sherlock さんの感想・評価
4.4
物語 : 5.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
人が人を裁くのは…悪か?…善か?
まず、このアニメを完全に理解するのは大変難しい!!
特に最終話のed後にマルセル・プルースト著の「失われた時を求めて」第一篇「スワン家の方へ」を描いた意図は
僕なりに解釈して、この話はまだ始まりであるということを言いたかったのかなという浅い解釈しかできなかった
何か他に意図があるとわかる人はぜひ教えて下さい!!お願いします!!
僕はこのアニメを通して法律がいかに曖昧で不完全なものであるかということを
僕たちに伝えようとしているのではないかと思った
………何が悪で何が善か?
このアニメの序盤は、人をSibyla Systemで裁く世界と言う一見非常に画期的な世の中に見えた
おそらくSibylaの由来は古代の地中海世界における巫女のことで常に単数で語っていたが
実はペルシア・リビア・デルポイ・キメリア・エリュトライ・サモス・クマエ・へレスポントス・
フリギア・ティブルの10人のSibylaが存在したという事実から来ていると思う
なぜなら{netabare}
Sibyla Systemが後に多数の免罪体質者で成り立つシステムであることがわかるからである{/netabare}
この時、人はやはり機械で裁くことは不可能なのだなと感じた
それはおそらく機械では基準というものが曖昧になってしまうからである
人間は本来不完全な生き物で、その人間が作ったものが完璧になりえるはずもないのである
だからこそ、世界一般的に厳格で心に乱れがないような人が何人か集まることで
完全に近づけようとするのである
これは現実世界でも当てはまることで、法律も多くの人の力によって今まで例外だとされていたことに
新たに細かい決まりを設け人を裁くに値する基準を設定しようと努めてきた
しかし法律は弱者を守るにはまだまだ脆すぎると僕は思う
皆さんはデスノートという漫画を知っているだろうか?
デスノートでは一人の人間が自分を神だと信じ悪人を殺すことで人を裁いてきた
世間では神と悪魔二つの議論がなされた
僕の意見としてこのような人の裁き方は少なくとも現在の裁判制度よりもずっと素晴らしいと考えている
なぜなら多数の意見を考慮してしまうと必ず罪は軽くなりそして時間もかかる
人を裁くよりも速いスピードで犯罪が行われている現状を考えると誰かに決めてもらった方がいいと僕は思う
そして一番の利点は、ある人が絶対的に裁くため皆は法律よりも厳しいと感じ、悪いことをしようという考え方自体が抑制される
そしてここからが僕の考えの重要な点である
それは裁く人を誰にするかという問題である
これは非常に難しい…なぜなら善と悪というもの自体が抽象的なものではっきりと決める事ができないからである
そして、悪だと思った場合にも人によってどのぐらい悪いのか変わってくる
すると、このアニメのように誰か絶対的な基準を置き裁いているように見せる方法しか人が安心して生活できる世の中を
創りつつ人を裁く事は出来ないのではないかと言う結論に至る
人間は規則と言うものがあるからこそ、他の動物と異なり理性に反して行動でき
社会を形成することでめざましい発展を遂げてきた
そして、規則以外に人を抑制できるとしたら、前述の通りあとは恐怖しかないと僕は考える
ただ僕はそこまでして人を規制する必要があるのか疑問である
確かに動物の本能に任せ殺人が蔓延るようになってしまったら社会と言うものは
成り立たなくなり強いものが全ての世界になってしまう
そこまではいかなくてもある程度不完全な状態の社会になることはできないのだろうか
今回ばかりは本当に僕自身も判断しにくいテーマであるため曖昧な結論で終わらせる
誰しも心の中に悪が存在し、それが無くならない限り人に人を裁かせることは間違っていると僕は感じる
つまり、人を人たらしめるものが無くなることはつまりその人が人でなくなることになり
人が人を裁くことは永遠に悪であると僕は思っている
(ただし現状、人が人を裁く以外に方法がないため法律で裁くのは仕方ない事だとは思う)
そして、最後に一言…
現状で大切なのは
『法律が人を守るのではなく、人が法律を護るべきである(これは守るではない)』
ということを自覚することである
え~っと、話が壮大になりすぎて訳のわからないレビューになりましたが
画にリアル感があり事件解決までの公安局刑事課一係と犯人側の動きがハラハラドキドキで面白いので
興味がある方は是非一度見てみてください!!(*^_^*)