![](/img/user/user-nophoto.jpg)
退会済のユーザー さんの感想・評価
4.0
物語 : 5.0
作画 : 3.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:今観てる
タイトルなし
正直なところ、本作は1stガンダムにあったようなロボアクションの面白みが致命的なレベルで欠けている。
ガンダムMk-2は武装が相当地味で初代ガンダムほどのインパクトはなく、中盤から出てくる本命のZガンダムにしても、その登場はポッと出も良いところ。しかも、主人公の心境の変化とか成長に合わせての登場じゃないから、その後もパッとした活躍をしない。
Zガンダムといえば最終決戦のバリアー、巨大ビームサーベル、スイカバーが有名だけど、それ以外は劇場版のビームコンフューズ以外、「これ!」と言えるアクションがなかった。主人公のカミーユも、前作のアムロや、続編のZZで主人公を務めたジュドーと比べて、パイロットとしての実力は印象が薄い。
そんな、ロボットアニメとして致命的である本作だけど、僕は嫌いじゃない。むしろちょっと好き。
何故かと言うと、キャラが面白いから。
カミーユ=ビダンの存在感が半端じゃない。キレる十代をアニメキャラにしたワケだけど、そもそも80年代でもうキレる十代を導入してる時点で凄い。しかもキレ方がぶっ飛んでる。
女みたいな名前というコンプレックスを刺激されるや軍人だろうとお構いなしにぶん殴り、捉えられて強引な尋問をされるや、「許せない」の一言でMSに乗り込んでMPさんにマシンガンで威嚇したうえに哄笑するんだぜ。こんなのが主人公なんだぜ、笑うしかないでしょ。
ギャグじゃなくシリアスな場面で「はははっ、……ざまぁないぜ!」って、主人公が言っちゃダメだろ。
そんな彼は長い戦いの果てに、心の崩壊という最悪の結末を迎えてしまう。
おそろしいことにこれが、前作にて浮かび上がった【ニュータイプとなれば人は分かり合えるのか】というテーマに対する、監督の答えなのだ。
つまり、【人の気持ちを分かり過ぎると良いことはない】ってこと。
ニュータイプとは、半ばエスパーのようなもので、人の意思に敏感というか、言葉を介さずにある程度他人の気持ちに触れることができる。
その中でも彼はずば抜けた資質をもっていた。
そんな彼でも、結局、ニュータイプとして人と分かり合えたことは一度もない。
フォウとすら、そうなのだ。彼女とはすぐに恋仲のようになったことから、人と人として分かり合えたのではなく、あくまでも男と女として分かり合えただけであり、そこにニュータイプなど関係ない。あくまでも生身の関係です。(ニュータイプとしての感覚では、双方とも不快感を示している)
彼女を除くと、クワトロにしろエマにしろ、シロッコ、ハマーンとも分かり合えたためしがなく、ハマーンにいたっては明確に拒絶された。このハマーンとのやり取りが、すべてを物語っているといっても過言ではないかもしれない。結局、人にはそれぞれ侵されたくない部分があり、そこを踏み越えることはやり過ぎでしかないのだろう。
逆に、カミーユがフォウを除いて明確に分かり合えたというか関係を発展させれたのはベルトーチカで、彼女とはニュータイプとしてではなく、普通の会話と、各々が置かれた環境できちんと成長していたからに他ならない。初期の頃に険悪だったのは、お互いがお互いの触れて欲しくない部分、触れてはいけない部分まで突っ込んで話していたから。
こういう線引きも、彼らは多分、戦争という環境の中で学んでいったのだと思う。
一人の、優れた感受性と豊かな感情をもつ少年が、戦争を政治の道具や遊戯としか考えていない大人に対して、人の心の大切さを説きながらも、最後には心を壊してしまう悲しい物語。それが、富野監督が最後のつもりで描いた【ガンダム】なのだ。
終盤にある、カミーユが宇宙空間で話しながら無意識にバイザーを上げてしまうシーンは、何度観てもヒヤリとする。
広大な宇宙空間の中でさえ息苦しさを感じるというのは、どんな感覚なのだろう。僕には想像もつかない……。
前駆よりもロボットモノとしてはパワーダウンしているものの、ドラマ面の濃さ(それこそ息苦しさを覚えるほど)はそれを補って余りあるだろう。