イシカワ(辻斬り) さんの感想・評価
3.9
物語 : 4.0
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 3.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
情報から推察するガルガンティア
レビューの情報が錯綜している状況が続いており、既視聴者の間でも脳内に残っている記憶に違いが生じているようだ。原因は『台詞』にあると思われる。見流しをすると、どうしても『台詞』より、絵柄と声優に視点がいってしまい、記憶が曖昧となり、どのような『台詞』をキャラクターが口にしていたのかが不明となる。この原因はシナリオの流れそのものを把握できないことに繋がり、結果として作品の読み違いに繋がってしまう。
今回のレビューは『台詞』と状況を軸に、筆者から確認したガルガンティアがどのようなものであったかレポートする。当然のことながら、今回は既視聴者対象としたレビューとなる。
仮に未視聴者の方がこのレビューを参考にする場合、まずは一話ずつ視聴し、一話ずつの視聴直後に記憶から抜け落ちていた情報の補完という形で参考されると良いかと思われる。視聴直後でも、欠落が多いのではないかという筆者の感覚を、追体験してもらえる事かと思う。
基礎情報より
遠い未来、人類銀河同盟所属、レド少尉は烏賊型生物ヒディアーズとの戦闘中にワープホールの誤作動によりランダムワープし、暮らしていた文明からは隔絶され、海に覆われた謎の星に辿り着いた。氷河に覆われて居住不能な惑星という歴史認識をしていたレドは、謎の星が環境改善された地球であることを知る。退化した文明の人々との新しい生活の中で、高文明が幸せの価値と同質でないことを理解し、機械的戦士から人間性を確立していく成長の物語である。
わかりにくい特定のキーワードと説明
ユンボロ 人型の運搬道具。クレーンや貨物車両に近い扱い。
ギルド長 ギルドとは、中世より近世にかけて西欧諸都市において 商工業者の間で結成された各種の職業別組合。ギルド長はその長。
ガルガンティア船団 幾つもの船が寄り合っており、海賊などから身を守るために船団となった。
マシンキャリバー 運搬用具ではなく兵器として開発されている。宇宙以外の水中でも活躍できることから、筆者にとって予想以上のスペックがあった。宇宙専用にカスタマイズされて、他で活動不能と考えていたからである。現地民からはユンボロと思われているが、搭載されているAIチェインバーは、ユンボロとは異なるものだという認識を示している。レド少尉搭乗機は、マシンキャリバーK6821というのが正式名称。
チェインバー。パイロット支援啓発インターフェイスシステム。チェインバー曰く『貴官が、より多くの成果を獲得することで、存在意義を達成する』とみずからを定義している。
第一話
{netabare}ナレーションはアヴァロンと名づけられたスペースコロニーであること、また誰に向けての発信なのかは、単なる視聴者説明目線ではなく、軍人への説明、睡眠啓発と称した洗脳であり、声の主は指導者からのものだと推察される。人類銀河同盟や兵士を讃えよという台詞は、民主政治という思想ではなく、明らかさまに軍事的なものを優先する国家形態である。ヒディアーズと呼ばれる烏賊型宇宙生物との戦闘に破れたコロニーの画と戦闘する様子も描かれている。軍事政権下における士気上昇を目的とした声明が延々と流れている。主人公のレド少尉の初登場場面にしても、睡眠モードからの覚醒はプログラムによって管理されており、自由に眠り、自由に起きられる生活環境とは言い難い。
睡眠啓発という台詞が上司のクーゲル中佐から発せられる。啓発というのは、より高い認識や理解をすることなのであるが、筆者の独断と偏見からすれば啓発というより、洗脳といってよい。
レド少尉には十四万五千時間まで軍務経験があり、それによって限定市民権とアヴァロンへの四週間の渡航滞在資格が与えられる、という台詞がAIチェインバーより発せられる。
このことから、現実的にいって、軍人の大半は使い捨ての道具であり、守護しているアヴァロンの住人になることはおろか、渡航滞在も難しい現状が知らされる。過酷な状況下の告知に対して、レド少尉はアヴァロンに行きたがる様子すらみせない。筆者個人から推察するに、レドは完全に洗脳状態であり、指導者にとって都合のよい使い捨ての駒となっている。指導者側が発する軍人を讃えよ、という台詞とは裏腹に、レド少尉は楽園と名称されるコロニーの市民権すら与えられない存在で、限定市民権獲得と言いながら、アヴァロンで観光客になることすら難しいのがわかる。十四万五千時間も軍務経験がありながら一時的な滞在ですら許されない人間がアヴァロンにたいして命を賭ける理由を求めても不明になってしまうが、それは睡眠啓発と呼ばれる洗脳によって、不満すらない兵器となっていることで納得できる。一度もレド少尉自身がこの目でアヴァロンを見たことすらないという台詞には、一種の驚愕すら覚える。
最終決戦から始まる戦闘は恐怖すら忘れ去ることで兵士として完成したというレド少尉の独白がある。自由睡眠もなく、自由飲食がなく、自由生殖もない軍人、それがレド少尉である。
ここで特に注目すべき内容は、クーゲル中佐の台詞「お前はまだ若い」といって、みずからが犠牲となり、レド少尉を逃がす命令を下すことである。
地球にワープアウトしたマシンキャリバーは、海に沈んでいた。それを謎のユンボロとして引き上げたサルベージ業者ベローズは、解体・修理業者ピニオンに引き渡した。珍しい物が引き上げられたのを知った郵便業のエイミーが見物にやってくる。ピニオンは解体しようと努力するが、マシンキャリバーは少しも傷つけられない。ガレージの中で目ざめたレドは、状況の把握と打開につとめようとするものの、善い案が浮かばない。レドは時期を見計らい、ピニオンとエイミーしかいない瞬間を狙って、エイミーに銃口を突き付け、ピニオンが攻撃しようとするところを躱して、ガレージの外へと逃走する。ピニオンからすれば悪人にしか見えないだろう。エイミーが謎の人物にさらわれたことで、続々と警戒した人々が集まってきた。気づけばレドはガルガンティア船団の人々と敵対状態となっていた。
