くろゆき* さんの感想・評価
4.4
物語 : 4.5
作画 : 3.5
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
困っている人がいて、助けてあげられる力があるなら、その時は迷っちゃいけないって、、、これ、家のお父さんの教え。
激しい愛、優しい愛、悲しい愛、様々な愛の集合の上に成り立ち、また終始、愛を物語の主眼に据える姿勢を貫徹した本作は、まさに「愛の結晶」と呼称されるべき美麗な秀作である。故に、本作を的確に評価するには登場人物間に存在する「愛」の輪郭を求め、そして、語る他にないだろう。
本作は多くの人々を接触させることにより、多様な形で愛を表現した。
その中で先ず描かれたのは「友愛」である。主人公なのはは、魔法少女化し、重大な事件に自発的な形で関与する。その過程で、なのはは、煩悶する事になり、正直で素直な故に感情が表情に反映され易い彼女は、友人に「なのは何か悩み事がある」と察知されてしまう。そこで、友人達は自分達に相談するよう説得するが、如何せん特殊な事情なので、彼女は話そうとしない。普通なら、この時点で友人達は主人公との間にある信用関係に疑念を抱き、最悪の場合、絶交と云うある意味での解決手段を用いても不思議は無いが、作中の友人達が選んだのは「待つ」ことだった。というのは、彼女達は此の事に「なのはは、私達が力になれない何かで悩んでいる。つまり、彼女が私達に相談してくれないのは私達の力不足の所為だ。それに、いくら親友だからといって話したくない事だってある。だから、一緒に悩んだりしてあげられないのは悲しいけど、私達は彼女の力になれない自分に憤りや悔しさを感じながら待つ」というプラトニックにしてアダルトな結論で自己処理し、それを彼女に対する態度とした。この姿勢は絶対的信頼関係の前提がなければ、選定されない態度であると同時に、本作の「友愛」に対する一つの答えではないだろうか。
次に「家族愛」である。これについては、本作中で「なのはの家」、「フェイトの家」という対照的な二つの窓を通して、ある意味、相対的に表現された。ここでは、双方に交互にスポットライトを浴びせる事で、本作中の「家族愛」について触れる。フェイトの生い立ちは語るに忍びない程に悲惨なものである。詳細は割愛するが、大筋を説明するのであれば、自分が愛し、また自分を愛していた(と思っていた)母親に冷遇され続ける、というものだ。それに対し「なのは」は過去に苦難はあったものの、現在は、家庭の理想像を具現化したような笑顔の絶えぬ、和気藹々と云う言葉が良く似合う最高の場を提供してくれる家族を持ち、前述したように友人にも恵まれており、公私共に充実した生活を送っていた。私は、フェイトが取り戻そうとし、孤軍奮闘した「フェイトの家」(家族愛)のあっけない幕切れを目の当たりにして「この作品が描きたい家庭とは何だ?」という疑問を呈せざるを得なかった。そして、反虐待という社会的風刺にしても他に描き方があるだろう、ていうか、こんなの只フェイトを虐めてるだけじゃないか!製作スタッフめ!この野郎!万死に値するぞ!などとも思った。しかし、実は答えは巧みに用意されていた。それは「なのはの家」だ。つまり、本作はフェイトの「負」を式として、なのはの「正」即ち答えを連動させ、逆算的に解答を呈したのだ。表現の手法即ち解答への道の舗装という役割を担った虐待だったとはいえ、フェイトに対す過剰な仕打ちは眼に余るが、この巧みな「家族愛」の表現方法には一見の価値があり、また解答の正当性に疑いの余地はないので、「家族愛」についても評価に値すると言っておこう。