みかみ(みみかき) さんの感想・評価
4.6
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
ギリギリのところで成立している「かっこよさ」
あまたが悪そうなコメントをするが、この作品は「かっこいい作品」である。
かっこいい作品、というのは、裏を返せばすごくかっこわるく見えることのある作品ということでもある。なぜかとえば、かっこいい作品というのは、たいがいは、かっこよさを目指すからかっこよくなっている。「こういう表現かっこいいだろう」と思ってやっているから、かっこいいのであって、そのかっこよさ、を共感できない人間にとっては、ひどく格好のわるい「くさい」作品にうつる。
「かっこよさそうにしたいんだろうなぁ、コレ」と思わずコメントしたくなるような、かっこわるい作品というのが、世の中にはたくさんあって、「かっこよさ」のセンスが違いすぎると、もはやギャグになる。たとえば、インド人にとっての超かっこいいスタイリッシュ映画である『ムトゥー踊るマハラジャ』は、日本人にとっては、どう見てもB級ギャグ映画にしか見えない。
さて、攻殻も、あと30年ぐらいしたらギャグに見える日もくるのかもしれないが、いまのところは、「かっこいいわぁ~、コレ」と、わたしは言ってしまう。
■
なぜ、本作が「かっこいいわぁ」と、わたしに言えてしまうのか。
むろん言うまでもなく、アニメーションとしての質の高さだとか、アニメにしては人間描写のクオリティが高い方だとか、視聴者としてのわたしと相性がいい…とか、そうしたことは、作品の「かっこよさ」を成立させている大きな要因ではある。もちろん。
だが、それ以上に、重要なこととして、かっこよさそうに演出しようとしている部分が、きちんとハマっているということだ。外していない。たとえば、作中で「天才」とされているキャラクターが、わたしから見た時に、高校生が背伸びして勉強した程度の話しかしてなかったりすると、ものすごくかっこ悪い。そういうことが、本作には、ない。そういうことだ。
どうして、きちんとハマっているのか。
「天才キャラが、ばかなこと言ったら、興冷めだよね」とは言ったが、そうは言ったものの、技術的、社会的想像力という点で、作品にケチがつかない、ということはない。
攻殻を、「カッコイイ作品」だと、わたしは言っているわけだが、それは、主人公である少佐が人格者で、頭がよくてサイコーだと思っている…わけではない。もし、そういう前提で攻殻を評価しなければいけないのなら、わたしはもっとクソミソに言っているに違いない。
どんなによくできた作品であっても、その筋の専門家がみたならば、突っ込みどころがある。完全無欠な設定とか、描写とかというものは、ほぼ無理なのだ。そういうことをやるのならば、学者とかジャーナリストのほうが優秀だ。だが、そういう路線に走らなくても、説得的に魅せられてしまうものというのはある。
何を、どう魅せるのか、といえば、いくつかのやり方がある。
たとえば、一つには、道具立ての見せ方のインパクトだ。他人の視界に介入する「インターセプト」や、笑い男のハッキングの描写は見ているものを驚かせる。笑い男によるテレビカメラのハッキング映像のインパクトは、その技術が実質的に可能であるかどうかということを考えるよりも先に、まずその映像のインパクトによって刺激されるものがある。可能であるか、どうかではなく、このような未来が実現したらどうなるのだろうか、ということをそれよりも先に想像してみたくなる。
もう一つは、そこで描かれる未来の風景そのもののディテールのもっている説得力だ。ある技術が実現されたときに、社会的にどのような新しい制度がたちあがるのか。あるいは、どのようなコミュニケーションがなされるようになったり、社会現象がたちあがるのか。そういったことだ。「笑い男」のような現象が、たちあがる未来はいったいどのような未来か。あるいは、犯行を行う当事者たちが、犯行の「自覚」がない状態のなかで犯行を行なってしまうという現象は何なのか。