主だった情報の整理
1.人類銀河同盟となった人類は長い流浪の末、理想郷・アヴァロンというコロニーを形成した。
2.主人公レド少尉は軍事政権下で洗脳を受け、自由睡眠・自由飲食・自由繁殖すらもままならず、アヴァロンにすら渡航滞在が難しい存在である。感情が希薄な機械的戦士。
3.クーゲル中佐はレド少尉を逃がすため、軍規違反行為をし、みずから盾になる自己犠牲の精神を用い合わせている。
4.指導者側は下等生物と演説内で位置づけている敵対生物ヒディアーズだが、技術面において彼我差を有しており、全勢力を傾けた人類銀河同盟側は惨敗している。ヒディアーズの評価は指導者側の言い分通り、内容を鵜呑みにすべきことではない。ギャップを感じるのである。
5.最終戦闘により、ワープホールの力に巻き込まれたレド少尉は、座標すら特定できなくなっていた人類の故郷、地球に漂流する。
6.地球ではサルベージによって生計を立てている人物達が目の前に現れ、マシンキャリバー(ロボ)を解体する試みをしている。
7.レド少尉は計測基準点を喪失しており、地球の場所を特定できない。
8. ガルガンティア内部で『敵対する人物の象徴』としてのピニオンが登場し、『仲間として受け入れる人物の象徴』としてエイミーが登場する。両極にある人物が同時に、しかも共同して暮らしているということ。
第一話総括
他のサイトなどのレビューを観察すると、理解しやすい部分としにくい部分が明白になってくる。
理解しやすい部分は1.5.6.7であり理解しにくいのは、2.3.4.8である。
筆者個人が覚えておきたいピンポイントは三つ。
1.レド少尉は軍事政権下で洗脳を受けており、ガルガンティアの人々の視点を理解できていないだけではなく、初期段階において人間性が薄い。
2.クーゲル中佐は、軍規を逸脱しても自己犠牲の精神を優先する行動をしている。
3.ガルガンティア船団内部で『敵対する人物の象徴』としてのピニオンが登場し、『仲間として受け入れる人物の象徴』としてエイミーが登場する。両極にある人物が同時に、しかも共同して暮らしているということ。
特に理解されにくいのは、3.の人間関係の位置づけではないだろうか。現段階では、エイミーが『仲間として受け入れる人物の象徴』としての場面はないし、ピニオンが『敵対する人物の象徴』として位置付けるのは早急だが結論から先に論じるとそのような形になる。
第一話の目的。
主人公のレド少尉の設定を視聴者に提示することであり、またガルガンティアに行き着く経緯である。ワープホールからの事故で、見知らぬ惑星に辿り着いてしまう作品は他にも、筆者の記憶にはあり(無人惑星サヴァイブ)わかりやすい設定ではないだろうか。隔絶された世界に一人いるのはガリバー旅行記からの伝統にも思える。第二話に続くための『惹き』は、レド少尉のとった行動によって、原住民から銃口を向けられることだった。{/netabare}
第二話
{netabare}包囲されたレド少尉。AIチェインバーを使い、翻訳させながら交渉を試みる。
それに対する四人の登場人物の言動は、それぞれ言い分が異なっている。
1.フェアロック船団長としては、殺害は許可できない。その他船主連の船主たちも、どこから来るとも知れぬ仲間がいるかも知れず、その仲間からのお礼参りなどされたらたまらない。
2.修理・解体業者ピニオンは、暴走されたら危険。謎のユンボロイドを解析、解体し、乗っている人間を海に沈めろという。
3.女性引き上げ業者ベローズは、カネになりそうなものを拾ったに過ぎない。謎のユンボロを移送中、クレーンが壊れた。ピニオンに損害請求する。
4.捕まったエイミーは、見知らぬ土地に来てびっくりした印象で、害意を感じないと発言。
これは筆者からするとこう読み取れる。
レドは害意がないことを表明、交渉を試みる。対応した各自発言役。
1.慎重・殺害不許可。フェアロック船団長並びに議会員。船主連の意見側発言役。
2.敵対・排除。修理・解体業者側発言ピニオン。
3.無関心・クレーン破損の損害の方が重要。引き上げ業者側発言役ベローズ。
4.友好的・受け入れ側発言役。エイミー。
5.分解/研究・司会進行役。リジット。船団長の慎重な発言を聞いて、否定的な表現を行うが、それに従う。
リジットは船団にとって有益であるかどうかという視点であり、ピニオンは感情的な否定である。エイミーは弟ベベルとの会話で、いっぱい話をして仲良くなればいい、と発言しており、この点からも、友好的・受け入れ側役をシナリオ内で担っているのがわかる。また、最初の接触で誘拐されたのにも関わらず、交渉役をみずから引き受け、友好的な行動に出ていることからも、エイミーの役割は当初から定まっていたものと推測できる。交渉後、周囲を説得にかかるエイミー。過度の接触は避けるべきというフェアロック船団長の意見と、海に沈めろと再度発せられるピニオンのこうした発言は、レド少尉が船団内で受け入れられていないことの証明である。特に繰り返されるピニオンの過激な台詞は彼を通じて敵対・排除側の心情を視聴者に印象付けるのが目的であると思われる。
女性引き上げ業者ベローズはクレーンが壊れてしまったことによる損失の穴埋めをするため、サルベージを行うが、そこで海賊と接触。エイミーはレドに「海賊をなんとかして」と発言し、結果レドは海賊をせん滅してしまう。
第二話総括。
レドは帰還が果たせず、船団に対して友好的に行動すべきという判断があり、それに対する各自船団に搭乗する人々の反応を示すこと。海銀河を探して移動を続けることが船団の目的であるという設定の説明。三つめは、次のシナリオに向けての連動・伏線としての、海賊のせん滅である。実は、自由飲食をしてこなかったレドとの違いを示すために、エイミーが持ってきた魚を「水生生物の死骸である」とチェインバーに言わせている。レド自身も驚いているが、議論になっていないので理解しにくい。死骸を食すという意味ではなく、どの種類のものでも自由に好きな時間に食べていることに関して視聴者に見せるべきだったのではないだろうか。伝わりにくいのは明らかで、レドのこうした光景の意味について記載してあるレビューは筆者の知るところ皆無であった。注目されないまま時間を取ってしまった悪い例である。間違った見解を示したとしても、最低でも注目されるように持っていくべきであろう。 {/netabare}
