hiroshi5 さんの感想・評価
4.6
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 4.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
「疑似郷愁」という名の疑問
こういったタイプの作品レビューを私が書くというのがそもそも無理な話なのだが、完結に「感動した」のひとこと。
夏目スタッフが作っただけあって、作品内容は夏目シリーズとそっくり。
約50分ながらも、見ている人を感動させる。
私も出身は結構な田舎で、祖母の家は真のど田舎。何かとこの作品と共感する場面も多かった。
特に「そうそう!」と思えたのが天井の存在。
所々、天井が強調されているシーンがあったが、私も子供のころ良く天井を見ていた。
何か不思議な感覚を天井を見ていると味わっていたものだ。
こういった些細な描写が作品が描く「如何にも」な夏と日常を演出しているのかもしれない。
そして、以前から気になっていた疑問をこの作品は考えさせてくれた。
夏目と同じく、こういった作品を見ると必ず覚えるのが「郷愁」だ。
私は前述した通り、田舎に住んでいた為こういった作品を見ると故郷を思ったりする。
しかし、他の人と話していると田んぼのある地域にも行ったことも無い人がこういった類いの作品で「郷愁」を覚えるというのだ。
しかも、この現象は日本人に限らず、私の友人である海外の学生にも起こる。
考えてみれば、私もNat "King" Coleの曲を聞いて「懐かしさ」に似た感覚を味わったり、昔のアメリカのショーを見て「あ〜〜懐かしいな〜」なんてフザケタ疑似ノスタルジーに浸ったりする。
「郷愁」や「望郷の想い」なんてのは実際に自分の故郷だけに使ったりする言葉では無いのかもしれない。
または、こういった類いの感情は「郷愁」や「望郷の想い」という単語を使わず「疑似望郷」とでも表現しなければいけないのだろうか。
まぁ言葉の表現などどうにでもできるが、この感情はどうやって発生するのかが以前からの疑問だった。
仮に実際に体験していなくとも「郷愁」という感情が芽生えるのだとしたら、それは普遍的なものなのか特定にしか通用しないものなのかが気になる。
例えば、この「蛍火の杜へ」という作品を見た人間全員が「郷愁」を覚えるのか、それとも特定の人間だけが覚えるのか。
まぁ大方日本に精通する人間だけが「郷愁」を覚えるというのが正解だろう。
だが、時にイレギュラー因子として日本に関する予備知識一切無しに「郷愁」を覚える輩がいる。
それは私が前述したNat "King" Coleの歌に郷愁を覚えるのと同じだ。
正直、これに関しては結局分からず終い。
今の結論としては、歌や映像が本能的にノスタルジーな気持ちにさせる、としか言いようがないw
人間は経験と環境によって自我を形成するが、本能というのは未だ計り知れない何かを持っているのかもしれない。
または、本能というものも、経験と環境によって変化し「疑似郷愁」なるものを無意識に形成するのかもしれない。
この疑問に関してはこれから人生を通して研究することにしようと思う。
最後にこのレビュー三度目の登場になるNat "King" Coleの曲で締めるとしよう。
この曲にどこか懐かしさを感じたならば、あなたも私と同じ疑問を突きつけられたことになるだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=vDN5rG3wLa4
ちなみに、Nat "King" Cole が他界した後娘のNatalie Coleがこの曲をデュエットで歌っている。そちらも是非聴いて貰いたい。
https://www.youtube.com/watch?v=f9feVSvzeBM