じぇりー さんの感想・評価
2.7
物語 : 2.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 2.0
キャラ : 1.5
状態:観終わった
100年の恋が冷めた気分
ファーストシーズンで受けた、斬新な演出、会話中心で物語が進むスタイル等々といった衝撃が大きすぎたのか、偽物語、猫物語も視聴し、今回セカンドシーズンを視聴したら、以前のようなワクワク感がすっかりとどこかへ飛んでしまっていた。
時系列を掴むまでがまず難しい上に、原作を読んでいないと到底理解できないであろう、「なぜ」がたくさんあり過ぎる。
{netabare}①忍野扇という存在。初登場時でも、暦とはいつの間にか既知の関係であった「なぜ」。
②忍が暦のパートナーとして普段は影に隠れて存在しているということを、「なぜ」他のヒロインたちは知っているのか。特に千石撫子はこの件に激高しているわけで、暦自身がどこかのタイミングで自ら暴露する以外に知る術はないと思うのだが…
③暦と忍が殺されかけているまさにその時に、「なぜ」戦場ヶ原ひたぎは恋人のピンチを察して行動に出ることができたのか。{/netabare}
と、パッと思いつくだけでもこれだけの引っ掛かりが生じてくる。
もしかすると、作中でこれらのヒントが隠されていたのかもしれないが、私には見つけることが出来なかったし、見つけるためにもう1周見返そうと思えるほど、本作を好意的に捉えることができないでいる。
なぜか。まず挙げられるのが、単純に「会話劇」に飽きたから、というのがある。
ファーストシーズンではそのユニークさと、会話のテンポの良さで、本作の特長となりえた「会話劇」。しかし、裏を返すと「会話ばかり=動きが少ない」となる。
画面を見ても、ただただキャラがしゃべるシーンがコロコロ切り替わるだけ。動きがあってもしゃべっているアングルや背景が変わったり、キャラの首や腕が動いたりする程度。
これでは、ドラマCDを聞くのとほとんど変わらないのではないか。
さらに画面の話で言うと、頻繁に入る文字だけの画面は、ほとんどが読める速さで表示されていない、ということはつまり「読めなくていい」ものだと考える。読めなくても本編を楽しむ上では差し障りがなく、ストーリー上も問題ないということなのだろう。もしここに、上記の「なぜ」への答えが書かれていたのだとすれば、これは演出とは呼べず不親切設計と言わざるを得ない。
次に阿良々木暦というヒーローへの幻滅である。
ファーストシーズンやその後のシリーズとも違う、このセカンドシーズン独特の特徴として、各物語の語り部が暦以外の人物であるケースが多々見られた点に関しては、視点を切り替えてストーリーを楽しめることが出来たので、良かったと思う。また、物語によってはそのような事情から、暦が登場しないエピソードが存在すること、もっと言えば暦の出番が全体的に少なかったことに対しても、理解できる。
ただ…だ。久しぶりに暦がよくしゃべる回が出てきたかと思えば、{netabare}幼女や少女や童女にムラムラしてセクハラを繰り返す姿は見ていて痛々しい。このハーレム状態に、無意識であったとしてもまんざらでもなさそうな暦ってどうなのだろう。{/netabare}
もうここまで来てしまうと、男性キャラが少ない本作だけに、貝木泥舟の方が恰好良くさえ見えてしまう。
音楽に関しても不満が。OP(=本作ではキャラソン)が流れない回が多々ある件だ。尺の関係で仕方がないというのは、総集編を3回も入れておきながら言えたことではない。特に鬼物語にはOPが存在しない点にも違和感がある。大人の事情が働いたのかとさえ思う。
ファーストシーズンが秀逸だったため、自然と期待値が上がってしまっていたことも手伝って、残念な作品となってしまった。続編を見るかどうか今はまだ「まよいマイマイ」、と言ったところだ。