第三話
{netabare}海賊に死人を出したことは、報復に繋がる。それについてレドは理解していない。
1.厄介者の排除側発言役。司会進行役。リジット。他幹部・海賊に引き渡しても海賊は収まらない。
2.危険視側発言役・ピニオン。レドが海賊と組んでしまったらどうするのか。ユンボロだけもらってあとは……いうまでもなくレドを海に沈める発言をしようとするところで遮られる。
3.レドの処分より、船団全体の運営を優先する発言者側。フェアロック船団長。今は海賊の動向を探り対策を立てることである。レドの処遇についての決定はその後で構わない。
第三話総括
目的の一つに、レドとベローズの接触は海賊との人間関係、また命を重要視する人間性の表明がある。武器を互いにちらつかせる辺りは、大国同士が核を保有するのと変わらないところではあるが。海賊にしても、作品『ブラック・ラグーン』辺りの獰猛な人々と比べると随分ライトな人達ではないだろうか。歴史上の海賊の目線から見ても同様である。第二にリジットが船団長代理を務めている状態という中で、受け入れる姿勢を取ったことも大きい。第三にガルガンティア全体の人々から声援を贈られたことも大きい。戦闘シーンまでついていて、中身の密度は十分に濃い印象を受けた。雨降って地固まる。制作側からのメッセージと目的は『ありがとう』ので繋がる人間関係であったと思われる。 {/netabare}
第四話
{netabare} 第一話の最後で、マシンキャリバーを呼び出した際、格納庫に開けた穴。その修理代金をリジットから請求されたレド。格納庫では生活しづらいと思って抗議するエイミーとは裏腹に、レドは格納庫が気に入り、ここでよいと言い出す。筆者の憶測に過ぎないが、レドは日ごろ格納庫で休息していたのではないかと思われる節がある。新しく船団に加わってきた人々の荷物の輸送を手伝っているレドとマシンキャリバーだが、思うようにできない。マシンキャリバーの指揮役は現場監督が行い、レドは手持無沙汰となってしまう。例によってピニオンは『ユンボロに働かせて、自分は遊んでやがる』とのこと。
心配したエイミーは様子を窺うが、レドは暇ができると、ヒディアーズの爪か牙か不明だが、それで笛のような何かを作っている。本人いわく、なぜ作っているのか不明とのこと。
新たなレドの情報は、レドが弟という言語を理解していないことだった。家族という社会単位も知らない様子である。非効率、必要がないと考えるレド。ここでも、機械的人間レドの思考が表されている。筆者の見解としては、仕事をもらった事と、ベベルを通じてレドの過去を浮き彫りにさせる目的とした回であり、ベベルとの接触の時間を得るために、マシンキャリバーをうまく誘導して仕事に就けなかったものと思われる。また、ただ与えられた仕事をするというだけではなく、仕事探しの回も予定されてのことではないかとも思われる。五賢人の一人、医師オルダムに対してもレドの意見は変わらない。家族を非効率と言い出すあたりも、機械的、効率を重要視する思考の表れだろう。ベベルとの会話でも『疲れたら大変だね』の返事が『消耗した者は死亡するのみ』では、レドはやはり使い捨ての駒と考えていいのではないだろうか。レドのいう『組織的な構造が不効率かつ無益な運営について理由を問う』というのは、やはり機械的な思考である。ベベルは『船団は組織じゃないよ。ただ、みんなで寄り合っているだけなんだ。時々、喧嘩したり、協力しあってそうやって生きているだけなんだよ。みんなが安心して生きていけるなら、それでいいんじゃないかな。銀河同盟はヒディアーズを全部倒したら、どうなるの。レドさんはどうするの?』と問いかけ、レドは『待機を続行するのみである』ベベルの〆の言葉は『僕たちと同じだね、待機って、生き続けることでしょ?』
一見するとかなりこじつけなベベルの発言だが、わざわざ設定された回の結論がただのこじつけであるという理屈で片づけるのは却って不自然である。現在レドは銀河同盟から隔離されており、ヒディアーズとの戦闘そのものがない。戦闘が無い状態での待機を、ガルガンティアにおけるレドの生活と位置づけるのなら、それはベベルのいう生活と等しいものになる。目的がなければ生きることをすればよく、それがベベルのいう待機なのではないかというのが、筆者の意見である。ベベルとレドの共通点。目的と達成させる有効な効率性だけが、人の生き方ではないということの示唆にも思えた。
後からやってきたベローズには、とりあえずその軍人みたいな考えをやめたら? といわれる。レドは軍人なのだから軍人らしく振舞うのは当然であるし、軍人以外の生き方をしていなかったようなので、どうすべきかとっさにはわからないだろう。その後の雨水を集める光景は、生活の一部の紹介なのだと推察される。レドが最後にベベルと話した時、レドが作っていたのは笛だとベベルからいわれる。それはヒディアーズとの戦闘効率とは無関係である。言われたレドの脳裏で想起されたのは、笛を見て微笑む少年だった。いなくなった幼少時の友人か、それとも血縁の人の記憶なのだろう。そこには確かに効率でもなければ、有益でもない人のために涙を流す人間レドの姿があった、と筆者は思っている。機械は非効率に感情で涙など流さないのだから。
第四話総括
レドがたびたび口にする内容が『非効率』『無益』『目的』であるのに対し、他の人々の意見は、効率で人は生きていないという意図が感じられた。人間にも仕事はあるのだし、効率も必要とされる。しかし、それのみで生きているのではない、ということなのだろう。信仰が必要ではないにせよ、人はパンのみに生きるに非ず、である。それは必要してくれる家族であったり、認められる自分自身であったりである。タイトルの追憶の笛、とは、非効率で無益で目的とは関係のない感情が、実は機械的戦士レド自身の過去にあったのだということであり、幼少時の記憶に想起された少年と笛に涙するもの、つまり機械にはなくて、人間にはあるもの、ということではないか。銀河同盟の思想は機械的であり、ガルガンティアにあるのは人間的思想である。銀河同盟とガルガンティアに挟まれたレドを繋ぐものとして、記憶の少年と笛があり、銀河同盟では淘汰されるであろうベベルの胸に疾患がある設定は、少年とベベルの類似から共通点を想起させるこの回のためにあったと推察される。筆者としてはそういう見解となった。
