ワッキーワッキー さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 3.5
音楽 : 3.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
極論による再考
私はこの作品を「空気」について再考させられるアニメ
であると感じました。
ここで言う「空気」とは協調性であり、観察力、洞察力
さらに、言うと国語力を含めた総語と定義させていただきます。
この作品は、緒花という主人公が序盤から「空気が読めない」と言われ、中盤、終盤では、緒花自身も自覚して、行動している。
しかし、「空気が読めない」というのは、漫画やアニメのキャラクターにとっては、一作品に一人はいないといけない必須スキルだと思っています。
なぜか、と言うとまわりに協調ばかりしていては、物語が進まないし、テンポも悪くなってしまう。
逆に言えば、物語を牽引する重要な役割と言っても過言ではないと考えています。
と言ったように、「空気が読めない」キャラというのはどこにでもいるありふれたものであり、言ってしまえばベタ、この作品の評価や感想によく使われる朝ドラ、や昼ドラというのも、特に朝ドラの主人公が空気が読めない突っ走りキャラが多いことから納得できると思います。
ではなぜ今作のレビューに「空気」について再考させられる、と書いたかというと、朝ドラの主人公や他の創作のキャラとの大きな違いがあるからにほかなりません。
大きな違いとして挙げられるのが
まず初めに、「空気が読めない」という宣告を序盤にされている事です。
(これに関しては、他の作品でも多くはありませんが、そういったキャラがいる事は否定しません)
次に挙げられるのが、目標に向かって頑張るといった意味の作中の造語(ぼんぼる)です。
最後に挙げられるのが、「空気が読めない」という宣告をした本人が密接に描かれていることです。
以上の点によって大きな違いがあるとさせていただきます。
上から解説させていただくと、「空気が読めない」という宣告されたことによって主人公は、悩みその原因がどこにあるのかを考え改善しようと努力していきます。
といった点が今作の見所の一つとなっていて、このレビューの「空気」について考えるといった要因の一つとなっています。
続いて、作中の造語と頑張るの違いです。作中では前者が空気が読めていて、後者が空気が読めてないといった表現の書き分けがされていることが多くありました。
その違いも今作の見所となっていると思います。
そして三つ目ですが、宣告した本人が密接に描かれている点です。
ここが他の作品との隔たりを大きくしている点だと考えています。
「空気が読めない」と宣告した側が、本当に空気を読めているのか、というところです。
他の作品を否定するつもりはありませんが、この点が今作の秀逸な点であり、リアリティーを生み物語に深みを与えていると私は考えています。
少し長くなってしまいますが、私の経験を踏まえて上記三点をさらに考察したいと思います。
(作品からは、少々脱線してしまうので飛ばしていただいても構いませんという意味でネタバレではないですが、ネタバレを使わせていただきます)
{netabare}
では、私の経験と言いますと、私自身も「空気が読めない」と宣告されたことがあります。
(まぁ皆さんお気づきかと思いますが、アニメのレビューに脱線して延々と自分の事を書いている時点で、私が空気を読めないのは、周知の事実だと思います)
これについて、私の考えと反論は、「空気」と言っても2種類あり、「空気が読めない」死語になりますが、「KY」など即イコール中傷といった安易で思考停止な考えは無意味であるということです。
2種類というのは、情報不足からくる間の悪さと、会話中の人の表情不注意です。
私の経験則によれば
前者は、回避不可のときがありますが、ある程度普段から情報を仕入れていれば回避できます。
後者は、会話中に視野を広くし小さな動きに注意すれば回避できます。
私自身宣告を受けてから必至に以上の2点を注意して、空気が読めないと言われることが減りました。
ならなぜ今もなお空気が読めていないかと言いますと、私は他にも気づいたことがあったからです。
先ほど挙げた大きな違いの3つ目の点が理由の一つになっています。
空気が読めないと宣告した側が往々にして空気が読めていないからです。
私の経験から例を挙げると、空気が読めないと発言する人は、個人の主観を他人に押し付けようとする自己中心的な人物で、あまり他人を観察していない、それこそ空気が読めない人が多いからです。
次に私がもし本当に中傷したいのであれば、空気が読めないなんて無意味な発言はせずもっと悪質な実力行使するということです。
と駄文を書いてしまいましたが、空気が読めないことにはそれぞれ理由があるということです。
そこが、大きな違いの2番目にあたります。
何を目標としているのか、と言うことです、自分の感覚だけを重要視するのであれば、上記の発言する人のようになり、
目標を同じくすれば空気が読めないなんてことにはならないでしょう。
また逆に目標を別てば、相手を中傷したくなる。
当たり前のことになってしまいましたが、作中の造語はかなりうまくそのことをとらえていると思います。
要するに、何を目標にするかをしっかり定義できれば、空気や感情なんて捨て置いても問題ないということです。
(ただし、相手に対する礼儀や敬意を無視するということではありません)
さらに大きな違いの1番目と私の経験ですが、言われたことによってどのように成長したかということです。
緒花は、言われたことを糧にして成長し、私自身は無駄な気遣いや緊張はなくなり、少し自由になりました。
と私のことは捨て置きこの作品は、緒花が序盤で「空気が読めない」と言われたことこそ
アレだったのではないかということで、再考という言葉を使わせていただきました。
{/netabare}
以上のことを踏まえ緒花がどのように空気が読めない人間から成長していくのかが見所となっており
さらに、今作が「空気」について再考させられた作品であったのではないかとさせていただきます。
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