「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(アニメ映画)」

総合得点
77.6
感想・評価
1557
棚に入れた
8480
ランキング
609
★★★★☆ 3.9 (1557)
物語
3.6
作画
4.2
声優
4.0
音楽
3.9
キャラ
3.9

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ネタバレ

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 5.0 作画 : 3.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

アスカさん…

タイミングが合わずに劇場で見れなかったので先日DVDで見ました。

劇場に見に行った友人からは
「宇宙戦争」「わけわかめ」等々散々な評価を多々聞きましたが僕個人としては非常に楽しめたのでよかったかと思います。

感想の前に、この作品はアスカがかわいいw
元々ミサトさんが大好きだったんですがアスカが好きな方の気持が分かるようになってきましたw

{netabare}それはそうと、このエヴァに必要不可欠なテーマとして存在するのはやはり「ヒトは絶対的に孤独である」というものが根底にあるのではないのかと感じます。
何かを記述し、陳列するものとして用いられる言語というものには限度があります。
僕がいくら言葉を並べてミサトさんへの愛を他の方に語ったとしてもそれはただの言葉でしかなく、
僕自身の気持ち、考えを100%完璧に伝えることは不可能です。

だからこそ家族との繋がりの薄い、碇シンジ君があそこまで周りの言うことに気を遣い、悩み、葛藤するものだと思います。
旧劇ではアスカを助けろと叱咤するミサトさんに対しシンジ君は「何もしない方がいい」「他人の癖に分かってないくせに」と主張します。
これ等は正に「どうせ僕のことなんか分かってくれないんだろ!」という子供じみた、ですがヒトとして必ず持ってしまう孤独という物に対しての本音、エゴの主張だと思っています。

旧作品で感じた何とも言い難い寂れた風景や演出はこれを強調する為にあったのではないかと感じます。
だったら精神的に一体となればいいんじゃないの?っていうのが人類補完計画の根底にあるのではないのでしょうか。

言語表現として性行為をするということを記述する際に食事表現が用いられることがあります。
例.「まあ、あの娘は会ったその日に食ったんだけどね。」
これは言及されている特定の女性と性行為を行ったということを示していますが、歴史的な言語資料をあたればこれは「食人文化」というものがあったことを示唆するものでもあります。

人間にとってのセックスが「生殖行為」という目的だけでなく肉体的な一体化というものが人間の孤独の穴を埋める意味を持っていたと主張する文献はたくさんあります。
ただセックスが結局行えるのはせいぜい肉体的な一体化のみに絞られます。
これより一段階上のレベルでの一体化となると物理的に行えるものとなると文字通り「食う」しかありません。
人を食うということには抵抗を感じる方が大多数(であってほしい…苦笑)だと思いますが
これもまた歴史的には「精神的」な一体化を求める儀式として食人文化というものが存在したのも事実であり、
言語表現として「(性行為の対象)を食う」という表現は少なくとも日英両方で見られます。

こんなことと人類補完計画を絡めてエヴァを見てきた僕としてはQは序、破よりも「エヴァらしい」と嬉しく思いました。
やっぱり今回の話ではシンジ君は今まで以上に孤立してしまいます。
主観的な言い方をすれば「頑張ったのに誰も褒めてくれない」状況なわけです。
訳の分からないまま変わっていく周りの人間関係。
心の拠り所を失った彼は唯一自身に優しくしてくれる人に依存するわけです。
ただ最終的にはそんな友人の彼すらも失うことになります。

シンジ君可哀想‥

ですがここでもう一度「人間が孤独な生物である」というキーワードを上げてみます。
現実的な話こうして日常生活を送る中で本当にそんなある意味下らないことに本気で悩む人はいるでしょうか。
答えは一部の人間を除いてノーです。
よって今回のQは「自分」というものが分からない、寂しがり屋で尚且つ人一倍「人間固有の孤立性」というものを感じやすい環境にいる彼がいきなり、
「人間は孤独なものである」という真実に対して「だから何だ」と言わんばかりに今を生きようと全力を尽くす精神的に成長した大人に囲まれて困惑してしまいます。

そこから追い打ちを掛けるようにカオル君の死ですよ。
僕だったら自殺でも何でもして逃げてしまいますよ。

ここまで主人公のシンジ君を追い込んだのには脚本にそんな意図があったのではないかと僕はこれを見て感じました。
そんな中でラストでのアスカがぶつぶつ言いながらシンジ君を迎えに行ってしまう優しさにクラっときてしまいましたw
「私のことは助けてくれないんだ・・」と呟いたところにループ説を含意しているんじゃ?とも思いましたが
結局「誰かに理解してもらいたい」気持ちはあるけどそれをなかなか表に出せない不器用さと
シンジに対する気持ちのそんな屈折がアスカのツンデレ具合を表現しているんじゃないかなと思いました。
シンジはどう転がっても「男らしい」とは言えません。
ナヨナヨのモヤシ野郎です。
ですがそんな極端な例だからこそ人間の「孤独性」というテーマを反映させるにはうってつけなのかな、なんとも思います。
そんな弱い部分を嫌という程見せつけられたアスカが彼を「ガキ」と罵倒し、一度は見捨てるも再び彼を連れて帰ろうとするところが
彼女が精神的には完璧に大人になりきれていないということを示唆しているのではないのかなとも感じました。

なのでそういうことを色々と含めた上で続編が楽しみで仕方がありません。{/netabare}

投稿 : 2013/06/01
閲覧 : 229

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