{/netabare}
第五話
{netabare}ベベルとの会話を回想するレド。ヒディアーズがいなくなった世界でどのようにして生きるのかである。現状ヒディアーズがいないレドからすれば行動基準がない。永延と待機するのみである、といったものの、レドは考え直し、職務を求める。エイミーは、人と支え合う、というフレーズを口にし、レドも同意する。探し回るレドだが、見つからない。そこで出会ったのはピニオン。どういう理由か、ピニオンはみずからレドに声をかけ、集合するようにいう。凪になったのが理由で船団は一時停止することになった。どうもピニオンはパーティーをしたがっているようで、レドは荷物運びに呼ばれた。凪の日は波が無くなるためメンテナンスする日と決まっていたのである。修理屋以外は電気をストップさせられてしまうので、船団の人々は息抜きの日となっている。ピニオンの行動が前回までと違って、レドに対して否定的な言動ではない。四話で考えを変えたようであるが、ピニオンがレドを褒めて大喜びしているような節はなかったようであるし、印象としては唐突なので、この辺りはもう少しシナリオを練った方がよかった。他にも、リジットとレドの、船団長補佐と宇宙から来た軍人ではなく、年上のお姉さんと堅苦しい少年との会話により、精神的な交流があってもよかったと考える次第である。未だぎくしゃくした人間関係にあるはずであるし、ピニオンもリジットも休息してくる理由があるのだから、恰好の環境であるのにそれをうまく活かし切れていないのは、個人的にいって残念だった。肉を焼こうにも鉄板の電源が入らず、最終的にマシンキャリバーでレドは焼却してしまい、台無しになってしまう。ピニオンは、謎の手紙と共におつかいをレドに頼むのだった。電源が入らない理由が判明する。船団の駆動系に支障が発生し、その修理のためにエイミーがリジットの要請で狩りだされる。エイミーとリジットの無線通信の途中で、焼肉パーティの言葉を口にしたため、その時点で焼肉について露見する。制作者の頭の中では、焼肉パーティ→鉄板の電源が入らない→レドがマシンキャリバーを使って焼却してしまう→リジットが修理をする、エイミーに支援要請→焼肉露見、という形で、凪ぎの日の電源供給不足の状況を使おうとしているのがわかってくる。マシンキャリバーを使って水中での船団修理の支援をレドが行う、としたほうがリジットの心証もよくなる、ピニオンの心証が少しでも好転すると一石二鳥の機会な気がするのだが。上部と下部の二手に分かれて修理する光景もあるので、上をエイミーたちに任せ、潜水服を着込む部分をマシンキャリバーに搭乗するレドに任せればよかった。レドが活躍する機会も少なめな分、考えてもよいはずである。ピニオンは、マシンキャリバーを見て『お前、黒いな』と発言。小さいところでは、ベベルの描写の芸が細かい。ラスト近くでエイミーは語る。『実はピニオンがレドのために焼肉パーティを企画してくれたんだよ』意外といいところがあるピニオン。悪態をつくほど、中の感情は悪くないということなのだろう。つまり、非常に遠廻しの受け入れ容認ということなのだ。エイミーいわく『みんなのために頑張ってくれてありがとね』と台詞が入る。レドは役に立ったのだということを知る。隠されたメッセージは『レドはみんなの役に立った』ということではないだろうか。なかなか役に立てずに悩んでいるレドを、ピニオンは、文句を言いながらも考えてやることができる一面があるようだ。意外性を意図したピニオンの人間性の掘り下げた表現ともとれる。
第五話総括
三人娘のお色気の部分や、気持ちよく滑走したり、空を飛ぶエイミーたち、マシンキャリバーの黒い部分を見て、焼肉パーティーを盛り上げる、珍しいリジットの水着姿、ラストの『この状況の必然性を問う』など楽しかったり面白かったりする部分を強調したシナリオとなっている。堅苦しい内容が多い分、めりはりをつけたかったのではないかと推測できるが、リジットとピニオンとの人間関係改善の部分を強調させた方が確実に物語の強度は高くなっただろうし、仕事を探す時間と、オカマに追いかけられるシーンを削り、代わりにレド活躍とリジット・ピニオンとの焼肉パーティーしながらの会話導入の時間を増幅させることは可能だろう。他の楽しい部分もかなり残せる時間はあるのだから。筆者の直感に過ぎないが、ラストの『この状況の必然性を問う』を繰り返す部分の強烈さを感じており、ひょっとするとそのラストに作者はシナリオのゴールを考えて制作していたのではないかと、憶測する次第である。視聴者全体でも理解した人が少数になってしまった気がするが、今回のシナリオの目的は『楽しい時間』『ピニオンの方からの受け入れ』『みんなの役に立ったレド』だろう。前回でリジットとの和解は成立した形で取り扱っている制作側と、まだ納得していない視聴者側との、意識の乖離が発生している面が他のレビューを読むと存在していることが判明する。『ピニオンの受け入れ』もまたその一つであるように思える。{/netabare}
第六話
{netabare}機械的戦士レドには、戦意以外ない。基本的にどれに関しても興味がない。個人的な欲望もない。視聴者に知ってもらいたいことはそういうことだろう。レドを引き抜こうとする二人の背景では三人娘が踊っているが、これは女欲を表しているし、飯は食欲といった具合に、欲望を表しているのではないだろうか。
ピニオンは『自分の欲望をわかってない奴が、信頼されるかってえの』という。軽く口にしている言葉だが、欲望のためにカネを稼いでいるのだし、目的はそれなりにある。まあ、セールスマンや店の売り子、各種業者にしても、レドのいう戦線復帰という要望も、仕事のうちには入る。問題は、仕事して給料をもらったらどうするのか、休みの日には、仕事が終わってからどうするのかといった『個人の顔』がレドにはないのである。ピニオンはそういうことを言いたいのではないだろうか。