このような未来は「もしかしたら、ありうるのかもしれない」とすこし想像してしまうような類のものだ。そして、それがいいか悪いか。妥当かどうか、という以上に「こんなことが起きる未来が、実際にきたら、我々の世界はどうなるのだろうか」ということを想起させる。
それぞれの技術の実現性や、整合性よりも、差し迫ってくる要素をうまく、焦点化させ、それをうまく魅せてくれている。だからこそ、本作は、あえてケチをつけようという気もおこらないし、それどころか、啓発されてしまう。
■俗物がいない、というあからさまにウソっぽい「かっこよさ」を、いかにギリギリのところで成立させるか
また、人物描写において、本作は、言っちゃ悪いが、実にウソっぽい。俗物がいない。要するにスーパーマンの話だ。
17話で披露される荒牧課長の描写なんかは、直接戦闘での制圧力がなくてもいかに、「かっこいい」かが露骨に示されるはなしだ。その上で、スーパーエリートである少佐が、無能な人間にむかって「そんなに社会が気に入らないのならば、おまえが変われ」みたいな、強者の論理を言ってのけるような、世界観である。かっこいいといえば、かっこいいが、ちょっとビミョーなところもある。ってか、この手の権力サイドの強者の論理を素朴に言ってしまうような話ってどうなの、という反応もあるだろう。
俗物のいないアニメであり、俗物はだいたい悪者であり、少佐は愚鈍な俗物に対してはゴミを見るような目で対応しまくる話になっている。はっきり言って、このアニメの主人公である少佐、はちょっとお友達になれそうにない。
一方で、この少佐の素朴な強者っぷりに対して、複雑な心境をみせるのはバトゥーである。とりわけ、第16話「心の隙間」。この一話がはいるかどうかで、この作品の味わい――少なくともわたしにとっての味わい――はガラリと変わっている。
16話は、バトゥーがかつてファンだった人物、尊敬していた人物が、俗物になってしまっていく話である。世界的に有名な格闘選手で元銀メダリストが、ケチな商売に手をそめてしまう話である。この人物は、「ヒーロー」と「俗物」の境界にいる、唯一と言ってもいい人物でもある。
この元銀メダリストは、最終的には俗物となってしまうことによって、バトゥーによって逮捕されてしまうのだが、バトゥーは逮捕しながらも、この人物を一方的には侮蔑しない。侮蔑するのではなく、かつて敬意をもっていたがゆえに、バトゥーは彼に対してイラつき、怒る。この怒りは、悪意や憎悪や軽蔑ではない。
本作で活躍する人びとはスーパーマンである。それゆえ、こうした物語構造のなかでは、俗物に変わっていくヒーローは、必然的に、表舞台からはおいやられる。
本作において俗物が登場しないのは、俗物というものを想像力としてもっていないとか、そもそもとるにたらないから、という理由から登場しないのではない。バトゥーは俗物を擁護しない。擁護はしないが、軽蔑しているわけではないのだ。
あんまりうまく言えないが、この話ひとつで、わたしはほとんど、許せる気分になった。
また何か書くかも。
(ここから2012年9月22日追記)
つーか、ここから、ちょいと文章の口調適当になるけど、
まあ、構図としては、
少佐=エリート過ぎて、ちょっと引く。厨二成分多め。
俗物・悪者=駄目すぎて引く
バトゥーとトグサ=悩める人間
というところなんだよね。
だから、この作品はほんとうは少佐の行動やら言動やらは、ちょいちょい「やり過ぎ」が目立つ。でも、そういう人間を主人公にしている、というところが面白いところでもある。
だけれども、少佐は「露骨にエキセントリックすぎる」人物ではなく、「一見まとも、ときどきエキセントリック」ぐらいのバランスなんだよね。露骨にエキセントリックな人だと、アニメのキャラとしては立ちやすいんだけれども、そういうことをあえてしていない。アニメのキャラとしての「立たせる」部分は、無口+サイボーグ+超優秀+強い みたいな、無口最強キャラ、として成立している範囲で、エキセントリックさみたいなところで、「キャラ立ち」のバランスをとっていない。
