みかみ(みみかき) さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:途中で断念した
これも厨二病の一つのカタチ・・・
アニヲタのみなさまには、特におすすめません。
日本映画好きな人とかにややオススメです。ガキンチョの描写とかなかなかにいいですよ。
あとは、どんな人にオススメなんでしょうね…よくわかりません。
はい。
で。
それはそれとして、だ。
原作はほぼ読んでおりますが、なんつーか、これは、アレですね。
わたしにとっては自らの厨二黒歴史を苦笑しながら観る話です。
以下、原作も既読の人向けのグダグダです。
■承認欲求モノの一種として
厨二病の発症のさせ方というのは、人によって千差万別なわけです。
ある人は、ヤンキーになって、盗んだバイクで走り出し、
ある人は、黒魔術の勉強をして、呪文を唱えてみたり
ある人は、世界の危機を助けるのは俺だ…!と言ってみたり。
それが、ある種の人々の場合、は文学少年/文学少女になるということによって、厨二病が発病するわけです。
どこが厨二かというと、
「クックック、貴様らにはボードレールなどわからなかろう…!この愚民どもめ…!」と、まあ、要するにそんな感じですわ。春日くんのように、「難しいものを読んでいるオレサマはとっても偉い!」わけです。
これは、言うまでもなく「クックック、貴様らには魔女の眷属である私の魔法がわかるまい…!この愚民どもめ…!!」というのと、ある意味では一緒です。いや、ほんと。「俺Tueeeeeeee!」感の一種であることには間違いゴザイマセン。
わたしにとっては、この作品を観ると、10代の頃に、背伸びしてわけのわからん文学作品読んだりして、何かを気取っていたカッコ恥ずかしい記憶というのが、まざまざと思い返される……。もうね、ほんとに、そういう作品ですわ。厨二ワッホイですわ。
そんなわけで、
常に苦笑しながら、読ませていただいております。漫画だと、巻末に作者の恥ずかしい高校時代の話なんかもセットでついてきていて、ヤバイ、超シンクロ。「お前は…俺か!」状態でしたよ。
■話し相手がホント、居ないんだよね…
もちろん、こうした子にかぎらず、10代の子の一人ぼっち感というのは、大なり小なり、みなさん、それなりにあるのだと思ってはいます。
ただ、文学系厨二って、話したいことを話そうと思った時に、周りに話が通じる人がいないんだよね。ほんと。どうしよっていうぐらい。
ほんとね、話通じないの。※1
なので、いくら、「俺Tueeeeeee!」感を出そうにも、なんか、出せないんだよね。空振る。超空振る。いや、まあ、あたりまえっちゃ、あたりまえなんだけど、
文化祭とかで、周囲に求められていない、奇抜なこととかをやってみたりして…(というか、やりました…作者の押見さんもやったらしいけども)…で…周囲から軽くヒかれて…「おもしろい子だね…(^^)/」みたいな生暖かい反応をいただいきつつ、ひっそりとしたボッチ感とともに生きていく…それが文学系厨二っ子の生きる道なわけです。
「あ、ゴメン…」
みたいな感じで、ひっそりしてました。
文学少年のボッチ感というのは、話が通じないこと。あと、自分の世界観が独立して存在する、というその二つ。この文学少年の孤独感ってのはそんなに特殊なもんではなく、けっこう凡庸な、どこにでもあるもんだと思うんだよね。
だから、本作の主人公である春日くんというのは、わかりやすい存在っつーか、まあカワイらしい男の子ですよ(ってか、文学少年なんだったら、もうちょっと捻くれてろよ……!と思うぐらい)。だからこそ、心情がわかりやすい、伝えやすい「主人公」というキャラとして存在しているわけですし。
そして、この孤独感を特殊な感じでごにょごにょっと表現してやると本作みたいな感じになると思います。ただ、原作のほうがそこらへんはスコっと、理解しやすいのだけど、アニメのほうがちょっと違った印象を与える作品になってますね。
■なぜに、突き抜けてしまうかについての理解など
ただ、一般的な文学系厨二の子と、本作主人公ら(仲村・春日)との違いは、そのボッチ感が特殊にエスカレートして突き抜けていくとこでありましょう。
実際のところ、本作のようなエスカレートした厨二症状っぷりというのは、実際に事件になったりするのですが、それはやはりレアキャラです。
普通の文学系厨二っ子はここまでいかない。
手前の段階で止まる。
妄想を妄想として重ねるだけでだいたい満足してしまって、世間一般的には、とってもイイ子ちゃんで終わることが多いのです。だいたいの子は。
しかし、孤独感があるレベルから突き抜けてしまうと、いろいろとコじらすわけですよね。
完全なボッチ感だけだと、だいたいの場合はチキンになって終了するので、少なくとも学生時代にはあまり突き抜けません。かと言って、話の通じる友達とかが居てしまって、文芸部とかに入ってキャッキャウフフできてしまうと、それはそれで、そんなに気持ちが切迫することもないので、ほんわりと過ごせてしまう。
