maruo さんの感想・評価
3.7
物語 : 3.5
作画 : 3.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 3.5
状態:観終わった
いつまでも側にいたい人がいますか? A
原作未読
本作は、主要登場人物3人のうちどの立場に立って見るかで全く違った作品になると思います。
若い人ほど葉月の視点で見るでしょうし、それが当然だと思います。
そうすると、島尾篤という幽霊は、恋の障害ということになるでしょう。
しかし、ちょっと考えてみてもらいたいのです。
もしあなたが、最愛の人をこの世に置いていくこととなった場合に、何の未練もなく簡単に成仏できるでしょうか。
今まで楽しかったことも苦しかったことも一緒に過ごしてきた人です。
きっと幸せにしよう(幸せになろう)と心に誓った人です。
思い残すことが無いなんて言える方がおかしいと思いませんか?
できることなら見守っていたい、いえ、見守るだけでは物足りず、幸せにしようと思う気持ちを何とか果たしたい。
そのように思ったとしても何の不思議もないと思います。
島尾はそんなことを思いながら、3年と言う月日を過ごしてきたのではないでしょうか。
最愛の人・六花が目の前にいながら、手を伸ばしても触れることすらできない、振り向いてもらうこともできない。
勿論、自分の手で幸せにしてあげることも、もはや叶わない。
島尾は飄々としているので実のところは良くは分かりませんが、3年の月日は筆舌に尽くしがたいほど辛く苦しい日々だったのではないかと思えてしまいます。
そんな時に現れた葉月という青年が、幸か不幸かこの状況を大きく変えてしまうのです。
そりゃあ島尾としては気が気ではないでしょう。
あらゆる手を尽くしてでも邪魔をしたいという気持ちは、とても良く理解できますし、むしろ当然のことだと思います。
葉月から体を借りようとすることは勿論、借りた体を乗っ取るっていう行為も、藁をも掴みたい人間(幽霊)からすれば造作もないことでしょう。
しかし、一方ではこうも考えられます。
島尾が、もう自分の手では六花を幸せにすることができない以上、六花には自分自身で幸せを見つけ、それを掴み取って欲しい。
葉月の体を借りた島尾が六花に言った言葉、「死んだ旦那を言い訳に使うのはやめてほしい」は、死んだ自分の限界を感じ取っているからではないかと思います。
他人の体を使って最愛の人を抱くという行為は、自分の愛の発現などではなく、新たな幸せに六花を向かわせる決意がなければできないことだと思います。
勿論、そのような頭の切り替えがすぐにできるとは思えません。
あちらに心が振れれば、今度はこちらに心が振れる。
そんな状態で物語は進んでいったのではないでしょうか。
本作は、主要登場人物の誰にとってもハッピーエンドだったと思います。
島尾にとっても、最愛の人が自分の死に縛り付けられるのではなく、新たな幸せを手にするという、考えられる中で最良の終わり方だったと思います。
私は本作が始まってすぐに、島尾の立場でしか物語を見ることができなくなっていました。
それは私のすぐ側にも、一人で置いていくには心配な人がいるからに他なりません。
途中展開、特に、絵本の中の話の長さなど、多少気にかかる点はなきにしもあらずですが、人物設定からして私の物語を見るスタンスが決まってしまいました。
ですから、葉月側、六花側からの考証は全くできていません。
作品の世界に浸れたというよりは、作品の要所要所で自分に置き換えた場合の考え方を整理するように迫られた、という方が適切かもしれません。
そんな見方をした作品は今期他にありませんでしたし、今まで見た中でも稀かもしれません。
結果として、見て良かったと思います。
大切な人がいる方に見ていただきたい作品です。
OPもEDも大切な人への思いや切なさを感じ取れて好印象でした。
あと、昔から好きな村松健さんのピアノを中心とした音楽も良かったです(紅の音楽を担当された方です)。