plm さんの感想・評価
4.7
物語 : 5.0
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
ハイセンス!ガッチャ!
私的分類【ネット世代のメタファー的社会派ヒーローモノ、闘争、情熱、知識や思考】
(2話時点での視聴感と紹介 全話視聴後感想は↓)
ガッチャマンが放送されていたのは1970~80年代で実に33年ぶりらしく、現代っ子は知る由もなかった。
とはいえ内容を全く知らなくとも名前くらいは聞いたことがあるので、新規は何となく阻まれるわ、
旧作ファンでも別物だろうし、宣伝もあまりないようで、マイナーアニメな模様。
この際ガッチャマンは置いといて、新規で簡単に紹介するなら『女子高生が主人公のヒーローモノ』かな。
ところでこの作品の魅力は何か!でいわせてもらうとずばり……
*ハイセンスなキャラクター!*
主人公のタイプは非常に新しく、内容がどうだという前にキャラクターが素晴らしいと思った!
そう思わせる要因は会話やセリフのセンスにあると思う。2話まで観ると分かると思うけれど、
一見奔放なアホの子に見える主人公はじめちゃんは、実は思慮深い面があり天才肌気質だったりする。
清音との掛け合いシーンは特に、頭の回転が早い子って感じでこれ書いたやつも凄いなと感心するほど。
他にも「お腹すいたなぁ」は意味がわかると、おお、と驚嘆する台詞回し。
常人ならざる発想を持っている、という見せ方も上手くキャラクター性に比重を置いているのが好感触。
そして……
*ハイセンスなデザイン!*
初見で独特と思わせる、特徴的なキャラデザ・影の置き方や色使いが目新しい。
服装も多彩で、背景や小物も充実しており一枚絵としてみていても飽きないのではないかという芸術性。
変身後は3Dがちょっと浮いてしまうせいか、タイバニを思い出す感じだがデザインは凄い凝ってる。
総じて、キャラクターを追っかけてるだけでハイスピードな感覚で観れるテンポの良さを持つアニメ。
2話までではじめちゃんの魅力にずぶずぶはまってしまった。キャラの良さこんなに感じたのは久しい!
■最終話視聴後 "作品が描いていたモノ"について考える
ヒーローモノといえば、わかりやすい悪がいて そいつをぶっ飛ばすことが正義である
勧善懲悪というスタイルが王道で、またイメージしやすいものだと思う。
しかし本作の場合は「現代における悪とは」「現代のヒーロー像とは何か?」を言及している。
元祖ガッチャマンに存在する敵組織の名称が"ギャラクター"というものだが、
これが今作では、多くの人が頼りにしているギャラックスというSNSの利用者を示す言葉になっている。
つまり、守るべき一般大衆が敵に含まれていたり、さらにはガッチャマンである主人公までもが
このソーシャル・ネットワーキング・サービスを積極的に利用している参加者の一人なのである。
ガッチャマンなのにギャラクターである、これでは立場上の善と悪は意味を成さない。
■では善と悪がどのように描かれているだろうか
ベルク・カッツェの口調から暗示されるように、"ネット上に溢れる悪意"が敵として描かれている。
これは現代社会において、ネットという切り取られた人の考えが散乱する場ができたことで生じたもの、
人の心から生み出されたものである。それが誰かを攻撃する"クラウズ(一般大衆)"となる。
故にカッツェは引き金にすぎない。滅びの根本理由は人の心にあるのだから。
じゃあ善はどこにあるのだろうか? これがこの作品の難しいところでもあり、
きっと観た人によって受け取り方や解釈が変化しうるであろうテーマだろう。
善もまた、人の心の中にあるのではないか。それがもう一つの"クラウズ"の可能性であると思う。
Twitterで見かけたつぶやきの中にこんなものがあった。
「誰かがカッツェを倒せばいいんじゃない、誰もがカッツェに負けない世界になればいい。
それが答えだ、力強い答えだ。」 と、これがなかなか情熱的で腑に落ちる解釈だと思う。
さあ、でも一方ではじめちゃんが出した回答とはいったい何なのか。その目で確かめてほしい。
この答えが"ヒーロー"と"クラウズ(一般大衆)"を決定的に分ける部分であり、
それこそがガッチャマン クラウズにおけるヒーロー像であったのかもしれない。
一歩二歩先を見据えた現代社会をテーマにした内容で、それぞれの場面を考察するのも面白い、
そんな仕上がりになっている意欲的な作品であると思う。
クラウズは実体化して、物理的な損害を与えるために現実とは違うフィクションでしかないが、
実際に心のダメージは見えないけれども、それが具現化したら同じことが起きているとも限らない。
◆新説・はじめちゃんのNOTE能力がチートで力技でカッツェねじ伏せた疑惑
{netabare} WikiによるとメッシーちゃんことMESSはガッチャマンの敵で人を失踪させる謎の怪物なのだが、
あれとコミュニケーションとれるようになったのは単に会話で和解したのではなく、
はじめのNOTEのデザイナー能力によって再構成されたためであるらしい。
――つまり例のシーンはこういうことである
カッツェさーんでてきてくださいよー(でてきたらあなたを再構成するっすよー)
→デートしましょうよー(少しでも姿現したらそこで終わりっす)
→傷心のカッツェさんほいほいでていってまう→カッツェさん「これは罠だ!ぼくを陥れるための……
こうだったとすると、そんな素振りは顔にも口にも出さないはじめちゃん駆け引きこわすぎわろた。 {/netabare}
■余談、ポイントによる内発性・行動力を高めるソーシャルシステム
これは素晴らしい発想だと思う。ゲーム感覚で人助けをするというのは気味の悪いところもあるが、
このポイントとか、ランキングとかいうシステムは非常に人の行動意識を揺さぶる。
現代のソーシャルゲームなんかはもろにこのシステムで人を熱中させているのではなかろうか。
そのエネルギーを無為にゲームに消化させていくのではなく、"人助けに転化できる社会"というのは
効果的で先進的な発想だと思う。ぜひ何かに活かせないだろうか……。
こういった近未来的枠組み、その利点や問題点を想定した世界設定もこの作品の大きな見所だった。
ちなみにO.Dの名前の由来はOver Doing、やりすぎィ!ってことらしい。