退会済のユーザー さんの感想・評価
3.2
物語 : 2.0
作画 : 3.0
声優 : 5.0
音楽 : 4.0
キャラ : 2.0
状態:観終わった
タイトルなし
本作では【非戦】というテーマを実現する為の手段として【自立】が必要であると描かれている。自分で考え、行動する大切さを説いているのだ。
これ自体は無難な答えながらも、その描き方は面白いものがあった。1stのランバ・ラルとのエピソードをまるっとパクッてるところには目を瞑るとして、そうした経緯を経て結局、自立出来ないキラは、次第に人間関係を崩壊させていく。フレイとの関係、サイとの不和、トオイの死、そして行き着いた先が、憎しみの赴くままにかつての親友であるアスランと殺し合うという惨劇まで行き着く。。
自分で選ばずに行動してきた結果、連合とザフトの対立の根幹に呑まれたキラは、その後ラクスとの再会を機に、今度は自らの行動を選択する。
「想いだけでも、力だけでも……」
このセリフが、一度世界の業に呑まれたキラが経た答えであり、ここからキラは、自らの望むものの為の行動を起こすのだ。。
では、キラの望むものとは何か?
それが彼の口から明らかになったのが、最終話。そう、「それでも、守りたい世界があるんだぁ!!」というワケ。
しかし、ここからが問題で、肝心の【キラの言う護りたい世界というものが描かれていない】んだよね……。
キラがネットや様々な方面で「偽善だ」と叩かれている原因は、おそらくここにある。
そもそも彼は、自らの意思をもって選択しなかった結果、自分の世界を崩壊させてしまったのだ。
ならば、彼がこのセリフを発するには、戦線復帰からクルーゼとの決戦までに、彼が【守りたいと思えるコミュニティを構築していくこと】が必要となってくるはず。
それなくして、世界の業の権化たるクルーゼの主張と張り合えるはずがないのだ。
コミュニティーの再構築=守りたい世界だとして、まず重要となってくるのが、サイとの確執を解消すること。
キラ=コーディネイターでサイ=ナチュラルだから、両者の関係はSEEDという世界の縮図でもあるワケだ。(実際、スペシャルエディションでアズラエルがコーディネイターに見下された過去を回想する際、キラにあしらわれたサイと同じカットで描かれている)
つまり、サイが後のアズラエルにならない為にも、キラとの関係の修復は、作品的にも必須。
だからこそ「サイにはサイにしかできないことがある」というセリフだったんだろうけど、それなのに劇中に【サイにしかできないことが描かれていない】とはどういうことか。このセリフだけでキラとサイの関係が修復されるのはどう考えてもおかしい。
クルーゼに放ったセリフは、これの他に「それだけ(コーディネイターとしての力)が僕の全てじゃない!!」というのがある。これは、ラクスの「貴方が優しいのは、貴方だからでしょう」の言葉をもって証明されているので良かった。
……が、ちょっと弱い。出来ることならもう一人、ナチュラルの誰かに似たようなことを言ってもらえてたら良かった。
そして丁度、ぴったりのキャラが劇中にいたんだよ。
まさかのカズィ君です。
何故カズィかというと、彼っていち早く戦争という世界から脱却したよね?
だから彼だけはキラのことを、コーディネイターとして見る必要がないキャラなんだ。それこそ、ラクスとは比較にならないぐらい、彼がキラに向けるセリフというのは終盤でなら大きな説得力をもっていたんだ。だから例えば、オーブに避難していたカズィと再会して、そこでキラがカズィに認めてもらっているような場面があれば、最終話の「それだけが(略」にも滅茶苦茶説得力が生まれていたんだけど……。
と、ここまでが、僕がキラに――というかフリーダム乗り換え以降で感じた不満。とにかくこの作品、出来ることはいっぱいあった。しかしそのほとんどが消化不良で終わってしまっている。
そりゃあ続編が出て当たり前。だって何も解決していないから。
最終決戦でもキラの言葉に重みがまったくなく、明らかにクルーゼの主張が正しいという酷い様相を呈していた。結果、キラは「想いだけでも、力だけでも……」と言いながらも力にモノを言わせてクルーゼを撃破するという、なんとも残念なラストとなったワケで……。(クルーゼもそれを理解していたからこそ、最期に微笑んだのだろう)
エピローグのキラは「どうして僕達はここまで来てしまったんだろう……」的なセリフを呟くけど、あれって要は、、自分の帰る場所の醜さを嘆いるんだよね。
初代ガンダムのアムロとは対照的だな……。
ストーリーは、中盤まではそこそこ良かったので☆2、キャラクターはクルーゼとフレイの存在感を考慮して☆2。
そうでなきゃ、どっちも☆1にしてただろうなぁ。