ヒロトシ さんの感想・評価
4.2
物語 : 3.0
作画 : 4.0
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
総評
どうやらこれで物語としては一区切りらしいので(13話は番外編らしい)総評なんぞを。
八幡は自己否定の塊なんだな、と文化祭のエピソードを見終えて、確信を深めた。
自ら率先して、周囲と距離を置き、自分を認めてくれない社会に諦めにも似た感情で、冷めた目で見つめて、反社会的な自分ちょっと格好いいと酔っている人間。しかし社会からの目を全く気にしないという所までは結局出来なくて、社会批判や自己肯定で自分を防御している。
自己否定を有するものは、無謀な行動を時に移してしまう。八幡は自分はどうせ生きていても周囲に何の影響も与えないからと心の底で無意識に思っているので、後のリスクも考えず、簡単に自分を犠牲にしようとする。{netabare}犬が車に轢かれそうになった所を身を呈して助けるシーンもそうだし、文化祭のラストも、八幡が全面的に泥を被る必要は正直なかった。大体これまでの経緯からしても、相模は八幡にとって助けるに足る存在でもなかったはずだ。{/netabare}
後に降りかかる災いを計算できない程、八幡は頭が悪いわけでも、突っ走る性格でもない、全て考慮の上で、彼はリスクを犯す行動に走る。『俺なんか必要とされてない、居場所は無い』という気持ちがまずあって、それに加えて『必要とされたい、居場所が欲しい』という気持ちもあり、ためらいもなく実行に移してしまうのだろう。
彼にとって幸運なのが、彼の行動の真意を見抜いて、賛同又は叱咤激励してくれる人が近くに居るという事なのだが、彼はその大切さをまだ認識できていない・・・いや、とっくに認識していて、自分自身の支えにしているのかもしれないが、やはり自分を肯定する事がまだ怖いのかもしれない。
そこまで理解もして、肯定もしてあげているというのは、{netabare}現状、平塚先生だけというのは{/netabare}八幡も含めて、皆がまだ自分を中心に考える学生だからかもしれない。まあ社会人になったからって、分かるってわけでは必ずしも無いし、平塚先生は人間が出来ているという所もあるだろうけど、人の気持ちを推し量るってのは、それ相応の人生経験と先天的な才能が要求される。比企谷八幡を悪く言う人間の気持ちも分からなくも無い。ましてや私達は客観的な立場から見てるから、八幡の行動に理解を示せるわけで、自分が当事者になったら、同じように出来るだろうか?というのはやっぱりある。
それを踏まえて、この作品の欠点として、比企谷八幡に共感しすぎるように意図的に構成されているので、そこが面白さでもあるのだが(自分も前のレビューでそこがポイントだ!と書いている)が、逆に八幡以外の人間の心理が些か見えにくい。表面的な部分しか視聴者に提示されていないのが惜しいと思ってしまった。原作ではその辺りフォローしているのかもしれないが、アニメでは枠があるので、難しい要求だが。
見返す機会があれば、八幡以外の人間の気持ちを想像して、鑑賞すると、新たな発見があるかもしれない。非常に良く出来た作品だが、ことストーリーの評価は手放しで褒めるべきか、若干疑問は感じるな、と。(2013.06.26)
個人的に一番楽しみにしているアニメが『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』に固まりつつある。それくらい今季の中では面白い作品に仕上がっている。
ネガティブシンキングでありながらも、同時に人間味を感じさせる魅力は中々新鮮に映る。(それはしばしば人間臭さと表現される)視聴者としては、捻くれ坊主の行動・思考に苦笑しながらも主人公を取り巻く数少ない味方同様、彼を暖かく見守りたくなるなってしまう。ある時はかつての自分と重ねあわせながら、そしてある時はそういう考え方もあるのかと感心しながら。一種のダークヒーローに通ずる面白さを兼ね備えているのかもしれない、そういう風に捉えるには些か主人公がヘタレすぎだが。
ぼっちであるがゆえに他人との関係を円滑にする行為に無駄なリソースを割く事がなく、自分が納得いくまで物事に対し、思考実験を重ねられる。元々洞察力が高いのもあるだろうが、問題に対する本質の掴み方やそれを解決する手腕を見ると、性格に問題を抱えるものの、主人公は非常に能力の高い人間として作中では描かれている。本人もその事に関しては自覚している節もあり、その気になれば、順調な社会生活を送れないわけでもないのだが、過去の手痛い人間関係による後発的な人格形成によって、世間との絡みを自ら拒む事で、自己防衛を日常的に行ってきた、それが主人公『比企谷八幡』という人物である。
自身の経験から、世界における自分の立ち位置を理解し、与えられた役割を愚直に遂行する、ある意味最も真面目な人間として描かれているが、彼がその役割に心から満足していないのは自明の理だ。八幡は自身の振る舞いに対してよく特定の誰に対して言う訳でもなく『言い訳』をする。この『言い訳』が視聴者に対しての説明となっているし、同時に八幡自身が本来どういう役割に居たいのかを暗に示している描写ともなっている。
アザレアの花言葉は『あなたに愛される幸せ、愛の楽しみ、恋の喜び』を指す。これは八幡だけではなく、雪ノ下や由比ヶ浜に対しても適用される。雪ノ下は八幡とは違い、持てる者としての側面が強いが、根本的には八幡と一緒で、それ故に他人に変な期待をせず、これでいいんだと偽り続けている女子高生に過ぎない。それ故に八幡と雪ノ下はあれはあれで上手く付き合えているのではないかとも感じる。そんな2人は期待から始まって、確信まで気持ちを抱かせてくれる、そんな人間に愛されたいと心の底で願っているのかもしれない。一方由比ヶ浜はちょっと違う。彼女の場合、自己を強く保てず、和を優先し、空気に流されてしまう、だからこそ掛け値なしに自分を見てくれる人間を何処かで強く求めているのだろう。
奉仕部3人のアザレアは一体何処に咲きほこっているのだろうか。アニメではその答えを最後まで明確に描きはしないだろう
だが、アザレアは確かに咲いている。後は誰が咲いている場所まで辿りついてくれるかを待つばかりだ。その辺りをきちんと視聴者に提示してくれるあろうことを期待して最終回まできちんと見届けたい。それだけの価値と面白さがこの作品にはある事を今までの話で証明してくれたのだから。(2013.05.28)