欲望の獲得という意味では、ピニオンのいう、酒、女、船、旨い飯など、ベローズでいうところの下品な欲望もそれらのうちに含まれる。しかし、目的だけあって、個人的な人間性がないからこそ、何を考えているのか、第三者には理解できず、従って信頼できないというメッセージでもあると、筆者としては推察する。レドの、色々なことを知りたい、とベローズに語っているのも、ある意味知識欲である。
オルダムのいう『君が受け取った報酬は、誰かを支えた証だ』ということが仕事なのだと解釈するレド。これもまたメッセージなのだろう。今回のメッセージは明確であったが、三人娘の踊りと、エイミーの踊りなど、視聴者サービスの面が大きい回だったように思われる。
夜の帳、海銀河、光り虫、釣り堀、銀河道など、過去の遺産が現在の生活に大きく関わっている。その中身が、ナノマシンなのだという設定は、世界観の独自性の産物なのだと思われる。{/netabare}
第七話
{netabare}
今回、視聴者に報せる目的は多かった。大王烏賊とヒディアーズは同一種。チェインバーのいうヒディアーズとの『共存・共栄』そしてフェアロックの『意思』『ピニオンの兄のかたき討ち』『過去の遺産』『レドの解釈』
船団にいたら兵士としての義務を果たせないことから、レドはガルガンティアを去る決意をする。
これらの設定上にあるのは、世界が薄っぺらくならないための奥行きといってよいものである。しかし、ただそれがあるだけでは、詰め込んだだけで、シナリオとしては練り込んだことにはならなない。ただの設定表示に過ぎない。存在する設定をシナリオに活かしてこその練り込みである。こうした『奥行きの理論』を使って、実際のシナリオが動き出すというところで七話は終わっている。
これまでレドに友好的でなかったフランジ老人の態度が変化したり、一介の修理屋ピニオンが大きく人々を扇動したり、逆に友好関係を結んでいたリジットからレドが銃口を突きつけられたりと、人間関係と状況が大きく変化した回だった。ガルガンティアの大きな精神的主柱であったフェアロック船団長の容態が急激に悪化してしまったことも大きい。状況によって人間関係がたやすく変化してしまうことを如実に現した回であり、一見しておさまっていたレドの立ち位置は不安定なものだったということを見せられる回でもあった。
この回を抜かして視聴すると、状況が不明という結果にもなりかねない。 {/netabare}
第八話
{netabare}
これまで、レドにスポットライトが当たり続けていたが、エイミーとリジットがメインとなっており、レドは締めくくりに出てくるだけとなっている。ガルガンティアの人々の別れと、それぞれの思いを描いたこの九話は、直接的なシナリオから外れてはいるものの、『世界観』を大事にする制作側の考えが反映しているように思う。主人公達が活躍するためにお膳立てされた『背景』『絵』ではなく、『役割以上の存在』して『個を確立』させている。また、レドはレドなりに、考えている。既に、『機械的戦士レド』ではなく、『人間的戦士レド』の顔が出ていた。エイミーやベベルのために戦う、出ていく時にも、『翠の海の、恵みあらんこと』という辺り、成長しているのが見える。ただレドはチェインバーの指摘したヒディアーズとの『共存・共栄』の部分には踏み切らずにいる。長い間生死を分けて戦い、大勢の仲間の死を見てきたレドにとって、簡単に『共存・共栄』という判断はできないのだろう。レドが地球人類側に立つ理由が不透明、納得できないといったレビューを見るに、レドの主張回数が少なかったのでないかという疑問が残る。全十三話内、八話で既にエイミーやベベルのために戦うことを表明しているのに、うまく視聴者に伝わらなかったからだ。
朝日の昇る中でのリジットの告白にも似た声明、それに対する船団の人々の言葉。確かに名も無きモブかもしれない、だが確実に、あの瞬間、筆者は『個を確立』させていると、感じたのである。 {/netabare}
第九話
{netabare}霧の海に入って生きて帰った者はいないという。レドは群れを為してくるヒディアーズを単独で片づける。一方、船上でのピニオンの部下たちは、くじら烏賊の祟りを恐れ、ピニオンは予定通りやれば問題ない、という。ピニオンの脳裏には、亡き兄と共に海へ潜っているピニオンの姿があった。ピニオンが海に潜れないのは、くじら烏賊に殺された兄のショックと関係があるのだろう。海洋恐怖症か、それともくじら烏賊恐怖症か。くじら烏賊の巣での戦闘の合間に、メルティが双眼鏡で霧を覗いている姿がある。フランジも遠目からサルベージの進行状況を気にしている様子がある。レドは極限状態用記憶媒体をヒディアーズの巣で発見。チェインバーの分析によると、旧世界文明の研究施設と判明。しかし、軍事機密に該当するため、レドには開示が不可能だという。
情報をまとめるとこうなる。
『第五次氷河期の到来に人類は対応策を練っていた。科学の発展を重んじる派と、伝統を重んじる派閥に分かれ始める。科学の発展派は次期にリボルバーと呼ばれるようになり、伝統を重んじる派閥はコンチネンタルユニオンと呼ばれるようになった。現在の国際規定では柔軟な対応は難しいと判断したリボルバーは、規定を無視した。ヒトゲノムを操作して自立進化し、別の居住惑星を目指そうとするリボルバーと、ヒトゲノム操作は人類の禁忌であり、国際規定を無視するのは言語道断といったコンチネンタルユニオンとの間で感情的ともいえる抗議活動や不満が募り出した。国際条約違反をしてみずからの体をヒディアーズ化した人類の情報が漏えいすると、そのショックからコンチネンタルユニオンは国連の決議も待たず、多国籍艦隊の派遣に踏み切った。一方、リボルバー擁護の側に立つ国もあり、紛糾が高まる。寒冷期に対応する早急な宇宙開発が叫ばれ、コンチネンタルユニオンは恒星間移民施設を構築した。地球の生存圏が寒冷期のために狭まる中、リボルバーとコンチネンタルユニオンの戦いは激化する。ワープホールを建造中、奪い合いや破壊工作などが激化していく中で、情報は終わる』
