メルヘン◆エッヘン さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
アニメ史に残る名作中の名作。遠距離恋愛の話ではなく、心の距離感が通底にある。
■地理的な距離と共に、心の距離感が通底にある作品
10回以上繰り返した。涙で画面がかすんでしまい、山崎まさよしの「One more time, One more chance」がバックに流れる第3エピソード「秒速5センチメートル」は長いことまともにみることができていかった。ただ、ちまたにいわれるように、この作品は、遠距離恋愛をモチーフした物語でしょうか。私は違うと思います。
それは、人物相互のほんとうの距離感こそが全体の中核にあるテーマではないか、と考えるからです。
(本論)
■それが恋とは気づかないまま……おもに「桜花抄」
{netabare}小学生時代の遠野貴樹と篠原明里は、互いの恋心に気が付かない。観る側からすれば当然気づくふたりの抱く何かしら不安で、心を締め付ける関係性は、小学生時代への訣別とふたりの小さな別れから生まれる。
その後、あかりが栃木に転出した中学時代に文通という手段でふたりは再びつながりはじめる。それに至る演出がとても綺麗でうまい。
内省的で思索的な貴樹という個性の、3つの物語全体に通底した<思慮深さ>などがこの段階で明確になってくる。一方で、似た空気を持ちながらほんの少し明るく振舞おうとする明里の信条……、ふたりの微妙な差がその後の展開に少なからぬ影響を与えるのは、見た者にはそこはかとなく伝わるだろう。
(時代の選択がうまく、携帯電話、メールが子供に普及する前だからこそ成立する時代背景。1995年頃だろうか。だから便利なコミュニケーション手段が少ない。)
そして、残酷にもふたり(貴樹と明里)には絶望的な壁が立ちふさがる。
■子供には絶望的な距離感。中学から高校時代の流れ「コスモナウト」
種子島なので確かに鹿児島県だけれども、島なのでさらに遠い。むしろ上海などの方が時間距離は近いといえばおわかりいただけるだろうか。
子供時代には絶望的、絶対的な壁と距離がふたりの間にのしかかる。すでに、恋であると確実に気づいたふたりの心理的なつながりが地理的絶対的な距離感の中で、すこしづつ遠のいていく様が描かれる。だけれどもそれは地理的な要因だけではない。
既述のように、遠のいてしまったのは作品をみればわかるが、貴樹の思慮深さという名の踏み込めなかった結果がもたらしているし、同時に貴樹が明里をおもう気持ちは消え去らないことも「出せないメール」によって表現される。そうしてしまったのは踏み出せない貴樹なのだ。
また、コスモナウトで中心となる主要登場人物、澄田花苗が本編を通じ痛々しくそして切ない。そのけなげさと一途さでは、貴樹の心のむこうにある「見知らぬ女性」の前に割り込むことができない。彼女の前の現実は絶望的だ。
早苗の報われない恋心が丁寧に描かれるからこそ、貴樹と明里の関係性がより浮き彫りになってくる。うまい脚本だ。
結果的に、貴樹が途絶えさせた文通によるつながりもなくなり、明里は明里で新しい親交をそれなりに選んでいくシーンがいまでも印象に残る。
コスモナウトの「ふたり」が表現したのは、早苗と貴樹との距離感だ。地理的な距離の遠さ(明里)と近さ(早苗)、隣にいても埋めることのできない溝といってもいい距離が哀切をこめて訴えかける。ここでははじめて「心の距離」を考えずにはいられなかった。
■「秒速5センチメートル」
東京に戻ってきた理由がなんだったのかそれは明確にはわからない。
東京の大学を選び東京で職を得て、退職しフリーで暮らす貴樹の名状しがたい喪失感は、結局のところ、離れてしまった関係性は自分が招いてしまっていることに苦悩しているのだろうか。
その時点での明里は大人の距離としてはいつでもいけるはずなのに、きっと会いにいくこともなく終わってしまったのだろうと想像できる。これは十分ありうることだ。
東京での生活のもう一人の女性(水野)との関係は、薄れることのなかった貴樹の明里への想いを際立たせる演出になっていて、ふたりの付き合いの結果として貴樹につきつけられた彼女の1センチも「近づけなかった関係」へのモノローグが悲しい。
そして、皮肉にも主人公ふたりが再びすれ違うほど近づくことができたのは線路上、明里と貴樹の距離が再びゼロになった瞬間が訪れる。距離ゼロ。
その時の心の距離はどれほどだろう。そのラストシーンは「長い初恋」への訣別をあらわしたのだろうか。
これ以上つらねると無粋のためこの位で。
■追補
感じ方、読み方は各人各様なのだけれども、別れてしまった人への再会を躊躇してしまう気持ちはよくわかる気がします。その人の新しい生活、人間関係などに割り込むことへの迷いなどは、特に少年期の恋であればあるほど顕著なのかもしれません。
{/netabare}
アニメ史に残る名作中の名作、無駄のない演出、全体構成、見事な間合の取り方、全方位に万全の作り込みに私のアニメを観るスタンスすら変えられたといってもよいです。
自分の中では名作中の名作、アニメ分類でもなく、これまで接してきたさまざまなメディアを含めてです。
最小限のセリフに抑え「絵」で状況と心情を謳いあげた3部構成のこの作品は、映画のような味わいと時間を与えてくれました。
ここまで読んでいただいてほんとうにありがとう。