じゃあ、どういう場合に突き抜けるかといえば、やはり、本作で描かれるような「ボッチ感をもった少数の仲間」という構造は、かなりクる。同志0人でも、同志20人でも士気があがらないけど、同志1人とかってのは、やっぱ、こう、クる。かなり。
あと、まー、もう、わたしは、すっぱりと忘れてしまったことだけれども、「学校」というなかなか面倒くさい空間とか。
それと、作中では春日くんが突き抜ける瞬間が「自分でおもわず一線を超えてしまった瞬間」というものに左右されているけれども、ぶっちゃけ、これ、非常に詩的に描くこともできるんだけれども、これを詩的な思い出、として本人のなかで特権化することによって、「突き抜けてしまった自分」という自己像を自分で作っちゃうんだよね。別に、ただ単に春日くんは暴発的に毎回一線の向こう側を渡っているだけなので、「おっとー、暴発しちゃったわー。まずいまずい」ぐらい感覚で、自己像を再修正できれば、こういうことにはならないんだけどね。まあ、中学生の、それも文学少年には、そういうのって難しいよね。
■孤独感とどう付き合うか
ただ、この手の孤独感、そして孤独であるという自己認識と、どうつきあっていくかっていうのは難しいんだよね。
「俺Tueeee感」について、ちょっと茶化して書いてしまったけれども、孤独感とつきあっていく上で、まあ、行き過ぎた俺Tueee感はアホっぽいけれども、自己承認とか、自己肯定感とかってのは、大事なことで。自分自身について、ある程度落ち着いた自信があるようになれば、多少ボッチ感があったところで、どうでもいいんだよね。まったく問題なく対処可能。
ただ、中高生の場合、自分自身に自信をもつための手がかりってすごく少ないし、社会的に受け入れられるための回路みたいなところも、ようわからん。あらぶる感情をどう表現すればいいのかが、わからない時代というのが、まさしく中高生なわけで。
仲村さんとかは、結局、自己肯定感がある意味では、ものすごくあるのだけれども、ある意味では非常にそこがこじれてしまっているタイプでしょー。こういう自己肯定感こじれまくりんぐ状態というのは、まぁ、付き合いにくいパーソナリティを形成させていくのですが、こういう人はいる。ただ、ここまで周到に、相性のいい陥れるべき「同志」(春日くん)とマッチングできるっていうのは、稀有なことだとは思う。
まあ、仲村さんは、頭もいいし、度胸もあるよね。ふつう、決断力か、周到さがきっちりとある人って、ここまで自己肯定感をこじらせずに、生きていけるからさ、ヤッカイなとこまで行かないのだよね。もうちょっと、サラッと生きてる。まあ、仲村さんぐらい、頭もまわって、決断力もあるということだと、そりゃまあ、こじらせたら大変な事態に陥るでしょうねぇ、と。そういう気もします。
たぶん、大人になったら、仲村さん、そんじょそこらの人よりよっぽど常識人になると思うけどね。自分でいろいろ考えちゃうタイプの人は、育ったら、いい感じなりますよ。6割ぐらいの確率で。
3割ぐらいの確率で、けっこうメンタルにガチでやられちゃって、鬱々とした人生を送ることもあるけれども、
あとは、間をとって、美大とか行ってしまって、延々とこじらせたまんま生きることも可能かもしれない。
■仲村さんのような人は実在するのか?
なお、仲村さんみたいな人、居るか居ないかだけでいえば居る。レアだけどいますよ。
実際に、春日くんと、あそこまでいきついちゃうっていうのはホントにレアケースだけれども、潜在的な仲村さん的メンタリティをもった人ぐらいだったら、いる。
■全体的に
でも、まあ、全体的に、登場人物が、みんなアホの子で、かわいいよね。この話。原作読んだ時より、アニメのほうが、そこらへんの演出がコミカルで、楽しかったです。ってか、原作のほうはどちらかというと、主人公の春日くんのナルシズムがもう少し前面に出ているのに対して、アニメのほうは春日くんのナルシズムがもう少し抑えられて、その代わりにアホっぽさが前面に出てきているのかなぁ、という印象を抱きました。
原作は仲村さんも美少女だし、全体的に中学生の自己陶酔空間がいかにして異様なかたちで拡大していくか、というあたりが、一番わかりやすく出るのだけれども、アニメのほうは少し、滑稽な印象を与えますよね。こちらのほうがある意味では、広い層に向けて届く表現…なのかもしれません。(っつても、絵柄は、むしろその逆をいっているわけですが。)
あと、佐伯さんが、承認欲求たりてないっていう描写もすごくよかったというか、そこが、なんというか、さすがにわかってらっしゃるという感じでよかったです。
やっぱ、佐伯さんみたいなポジションの子があんな感じっていうのが、まー、また、そう!そうなんだよね…!まじで!
原作のほうが、高校編になっており、今後の展開をwktkしながら待っております。
もう、すみません…クズで……
※1 まあ、でも、「文学」の権威性というか、教養主義的な勢いみたいなのがあった、1960年~70年代ぐらいはそうでもなかったようですが………