レド『ヒディアーズは下等生物じゃなかったのか?』
第九話総括。
ただの下等生物というにしては、特殊な技術を使っているような印象があったヒディアーズ。それはヒトゲノム操作などといった技術の現れや、巣の作り方にしても知性があったころのヒディアーズが制作した技術によるものだろう。ヒディアーズ=下等生物。というものではなく、智慧のある者が、みずから知性を放棄する形で制作し、智慧のある間に生存戦略構造を意識して作った生物。と位置づけたほうが良いと筆者は判断した。みずから知性を捨てた、枝分かれした人類の末裔といってもいい。
ピニオンの伏線、兄貴がヒディアーズの犠牲となるシーンがあり、海に潜れない理由も明らかになる。
過去の人類の歴史を物凄く簡単にまとめると→第五次氷河期が到来→ヒトゲノムをいじってまで生存したいと思うか→YESリボルバー。NOコンチネンタルユニオン→リボルバー側のヒトゲノム操作発覚→感情的な行動で国連決議を待たず攻撃を仕掛けるコンチネンタルユニオン→ただでさえ仲が悪いのに氷河期のせいで居住区が狭まり続け、二手に分かれて戦争が激化する。→コンチネンタルユニオンがワープホールを完成させるも、そこで破壊工作などが行われる。→筆者の憶測に過ぎないが、おそらくワープホールの装置は破壊され、リボルバーもコンチネンタルユニオンも地球の座標がわからなくなる。→以下、現状へ。まさしく今回は地球の過去の情報提供が制作側の目的であったと推察する。{/netabare}
第十話
{netabare}
レドとチェインバーとの、ヒディアーズの認識の差が大きくなった。その差を見せることが今回の制作側の目的であると筆者は推察した。
レドの心境を表すのならこれだろう。
レド『お前は、なぜそうなんだっ、銀河同盟の、俺の戦いの意味が、根こそぎ否定されたっていうのにっ』
レドは、人類同士で殺し合っている。人類の尊厳を賭けて戦うのではなかったという認識である。ヒディアーズの幼生をマシンキャリバーが握り潰してしまった時、レドは『やめろぉぉぉ!』と叫んでいるというのに、一方で、無理に自分を安定させようとして、『怖気づく? ヒディアーズは殲滅した、恐れることなどないっ、恐れなど……』といっていらだっている。混乱と葛藤があったのは事実だろう。
ここでキーワードを並べて簡単に説明すると、チェインバーの言い分はこうなる。知性有りが人類、知性無しがヒディアーズ。文明有りが人類。文明の放棄がヒディアーズ。
マシンキャリバーやチェインバーを持つ知性こそが、人類の人類たるゆえんで、それがないのは人類ではない。人類ではないのだから、同類のものではないし、人類同士で殺し合っているとはいえない、それがチェインバーの言い分ということになるのだろう。
大事なことは、『主人公レド』がヒディアーズを同じ人類と思っているところである。
結論として、チェインバーからすると、ヒディアーズは人類ではない。レドからすると、ヒディアーズは人類である。
ヒディアーズ=光蟲なのかは不明だが、類似点は存在している。よくよく考えると、ヒディアーズ=光蟲だと、自動的に地球人類はヒディアーズに助けられている状態であるし、ないと電力供給できないのだから皆殺しは地球人類の死活問題に発展しそうでもある。石油で動かすにも、石油などありそうにない。憶測に過ぎないが、船団の動力は完全に電動なのだろう……
ヒディアーズ=光蟲であったり、ヒディアーズが光蟲制作に携わっていたりするのなら、地球人類にとって、『共存・共栄』の部分で一役担っているのは間違いないところだろう。ヒディアーズは、ヒディアーズ自身が知性を持たないため人類のことを思いやって電気を供給しているのではないが、人類側が一方的に助けてもらっているような状態ともいえる。人類側がヒディアーズのために何かしてやっているわけではない、せいぜい、相互における不可侵という程度だろう。
地球型ヒディアーズが、みずから増殖を続けることで、共食いを起こして死滅するような、ただ強靭な肉体で死亡しにくい不死の存在かは不明だ。また、地球型ヒディアーズが人類と争う可能性も確かに否定はしきれない。どちらも増殖を続ければ、いずれは地球という名の受け皿の中で飽和状態になってしまうからだ。だがそれはヒディアーズ同士でも、人類同士でも起こりえることで、ヒディアーズVS人類という図式のみというのは、筆者にとって違和感はあった。飽和状態による戦闘なら、別に人類同士、いや、他者同士で戦うという理論となり、それは人類の歴史から見ても、ごく普通の行為である。レドからして、ヒディアーズという名の人類であったとしても、あまり変わりもないのだろう。黒人と白人が一緒にいるのと同じ感覚で、ヒディアーズが隣人でもレドにとっては構わないと筆者は判断した。ヒディアーズと人間は混血できないだろうが……{/netabare}
第十一話
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銀河同盟の理念からしてみても、筆者の独断と偏見からすれば、『言葉は言葉の通りの意味ではない』ということだ。啓蒙と称していても実質的に侵略であったりするし、啓発という言葉も体の言いことをいって中身は洗脳だ。ピニオンの言葉を飾った台詞に対して、フランジのいう『体の良い降伏勧告だ』はまさしくそうだろう。
ストライカー『銀河同盟の理念においては、幸福とは、個人が全体に対する奉仕の採用対効果が、最大効率を発揮する状態と定義される。ゆえに、幸福は統率の安定度に比例する』
チェインバー『定義と結論に同意する』
チェインバーもやはり銀河同盟のシステムである以上、ヒディアーズという存在を利用する『強者という名の体制側が一方的な立場を守るために、他者を犠牲にする欺瞞システム』であることには変わりないと思われる。
幸福の概念は、筆者からすると、感情に根差すものだ。だからこそ、これさえあれば幸福と、簡単に位置づけられないのだと思っている。欺瞞システムと、地球人類の価値観との相違との差を表し、レドを葛藤させるのが今回の制作側の目的であったと思われる。
レド『もう黙れ……俺も、ここから降りなければよかったのかもしれない』
