くろゆき* さんの感想・評価
4.8
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 4.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
「わたしのパンは…○○だったんですねーっ!」「俺は大好きだーっ!」
前期CLANNADと対になる後期です。
正直いい歳してアニメでボロ泣きした作品はこのAFTER STORY以外にありません。
前半はややだれた感じですが、寮長と猫のエピソードなど感動できるものが随所にあります。そして、本当のクライマックスは中盤~後半にあります。
渚との結婚と娘である汐の誕生、そして奇しくも嫌っていた父親と似た運命を辿ることによって初めて理解した自分への父親の愛情と家族の和解。この怒涛の展開を私は涙なくして見ることができませんでした。
最後の21話と22話の繋がりがちょっと分かりにくいので、自分なりに考えたことも載せてみます。
単純に解釈すると、渚が生きていたというのはもう一つのあったかもしれない可能性である。或いは渚が死んだというのは只の夢であったということになります。しかし、それでは本編中に出てきた緑の玉の説明ができません。
恐らく、緑の玉は主人公がこの町に住む住人とかかわり、幸せにすることによって放たれる幸せの欠片なのではないかと思います。他者を幸せにすることによって放たれた緑の玉は町という器(平衡世界)に溜っていった。
玉が緑なのは、幼い渚が死にかかったときに父の秋生が娘の無事を町に願い、それによって渚が町とリンクする形で命を繋げたことと関係があります。渚とその娘汐とリンクした町という存在が、開発によって奪われる生命力の緑を補填する意味合いもあるかもしれません。渚や汐が冬に具合が悪くなるのは恐らく緑が町から失われてしまうからです。
つまり、あの汐が弱ってしまうまでの過程は夢でもなんでもなく、実際に主人公の身に起こったことであるが、他者を多く幸せにしたことによって、その幸せパワーが渚と町とのリンクを切り(或いは幸せパワーによって緑が減ることによる渚や汐の生命力減少が軽減された)あふれた幸せが主人公を過去に飛ばして、もう一度渚が生き延びた状態で人生をやり直させたのではないかと思います。
他人をいっぱい幸せにした行為が最後の最後で悲しみと苦しみの中にいる主人公を奇跡で救ったわけですね。
そういう意味で、この作品には「家族」や「人生」というテーマが割り当てられることが多いですが、私には「アガペー(他者に幸せを与える愛)」こそ自分が幸せになれる究極の愛の形である、ということが真のテーマに思えます。