メルヘン◆エッヘン さんの感想・評価
4.8
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
日本アニメを別次元に確実に押し上げた、90年代の金字塔。他の追従を許さない存在。(レビューのレビュー)
順序として、意図的に逆に書いてみる。
■自分としては、これがレビューというものとして書いてみたい。(と思うだけ)
もしかすると、1990年代、映画以外でみたTVアニメはエヴァンゲリオンだけのような気がする。流行っているのはしっていた。インターネット以前のネットともだちが騒いでいたからだ。
観たらと薦められたけど、「アニメなんてみてるほど暇じゃないよ」と答えていた。アスカ・ラングレーの壁紙を設定してるともだちに、「ばっかじゃないの」っていったことがあるのも事実だ。なにやら資料?まで見せられた。ふーん。
その彼らと秋葉原にいって、そういう店につきあわされるのもとても苦痛だった。これはいまでもそうなのだけれども。
運良く、たしかWoWoWだったろうか、連続放送があった。それを全録画して一気にみてみた。止めることができなかったのだ。つまり、作品としてはとてもおもしろかった。流行に遅れた人間がのっただけだったのだけど。
そういうタイプの人間が書き散らかしてみる。
■幼児化作品群からの訣別を示した画期的オリジナリティ
オマージュとしては、他者の評価は知らないが、エヴァンゲリオンの造形は、原作デビルマンのデザインコードそのものだ。(正直とてもかっこいいし、すばらしい)。
文学ベースでアメリカSFシーンから遅れている日本、SFが前衛的な文学や表現として議論されていたのは、70年代だ。日本では中途半端に終わる。その中で、文学として死んでいく。
そして、日本では優秀なアニメでSFがよみがえった。その代表例がエヴァゲリオン。これを輩出できる日本という国で、幼児化したSF風(すこしふしぎ系)作品がでてくる現状はとても残念だとも思っている/いた。わたしにとってそれは〝痛い〟のだ。だからといって、これは期待しすぎというものかもしれない。ハリウッドSFはエンタメ要素以外は死んでいる。良い意味でも悪い意味でも(大好きな)スターウォーズが殺したのだから。
この作品にはパクリやパロディでなく、オマージュが出てくる。最終話あたりにハーラン・エリスンの著名なタイトルがサブタイトルになっていたのは今も覚えている。教えてもらわなくても観るだけでわかるし、いらついた。しかし実際のところえらそーにあえていえば、エリスンもすでにおわコンであって、尖端はすでに違ったのである。日本への邦訳が遅かっただけ。わたしは原書で読んだが、タイムラグには驚いた。
当時は、エヴァをばかにした。監督、わかってのんか!? いまもさほど印象は変わっていない。この著名監督が表現したかったのは何だろう。(ここはそのうち記さねばなるまい)
■日本のアニメを一段、別次元に押し上げた作品
中間の中間的に総括してみる。
日本のアニメを別次元に押し上げた作品というのがいくつかあると考えている。ともだちとは意見が合わないこともある。特に合わないのは過剰なガンダムファンであることが多いのだけれども。正直、辟易する。意見の違いがあるのが人間社会の当たり前。だから、世界は面白さに満ちているのに。
ネタバレでありません。特に未整理です{netabare}
さて、別次元に押し上げた節目のなる作品の話だった。
ひとつは、好き嫌いは別として、宇宙戦艦ヤマト。ほぼ70年代で、長期放映でひとつのテーマを貫いた名作だ。
ついで、ガンダム。TVシリーズ観ていなかったが映画だけはリアルにおいかけた。けんかを売るつもりはないが、はじめて観たとき、ハインラインなど邦訳されているSFのパクリだなと思った。それでも優れた作品だった。心理描写が画期的だった。パクリもと(インスピレベル)より優れている。
その後、商業的な資本参入が期待された。結果が生んだのが、マクロスの誕生である。特に、映画、愛、覚えていますか。アニメーター「以外」のクレジットに驚喜した。※らむちゃん(ビューティフルドリーマー)のことを忘れているわけではない。「大好き」と冷静に「商業参入」との関連などを考えることは別だ。子供じゃないんだよ。{/netabare}
そして、エヴァンゲリオンは、ここ40年の日本のアニメ史の中で、これまでの成果・位置づけをさらに高みに押し上げる
作品として生まれた。酷評していると誤解されているだろうが、これは驚愕の作品だった。終話あたりを除外するか、かんがえ直して、5時間ぐらいにするといいかも。それがその後の映画への取り組みだったのかもしれなかったし、現在の序破Qなのかもしれない。(ついでにいうと、アニコレ観ていると現在進行形のエヴァンゲリオンの評価がいまいち低い。これは常々不思議なのだけれども、人は多様だ)
21世紀以降は自分の中では評価できない。歴史になっているとは言い難いからだ。
(以上、前触れのみ草稿、中間総括)改稿しつつ、つづく。いつのことかなぁ。(^_^;)
ここまで読んでいただいて、ほんとにありがとうございます。あえていえば、はじめは最低とも思った、同時に最高の作品でもあった、とも。希有で他の追従を許さないこともたしか。歴史に名をとどめるにふさわしい作品です。
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いまさらですが入れ込みの強い方は反応しない方がいいと思う。やめてください。「自分は、わたしはという」書き方は省略されています。また、中間考察です。他者の意見が違うことは理解したいです。それが理解できるおとな向けに書かれています。
■遺言――最低の作品です。最高の作品です。アートです。
子供じみた作品です。優れた設定があるわけではありません。紋切り型です。ありきたりの作品設定です。父と子が対立します。すべてがつまらないのに、作品全体は絶品なのです。あー、なんたる作品だ。すばらしい。