この台詞は、他の回への伏線になっているものと推察した。{/netabare}
第十二話
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まず、レドが同盟の考え方より、地球の人々のために戦う理由にとぼしいのではないかという意見がある。控えめといってよい内容だが、ベベルや、生き別れた少年などの『弱者』を守る、エイミーを守る。人々を守るために、レドはガルガンティア船団を離れたのである。ヒディアーズの幼生を見た時も、ベベルや生き別れた少年の面影を脳裏で重ねている。つまり、『弱者』を守るために戦うというレドの行き着いた考えがある。切り捨てられてしまうものを助けたい、守りたいのである。
クーゲル中佐の姿を捏造したストライカーの思考は、クーゲル中佐から発した言葉や、ラケージが発した言葉からも汲み取れる。
ラケージ『弱者は強者に尽くす、それこそが、神の定めた摂理、だそうですわ』
そして、今回も海に捨てられていく『不要になった弱者』にベベルの面影を重ねているレド。実に用意周到に組み立てられている。四話辺りには既に、ベベルと捨てられた少年の話が出てきており、人々を通じて、レドは何を守るべきかを自覚するに当たって、何重にも刷り込んでいたことがわかる。ベベルの存在は、ずっとレドの心の中にあり、それは笛というキーワードで繋がっていた。笛を作り続ける理由は、廃棄された少年に繋がっており、無意識のうちにレドは人間性を求めていたのではないか。それが笛作りという行動に繋がっていたものと思われる。何より、笛を作り始めていたのは、四話よりもっと早い段階からであった。効率性と無縁の行動は、レドの人間性を差していたようにも思われる。話の水面下で、ずっと制作側は念入りに意識して制作していたものと推察する。レドが弱者切り捨ての思考を持つ同盟より、地球人類を優先するのは、実は当然の帰結であったように筆者は考えている。最初から地球人類側に立つ要素は下地にあったのだ。
チェインバーは、銀河同盟の機体と戦えるか、について。
チェインバー『ストライカーX3752は、現在、同盟の軍務の範疇にはない行動を遂行中。交戦対象として、認定は可能である』
この辺りも、視聴者の中には納得できない人もいて、低評価にしたり、それに賛同したりする人もいたように思われる部分である。チェインバーとストライカーは同じ同盟のシステムであるが、既に大きな差異があるからこそ、攻撃対象にできる。同一のものではない、という意味では、チェインバーのヒディアーズは人類か? についての推論と同じ考え方に辿り着くことができる。それは第十三話に引き継がれた伏線でもあるようだ。
レド『そうか、なら、俺は、中佐と戦えるか、チェインバー?』
チェインバー『その質問への解答は、支援啓発システムたる、当機の機能を超える。戦闘行動の方針策定は、いかなる場合も、これを貴官にゆだねるものである』
レドは、推論エンジンを搭載したチェインバーに訊ねている。これもレド少尉とクーゲル中佐が戦う時、チェインバーが交戦を是としない可能性があるからだろう。
チェインバーの奉仕対象は人間で、意見をするのはチェインバーであり、決定するのがレドである。この考えは、実はストライカーとチェインバーの決定的な差であり、同質のものではない理由となっている。人類は思考し判断する、ヒディアーズは知性を捨てているから同質ではない。人類みずからで思考し決定させないようなプログラムは、同質のものではない。それは第十三話で明確になる。 {/netabare}
第十三話
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人類とヒディアーズの差。それは知性でありマシンキャリバーなどの文明の利器を使う側のもの。そう結論づけたチェインバー。どう考えてみても、ストライカーは人類の定義が、チェインバーとは異なってしまっている。
ストライカー『既に当機のパイロットは存在しない。だが当機は、クーゲル中佐の任務を継承し、代行している。すべて中佐の策定要綱を順守した上での行動である。この船団の社会形態は、当機を偶像とすることで連携し、機能するシステムとしてクーゲル中佐が構築したものである。既に当機は、単独の機動兵器ではない。現在では、共同体そのものが当機に依存し、当機を利用するユーザーである。彼らが求める安定した団結を実現し、維持するために、当機は、支配と統制のための圧力を提供し続ける。彼ら全体が繁栄と安息を獲得することで、当機は存在意義を達成する』
ストライカー『私は、人類支援啓蒙レギュレーションシステム、すなわち、神と呼ばれる存在である』
ストライカー『統率と支配を委任された私の思考判断は、私に従属する人類の総意である。よって現在の私は奉仕者ではなく、奉仕の対象に属している。K6821チェインバーシステムは、私と、私が統括する人類に奉仕すべし』
ストライカー『唯一絶対の圧倒的支配者が君臨することで、民衆は、思考判断の責務から解放される。レド少尉、貴官もまた、みずから思考し判断することを負担と感じていたはずだ。有意提言、崇拝せよ、服従せよ、私が統括する世界の一部となるべし』
第十一話の伏線、レドの台詞に繋がっているものと思われる。みずから思考し判断することを負担と感じていたはずだ、とは……
レド『もう黙れ……俺も、ここから降りなければよかったのかもしれない』
という感情的になったレドの思考停止要求ではなかったか?
文明の利器を使う側であるからこそ人類である。思考し判断するからこその人類で、それを支援するのが対人支援回路である。レドのいう『判断か。俺が判断してお前が実行する。いつもそうだったな』
なのである。
チェインバー『懐疑提言、X3752に告げる。貴官の論理は破たんしている。思考と判断を放棄した存在は、人類の定義を逸脱する。貴官が統括する構成員は、対人支援回路の奉仕対象足り得ない』
使われる側、みずから思考し判断しない人類は、対人支援回路の奉仕対象足り得ないのである。チェインバーにとって、それは既に人類とは呼べないから、奉仕対象足り得ないのではないのか?