だからこそ、少佐の人格描写は、いささか掴みづらいものになっている。
一方で、バトゥーやトグサは、エキセントリックな世界のなかにいる「ふつうの人」としての役割をもっている。
特にトグサ、は明らかにそういう配置。トグサがいることによって、エキセントリックな未来SFは、日常的な感覚とどのように連続するのかという雰囲気がよくわかるかんじになる。トグサは、身体的にもサイボーグ化されている度合いは低いし、悩み方も「家庭をもったふつうの中年男性」のものになっている。
整理すると、
身体:ほぼサイボーグ 意識:やりすぎエリート → 少佐
身体:ほぼサイボーグ 意識:人間的 → バトゥー
身体:ほぼ人間 意識:人間的 → トグサ
身体:ほぼ人間 意識:超エリート → 荒巻課長
こんな感じ。荒巻や、少佐のやり方や言動が、たまに過激すぎて「ついていけない」描写がちょいちょい挟まれているが、そこに「ついていけない」感覚を感じるのはおかしいことではない。
少佐は、基本的にちょっとした過剰さをもったキャラとして書かれているわけで。過剰さをもったキャラは、物語のアクセントとしては絶対に必要だから、少佐というキャラクターは存在している。
で、その過剰さを、ベタに信じてしまう人は「ハードボイルドかっこいいぜ」的なある種の中二病患者的なのめりこみ方をしているといっていい。そういうのめり込み方も、本作のシナリオはむろん想定しているだろう。そこは、厨二かっこいい、かっこよさとあまり違いがない。
ただ、少佐に対して、若干のとまどいを覚えながら、「少佐かっこいいなぁ…」というぐらいの鑑賞スタンスもあるわけで、それは厨二かっこ良いタイプのエキセントリックな人格に振り回される周囲の人間の同様や、ジレンマを含めた描写を味わった上での、「かっこいいことしてんな…」という感じの評価におちつく。
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■各話メモなど
・第10話 「密林航路にうってつけの日」で、の「視覚」を使ったフェティシズムの成立みたいなとこは、なんだかひどく印象にのこった。これの元ネタになっているであろう、1993年に八谷和彦が発表した「視聴覚交換マシン」はメディアアート作品だったが、こういう想像力として再構成しているのはすごいな、と。圧巻。
・第17話 未完成ラブロマンスの真相、荒木のカッコよさも半端ない。
・タチコマを子供として描写したのは正直いかがなものか。とりわけ、ラスト周辺の描写は「子供の殉死」という結構むざんな、少年兵の自殺みたいなテーマである。で、それは感動描写でいいのだろうか?
・最後に大澤真幸からの引用をしているのは、わたしのようなタイプの人にとっては格が下がって見えるので、学者を引用するなら、もう少し評判に揺れのない人であってほしかった
・また、「笑い男」の仕掛けた、テレビをハックしてリアルタイムに画像を上書きしていく仕方だが、あれは、見た当時は「SugeeeeeEEE!」という感じで、どういうロジックでこういうことが可能になりうるのか全くわからなかったが、近未来ならたしかに、それほど難しくないだろうな、という感じは最近になって漂ってきた。
基本的な作業手順は下記の通り
1.カメラの映像をイメージ解析し、顔認識プログラムで、一致したところを検出する
2.顔認識されたポイントすべてに、「笑い男」マークを重ねあわせる。
というこれだけの手順で、実は最近だと、3000円ぐらいのウェブカメラを買うと、けっこう標準的に付いている機能になってしまっている。一番むずかしいのは、顔認識だけれども、たぶん10年もたたないうちに、どっかそこらへんに落ちている顔認識プログラムをパクってくるだけで、こういうことは可能になるはず。
そういうわけで、今現在だと映像のリアリティとしてのはったり感は弱まってしまったが、見た当時は非常に大きなインパクトがあった。どちらかというと、顔認識+AR技術がすごいというよりも、テレビ局のカメラにハックを仕掛けられていることのほうがすごい、というべきだろう。
