だわさ さんの感想・評価
3.0
物語 : 3.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
新たに鬼物語記載。鬼物語は大好きだが、ものすごく気に入らない。その理由は・・・
・2クール(猫白、傾、囮、鬼、恋)
・シャフト×西尾維新
・物語順に感想を書く。
・傷まだだしアニメは本当に時系列バラバラで投下する気らしい。
・今回のセカンドシーズンまでは原作既読。
時系列確認↓
傷物語 高3春休み
猫物語黒 4月中旬~GWまで
化物語 GW後~6月中旬
偽物語 7月中旬~8月中旬(夏休み)
傾物語 新学期直前
鬼物語 新学期~8月下旬
猫物語白 新学期~8月下旬
囮物語 10月末~11月はじめ
恋物語 年開けて1月~2月
憑物語 2月中旬
暦物語 高3振り返る
終物語 (未)
続終物語 (未)
花物語 高校卒業後の4月中旬
感想
傾物語、囮物語、鬼物語。
の感想・・・全部はめんどくなったので、鬼物語について書きます。ネタバレ注意。
セカンドシーズンでは、猫白、恋、鬼の順番で好きなんだが、実は鬼は好きだけど気に入らない。
なぜなら・・・
まよいちゃんがいなくならなければならなかった理由がわからないから。
一応の説明はされている。迷い牛が迷うことをやめ、また、迷わすことをやめたからである。迷い終えたと言ってもいい。
迷い牛としての本分を失いながらも成仏を否とし、周囲を欺き、存在が不安定になったことにより黒いかたまりのようなものに消されようとされた。
という話なんだが。納得がいかない。西尾維新物語シリーズにおいて怪異の存在の力というのは、存在の認識である。
忍野メメの言葉にあるように、どこにでもいるし、どこにもいないのである。
ここで思い出して頂きたい。
まよいちゃんには、母の家に辿りつけたあと、暦に「地縛霊から浮遊霊に昇格しました。」と言っている。
「つまり、まよいちゃんは迷い牛という地縛霊ではなく、浮遊霊としてそこに存在していれば、矛盾が生じないのである。」
少なくとも、暦はそのことを認識していたはずである。それは多少なりとも存在の力となるはずなのである。まよいちゃんが消える理由がわからない。
幽霊として存在できて、幽霊の幽霊として存在できない理屈はない。少なくとも説明されていない。
400年前に忍野忍が黒いかたまりのようなものに消されかけたとき、吸血鬼として存在の力が薄れ、吸血鬼なのに神と認識をされ続けたから黒いかたまりにけされかけた。
この間、時間にして1年。まよいちゃんが消されなければならない理由がまとまるのが早すぎる。まあ、この時間的なことに関しては矛盾というものでもないが。
忍野忍とまよいちゃんでは、まったくケースが違うのである。まよいちゃんが迷い牛でなくなった後、迷い続けているわけではないではないか。ちゃんと浮遊霊として地縛霊のときとは違う在り方をしている。本分を弁えている。
さらに、この黒いかたまりはシリーズを通して非常にナンセンスである。
なぜか。それは怪異ではないからである。
物語シリーズでは、神も悪魔も幽霊も出てくるわけだが、それらの怪異としての境界線は非常に曖昧である。
この黒いかたまりのようなものは、そのどれよりも明確に絶対的にまさに神らしい存在ではないか。
世界のルール、世の理を調整している存在で、怪異ではない。という設定。
こんなトンデモ設定、いらない。
物語シリーズにおいて、語られる物語は純粋に怪異譚であるべきだと思う。あくまでも勝手にね。
↓以下猫白感想。
猫物語(白)1~5話
原作で一番好きな作品。
羽川翼という存在の本質に迫る物語。
羽川翼の魅力はこれまで、絵と巨乳に支えられてきた。
と少なくとも俺は思っている。
それが、この作品で羽川翼の魅力が爆発する。
ツンデレがはじめてデレた瞬間と同じように、はじめて見せたギャップは感動もの。
超頭脳派で家庭環境不遇ありだという設定は、割と人間味のない無機質な設定として
「必然的にそこにあった」だけで、
そこに羽川翼としての特別な感情の描写はこれまで控えられてきたと思う。
替わりに猫を通して羽川翼が抱える異常性について触れてきた。
伏線とも言えるそれらがついにひとつの終着点にたどり着き、
人間味の塊のような感情が爆発する瞬間、達成感満足感充実感とともに「ギャップ」を演出した。
これが羽川の新しい魅力。
あるいは、そういった人間味のある感情描写を控えるために劇場版で予定されている傷物語を後回しにしてきたのかもしれないとさえ思えたりもする。
まあこれはただの変な深読みだろうが、とにかく、この猫白で俺ははじめて羽川翼というキャラが好きになった。
アニメ化で、最終話の最後のシーンの泣きっぷりが少々安いと思ったけど、面白かった。