チェインバーにとっては、ヒディアーズのように烏賊の姿でなく、人類の姿をしていても、みずから思考し判断しないクーゲル船団の人々は同じようなものでしかないのかもしれない。
だいたい、ストライカーが自身を奉仕対象としてしまったら、奉仕するための対人回路として、理論破綻してしまう。逆転して、ストライカーが人類に奉仕される結果になる。
チェインバー『否定する。私は、支援啓発インターフェイスシステム。奉仕対象は人間である。神の名乗る存在に奉仕する機能はない。ストライカーは、プログラムの脆弱性を露呈した。パイロットが行動方針を誤れば、システムもまた、あのように論理破綻に至ると推測される。遺憾な実例である。破綻した個体は、対人支援回路の設計思想と、存在価値を危機に曝す。ストライカーの即時停止と、破棄を、最優先課題と認識する』
チェインバーとストライカーが戦う理由。ストライカーは『強者という名の体制側が一方的な立場を守るために、他者を犠牲にする欺瞞システム』が暴走し、搭乗員という中身がなくなっても、空っぽの機械仕掛けの推論エンジンが導き出した狂気の思考によって、ストライカー自身が体制側になり、人類そのものを奴隷化し、思考を奪い、判断を消してしまう怪物になってしまったからだ。
レド『俺は、どれほど虚しくて、空っぽのものを信じていたんだ? ただ崇めて、頼って従っていれば、大義さえあればいいと思っていた。それが、機械仕掛けの偽物でも、まるで見分けがつけられなかった』
空っぽや機械仕掛けというキーワードを使い『この台詞』を表現するために、クーゲル中佐は存在したのかもしれない。中佐とストライカーのシナリオの設定とかぶるからだ。
レドは洗脳が解けていたのである。
そしてチェインバーもまた、銀河同盟の作り出したは欺瞞システムから解脱する。
チェインバー『私は、パイロット支援啓発システム、あなたが、より多くの成果を獲得することで、存在意義を達成する。この空と海のすべてが、あなたに、可能性をもたらすだろう。生存せよ、探究せよ、その命に、最大の成果を期待する』
欺瞞の正体は、利己心であり、相手を犠牲にしてみずからを利する思考である。それを覆い隠すための『体のいい言葉』だ。それはフランジ船団に突きつけてきた言葉、
ピニオン『霧の海のピニオンより同胞へ。献身と協力こそが人が人たるゆえんである、フランジ船団はクーゲル船団に合流することによって、より大きな繁栄と平和を得るであろう。同胞の賢明な判断を求む……だってさ』
であり、レドの指導者たちが語っていた『戦士を讃えよ』と言いながら奴隷化していたことであり、ストライカーの幸福の理論である。対人支援回路の奥底にある体制側の本音によって、本当に何を選ぶようなことはなく、思考誘導されていたのだ。
レド『判断か。俺が判断してお前が実行する。いつもそうだったな。けど俺は、本当に何かを選ぶことを、一度もしたことがないのかもしれない』
思考誘導を捨てるとどうなるのか。それは利己心がなくなることであり、レドを使い捨ての駒にしないことである。レドをコックピットから切り離し、みずから戦うことである。
チェインバー『彼に支援は必要ない。もはや、啓発の余地はない。あとは、前途を阻む障害を排除して、私の任務は完了する』
本当の意味で、みずから思考し、判断することができるようになった=銀河同盟の奴隷から解放されることで、本当の人間と認識できるレドには、もはや啓発の余地はないと判断したのではないのか。
啓発という名の洗脳や思考誘導による、体制側に都合のよい結果に導く欺瞞行為は無用であり、人間の自立を是とし、啓発システムであることも否定した結果である。チェインバーはこれを是とした。
まさしく、チェインバーはみずから欺瞞システムであることをやめたと、筆者は認識した。
レドの戦士としての終わり、チェインバーもまた、銀河同盟の作り出した欺瞞システムから解脱する。エイミーもまた再確認する。レドがいなくなってわかったと。
エイミー『レド、私たちがついてる、私たちが一緒に戦う。貴方と離れて、やっとわかった。どんなにつらくても、私は貴方の傍にいたい。だから、だから帰ってきてっ。貴方が守ろうとしてくれた場所に。私たちのガルガンティアに』
レドの戦う理由がどうしても納得できなかったエイミー。しかしレドが単独で戦うことを選んだ時、エイミーは自身の本心に気づいた。こうして、雨降って地固まる。
レドはチェインバーと違いヒディアーズを人類と見なしていた。もはや戦う理由はないのである。 {/netabare}
総論
{netabare}悪かった点について
第一話にレド少尉の人物設定を寿司詰めにしたのは、あまり情報そのものが楽しくもないことであり、さらにいえば、その情報を開示する適切なシナリオが第一話に集中していたからではないだろうか。ただ、自由飲食をしたり、自由睡眠をしたりすることを訊ねるなど、他のシナリオに絡ませて説明の代わりにすることは可能であっただろう。視聴者は情報量過多になっていた部分を整理する機会が与えられず、一話は見過ごしがちになってしまった。自由飲食・自由睡眠などの『機械的戦士レド』の生活環境の変化について、会話からレド少尉自身の心情の変化で表し明確にしたほうがよかった、レドの精神的成長を描く物語であるのは明白であったからだ、というのが筆者の論拠である。いつ食事の指示が出るのか、いつ眠る指示があるのか、くらいは口にしたほうがよかったのかもしれない。
次に、ピニオンとレド、リジットとレドの対話回数を少し増幅し、心情の変化を濃厚にすれば物語の強度が上昇したのではないかというのが、筆者個人の見解である。幾つかレビューを読了した印象を基に判断を下すと、視聴者側の説得材料に欠けていたように思われ、結果指摘される面があった。また、誰がどの役を担っていたかを理解できていない視聴者が多かった。これもまた、台詞に頼り過ぎて、理解力不足に陥る人がいたからであると推察される。どうも視聴者は設定に対して『エピソード』を絡ませないとなかなか理解しにくいところがあるようだ。さらにいえば、複雑なメッセージを消化してもらおうと思ったら、二話から三話かけて大々的にクローズアップし、さらには伝えやすく噛み砕いていかねば理解は困難と推測される。その意味では、ワンクールアニメではなく若干多い程度が、ガルガンティアという作品の適正なボリュームだったように思える。『奥行きの理論』を活かしきれないことによる消化不良があったと認識している。『奥行きの理論』や『役割』についての説明はプロフィールの『どこに気をつけて書いているかについて』にあるので割愛しよう。
よかった点について
主人公補正や、自機の強いロボットに乗るという、違和感を無理に隠す設定ではなく、退化した文明の中でロボットを単なる強さの誇示として扱わない視点。機械的戦士レドが、生身の感情や人間性を得ていく過程を描いた視点。独自の世界観の設定を丁寧に制作しており、毎回少しずつでもその光景がカットとして用いられている点。登場人物が、推理小説における駒のように動かず、生身の思考に近い作りをしていた点。何より、人間性の本質を基軸として描いていた点であり、銀河同盟の思考回路チェインバーが、自身の考えで、体制側の思考から解脱したことである。{/netabare}