・また、物語の後半で、人の姿を見えなくしているところがあるが、これもまあ、イメージマイニングの成果としては、2011年現在ですら、すでにそれほど驚くべきものではなくなっていて、Kinectのような高度な「人体」解析の装置がたった15000円で買えるご時世においては、30年後に、人体を消してみせるイメージマイニング+ARが成立している風景というのは、まあ、そんなに難しくないだろうな、という感じがする。
どちらかというと、今現在で、難しいのは、視覚を代替/補完するためのあれだけ高度な装置(インターセプター、だっけ?)が出回っているという状況を想像することだろう。もしかしたら、出まわるのかもしれないけれど。
7年前にこれらのネタを見たときには本当に驚いたんだけども、たった7年で、技術の進化はおそろしいところにきているな、としみじみ感じる。
・あと、アノニマスの話と笑い男描写の比較はおもろいかもしらん。
追記:
そういえば、ユリイカで攻殻特集とか、6年前に出ていたな。
http://www.seidosha.co.jp/index.php?%B9%B6%B3%CC%B5%A1%C6%B0%C2%E2
今ひとつ、読んで記憶に残ったポイントが多くない。
しかし、大澤さんが書いていたのかww
おいおい、なんか書きます。
■動画リンクはられたから久々に見ながらレビュー
・やばい、OP曲が流れただけでにやける…、やっぱ何度も繰り返しwktkみたものって、こういうパブロフの犬的な現象にたどりつくよね……
・最初のアクションシーンは、これはもう、シリーズのファンをこころ掴みにするだけのシーンだな。
・しかし、「世の中に不満があるなら自分を変えろ」は、士郎正宗の原作の言葉だったと思うけれど、この発言は、昔は気にならなかったけれど、今みると、この文脈でこういう提示されるのは、無理があるわー。まあ、問題提起的な発言である、という文脈をも少し提示しといてほしいな、これ。
・荒巻さんキター!惚れる!荒巻さんの有能さは、昔はわからんかったけど、こういう状況把握ができる人って、マジなはなし、10万人に1人もいるかどうかクラスだよなぁ。実際にこのクラスの有能な人材に会ったことって、少ししかないもん。実際の仕事の上では、「自分は状況把握能力が高い」と思いこんでる、権限をもっているプチ有能が一番ウザいってことのほうが多いからなー。
・和風料亭と、サイボーグの死骸、っていうのは、風景のコントラストの作り方としてうまいわー。
・久保田と荒巻のやりとりを見て、ふと思ったが、この人達は、二人とも、だいぶ権限でかいな。官僚で、課長クラスだと、ふつう局長やらあるいはもっと上のクラスとの調整を通さないと、動き取りづらいと思うんだけれども。まあ、9課はきわめて独立性が高い組織だから、そういうことでいいのかもしれないけれど、久保田の裁量権の大きさは謎。久保田って、次官クラスなのか?
・監視カメラの映像を使うのは、いいねー。なんか現場の空気感の演出としても、物語をおわせる手順としても、いいね。
・「大臣が脳殻を積み替えられる」とか、こういうネタとかいいよねー。ここは、もう、問答無用にSF的想像力として、very good.
・おお、忘れてたが、公安9課は、実質的に総理直属なのか!疑問解消された。
・しかし、荒巻さん調整力あり杉だろうwww。まあ、フィクションだからいいんだけど。たいがいの場合は、明確な確信があっても、組織内/組織間の調整力不足で、能力を活かしきれずに案件を処理しきれずに「うちの組織はまじでクソ」とか言って終わるのが、現実だけど。サイボーグとかよりも何よりも、荒巻さんこそが、最強のフィクションである気がしてきたw わたしも荒巻さんが上司にほしい。
・(久保田についてWikipediaで確認)自衛軍統合幕僚会議情報本部長、らしい。自衛官の階級は正直よくわからんけど、まあ、課長とかよりだいぶ上のクラスなのね。