ヒロトシ さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
書を捨てよ、町へ出よう
原作が一人称なので、アニメも原作に忠実になった結果、キョンの考えている事は視聴者にはほぼ丸裸なものの、他のSOS団員については、一体何を考えているのか想像もつかないといった作風になっています。その為、視聴者はキョンの感覚を知らず知らずのうちに共有して行く事になり、次に何をするんだろう?というドキドキワクワク感を募らせていく。そういうコンセプトであると私は考えていますが、そのコンセプトのバックボーンには現代社会を生きる私達のある問題点を如実に突いている別のコンセプトが眠っているようにも感じます。以下私が記すのは、そのコンセプトについての推察です。
{netabare}この作品、メインを飾る登場人物は奇人変人ばかりで構成されています。ハルヒは発想・行動が常人の斜め上をいっているし、みくるは素直な所もあるものの、核心に迫る部分を禁則事項のフレーズで隠してしまう、小泉はいつも笑顔で台詞も胡散臭いので、頭の中で何を考えているのか分からない、長門はほとんど話さないし、ポーカーフェイスなのでといった一癖も二癖もある連中ばかり。
対してキョンは今時の若者といった男子で、前述した人物達とは印象が異なります。特に夢も目標もなく、毎日をただ漫然と過ごすばかり。こういう人いますよね。ていうかそれって『俺』『私』じゃない?全てがこういう人ばかりとは限りませんが、毎日同じ事の繰り返しで『何か』を見失っているキャラとして描写されているのが、彼なのです。
そんな普通の生活を在るべきものとして、受け入れてしまっている彼が、何を考えているか分からない連中に振り回される日常に巻き込まれてしまう。最初はそれが嫌だったものの、段々とそれを嫌と思わなくなり、自分の世界に対する見方が変化して行く事に気付き、そして自分がツマラナイと思っていた日常に実は沢山面白いものが隠れていることに気づく。一見派手な作品に見えますが、テーマとしては実に深い所に着目しているのが伺えます。
現代は昔と違い、インターネットの普及による爆発的な情報網が私達の日常を支配しています。自分が主体的に行動を起こさなくても、PC1つで真か偽かも分からない情報があっという間に手に入り、人と人との交流も必要最小限の手間で済んでしまう。確かにネットは楽しいし、便利ですが、反面何か物足りない感情を覚えることは私もままあります。現代に生きる私達にとってキョンは『鏡』という立場なのではないでしょうか。
ハルヒはそんな世界を良しとしない。面白いかどうかは私が決める、面白くなければ私が一から作り出す!そういった自分とは対極の考え方にキョンは刺激を受け、段々と感化されていきます。しかしハルヒも最終的には自分の作り出した世界に意思とは無関係に飲まれそうになってしまう。そこでキョンは初めて自分の中に目標をみつけ、ハルヒを救い出す。自分にとって面白い事だけを追求した結果、そこに他人が介在する余地をシャットアウトしていたハルヒにとって、風穴を開けたキョンは以後、彼女の中で特別な存在になっていき、自分だけというよりもSOS団の皆が楽しめるような面白さを追求して行く事になります。
『書を捨てよ、町へ出よう』という寺山修司の評論小説があります。噛み砕いてテーマを説明しますと、本ばかり読んで知識を蓄えて、世の中の全てを知ったようになるのではなく、実生活に飛び込んで、世の中を知っていこう!というものです。キョンのように日常生活に自分の中で何処か見切りをつけてしまっている人には、耳が痛い説法です。
涼宮ハルヒの憂鬱という作品がそのようなテーマで構成されているかどうかは真相は分かりません。ですが、テレビの中で毎回楽しそうに遊びの計画を練っているハルヒ、そのエネルギーに圧倒されつつも自らも楽しそうにするみくる、胡散臭い笑顔でそれを見守る小泉、主体的に関わろうとはせずも、肝心な所では皆を手助けする長門、そして小言を言いつつも、何処か嬉しそうにしているキョンを見ていると、工夫次第でいくらでも日常の中に楽しさはあるんだよという当たり前の事を作品を通して、突きつけられているような気がするのです。{/netabare}