index.html
〔 狭山丘陵との関連性 〕
作品の固有名詞には埼玉県所沢市から東京都東村山市にかけて広がる狭山丘陵の地名を元にしたものがある。また劇中、草壁家の引っ越しの場面で「狭山茶」の張り紙をした箱が登場する。
埼玉県所沢市松郷 所沢市の東部、浦和所沢バイパス松郷交差点付近の地名で、草壁家が住む「松郷」のモデルとなったとされる。西武バス [所59] 「エステシティ所沢〜所沢車検場前〜東所沢駅(武蔵野線)〜所沢駅東口(西武池袋線・西武新宿線)」の所沢車検場前バス停付近。
埼玉県所沢市牛沼 埼玉県所沢市松郷に隣接する地区名で、ねこバスに表示される行き先「牛沼」のモデルとされる。
「トトロ」の名前は「所沢のとなりのお化け」に由来している。初期の設定では、大トトロは「ミミンズク」で1,302歳、中トトロは「ズク」で679歳 、小トトロは「ミン」で109歳。
【 音楽 】
※作曲・編曲は全て久石譲が担当
◆オープニングテーマ
「 さんぽ 」 作詞 - 中川李枝子 / 歌 - 井上あずみ
童謡としても歌われており、カラオケなどでもアニメソングでなく童謡に分類される場合がある。 CDでは杉並児童合唱団のコーラスが付いているが、映画では井上のソロで2番が省略されている。
◆エンディングテーマ
「 となりのトトロ 」 作詞 - 宮崎駿 / 歌 - 井上あずみ
映画では転調せず、2番のサビで終了する。
◆イメージソング
「 風のとおり道 」 作詞 - 宮崎駿 / 歌 - 杉並児童合唱団
サラ・ブライトマンの「Dreamchaser」の日本盤ボーナス・トラックの中に収録されており、日本語で歌っている。
「 すすわたり 」 作詞 - 中川李枝子 / 歌 - 杉並児童合唱団
「 おかあさん 」 作詞 - 中川李枝子 / 歌 - 井上あずみ
「 まいご 」 作詞 - 中川李枝子 / 歌 - 井上あずみ
「 ねこバス 」 作詞 - 中川李枝子 / 歌 - 北原拓
「 ふしぎ しりとりうた 」 作詞 - 中川李枝子 / 歌 - 森公美子
「 ドンドコまつり 」 作詞 - W.シティ制作部 / 歌 - 井上あずみ
「 小さな写真 」 作詞 - 宮崎駿 / 歌 - 久石譲
上條恒彦がカバー。曲名は「 お母さんの写真 」で、歌詞が一部異なっている。